第十五話 弟との再会
京への道のりは厳しかった。
戊辰戦争の火蓋が切って落とされた今、各地に新たな混乱がもたらされ、諸国は騒然としていた。
それでも林太郎は、寝る間も惜しんで馬を走らせ続けた。一刻も早く、総司のところへ行かなければいけない。
どうか、間に合ってくれ― 林太郎にあるのはただその思いだけだった。
「兄さん……なんでここにいるの……」
布団から身を起こした総司の声は驚くほど弱々しかった。
林太郎は思わず言葉を失った。
あの日、京で別れた弟はもうどこにもいなかった。頬はこけ、肩は細く、肌は雪のように白い。
「総司」
林太郎はただその名を呼ぶことしかできない。
涙で目の前があやふやになっていた。
「本当に、兄さんなの……?それとも、夢かな……」
総司は力なく微笑んでみせたが、その笑顔には生気を感じられない。
林太郎は思わずギリ、と唇を噛んだ。
「どうして……!なんで言わなかった!聞いたぞ!お前は、労咳、だったんだろう……」
林太郎は大声を上げたが、その声はだんだんと消え入るように小さな声になった。
(どうして、なぜ俺は気づかなかった!なぜもっと早くこうしていなかった!)
林太郎は悔やんでも悔やみきれなかった。
「ごめんね……でも、兄さんに心配をかけたくなくて……。
兄さんはそうやって、いつも自分を責めるから……僕のせいで、そんな風になってほしくなかった……」
総司はそう言い切ると、無理に笑ってみせた。
しかしその目は涙が今にも溢れそうに潤んでいる。
「あはは、駄目だな……」
堪えていたものが決壊したかのように、総司の瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「総司、一緒に庄内に行こう。そこでゆっくり療養すればきっと病も良くなる。
だから、お願いだからそんなこと言わないでくれ……」
林太郎は祈るようにそう言った。
林太郎の方も、もう涙が溢れて止まらず震えた声だった。
「わかってるでしょ、兄さん……僕はもうすぐ死ぬんだ……そんな遠くに行けないよ……」
「そんな、訳が……」
そんなことを言うな。そんなのは許さない。信じない。信じたくない。
「兄さんが来てくれて、嬉しかった……最期に会えて、よかった……」
「……っ!馬鹿なことを言うな!」
林太郎が涙ながらにそう訴えかけても、総司は力なく微笑むだけで何も言わない。
総司がまた激しく咳き込み始めたので、林太郎は総司の体をゆっくりと布団に戻した。
総司の視線は朧気ながらも天井を見つめている。何かを思い出しているようだった。
「先生は……どうしたのかな……最近、全然来ないんだ……」
林太郎はそれを聞いて思わず息を呑んだが、つとめて平生を装って口を開いた。
「大丈夫、近藤先生は元気だ。新撰組の皆も」
「そっか……よかっ、た……」
今にも消えてしまいそうな、か細い声だった。
林太郎が固く握り締めていた総司の手から、ゆっくりと力が抜けていく。
「……総司!総司!総司!!」
林太郎が何度も名を呼んでも、返答はない。あるのは、眠っているかのような穏やかな顔だけだった。
――死んだ。
間に合わなかった。受け入れたくなかった。何故だ。どうしてこうなる。俺は何を間違えた。
いや、俺は何もかも間違えた。俺のせいで、総司は死んだ―
総司は、近藤の斬首を知らぬままこの世を去った。
林太郎は生気のない顔で馬を走らせていた。
庄内へ戻らなければいけない。そう頭ではわかっていても、林太郎はもはや自分がどこへ向かっているのかわからなかった。
(総司は死んだ。助けられなかった。二回も総司を死なせてしまった。こんな俺に、この先生きていく資格があるのか)
自責の念は、まるで呪いのように林太郎の胸を締め付けていた。
それでも、家族が自分の帰りを待っているという事実―
ただそれだけが、林太郎の鉛のように重い体を無理やり動かしていた。
「おいそこの者!止まれ!」
林太郎が馬を止め振り返る。
見慣れない軍装をした男たちだった。
「何者だ」
「……」
「答えろ!さもなくば貴様は賊軍と見なす」
林太郎はそれを聞いて仕方なく馬を降りた。
その時だった。
「これは…!奴らの馬です!庄内藩です!」
「庄内!?朝敵だ、逃がすな!」
軍装の男たちの顔色が変わり、一斉に林太郎に飛びかかってくる。
林太郎も刀を抜こうと柄に手をかけたが、それは叶わなかった。
パン――
一発の銃声。
林太郎がそれを聞いた時には、腹部に焼けるような痛みが走っていた。
「……っ!」
林太郎は声にならない悲鳴を上げながらも、震える手で刀を抜き、目の前にいた軍装の男に振りかざす。
しかし、林太郎の刀はカランと音を立てて地面に落ちた。
二度目の銃声は、林太郎の腕を撃ち抜いていた。
「朝敵め、死ね!」
抜刀した軍装の男が、林太郎の胸を突き刺した。
刀が林太郎の胸から抜かれ、林太郎はそのままゆっくりと地面に倒れ込んだ。
(死ぬのか……俺は……。みつと芳次郎を置いて……)
血で赤く染まった地面が、じわじわと広がっていく。
もはや林太郎に立ち上がる力は残されていなかった。
「総司……助けられなかった……」
震える唇から、掠れた声が漏れた。
消えゆく意識の中、林太郎が最後に見上げた空は―
総司と京で別れたあの日のように、青く青く澄み渡っていた。




