第十三話 江戸薩摩藩邸焼き討ち
そして、ついにその日は来てしまった。
慶応三年、十二月二十五日のことだった。
庄内藩が、薩摩藩邸への討ち入りを決断したのである。
「とうとうこうなったか……」
良之助が暗い表情で呟く。
武装した新徴組の隊士たちは、既に薩摩藩邸を取り囲んでいた。
「やはり私は気が進みません…。新徴組は江戸の人々の平和な生活を守るための組織なのに。
戦をするためじゃない」
琴は刀の柄を握り締めてそう言った。
「まあまあ、交渉が成立するかもしれませんし!
まだ戦うと決まった訳じゃない」
兵助は無理に明るい声を出していた。
「そんなん無理に決まってるだろ。俺はあいつらに早くガツンと一撃浴びせてやりたいぜ!江戸で好き勝手暴れやがって、覚悟してろよあいつら!」
織衛が血気盛んにそう叫んだ。
だが実際、織衛と同じ思いの隊士も多いようだった。もはや戦をするしないの段階ではなかった。
「おい林太郎、お前も何か喋ったらどうだ」
不意に良之助が呟く。
林太郎は良之助に名を呼ばれたのに驚き、思わず肩を大きく揺らした。
「……別に言うことがないだけだ」
蚊の鳴くような小さな声だった。
「え、まだやってたんですか!もう気使うのめんどくさいんでやめてくださいよ、それ」
兵助が大きな大きなため息を吐いた。
「なんだなんだ、喧嘩してんのか二人とも!」
織衛が玩具を見つけた子供のような笑顔になったのを見て、林太郎は恨めしそうに兵助を睨んだ。
(こいつに知られたらもっと面倒なことになる…)
「……良之助」
「何だ」
「……この前は、悪かった。
あれは自分の不甲斐なさをお前に八つ当たりしていただけだ。本心じゃない」
林太郎は頭を下げた。
それを見た良之助は、ばつが悪そうに頭をかいた。
「俺も悪かったよ。お前の気持ちも考えず、無神経なことを言った」
「いや、そんなことはない!お前は何も悪く」
「まあまあ、もういいじゃないですか。
兄上、よかったですね!ここのところずっと元気なかったですもんね」
「琴!言わなくてもいいことを言うな!」
良之助が大声を上げたのを見て、兵助も織衛も笑っていた。
林太郎も思わず吹き出した。
その時だった。
「交渉決裂だ!討ち入りを決行する!」
怒号にも似た声が響き渡った。庄内藩士の声だった。
その場の空気が一変する。
一同が心の準備をする暇もなく、背後から―
どん。
どん。
と大気を震わせる轟音が響き渡る。
大砲の音だった。
「こりゃあ、もう後戻りできねえぞ……」
先程まで薩摩を倒すと息巻いていた織衛も、思わず息を呑んだ。
放たれた砲弾は薩摩藩邸へと着弾し、木造の屋敷はたちまち炎に包まれていった。
(ついに始まってしまったか……)
林太郎はそう思わずにはいられない。
こうなってしまっては、もはや京へ行きたいなどとは口が裂けても言えなかった。
この日を機に、長く苦しい戦いが始まるのを林太郎は知っていた。
「者ども、かかれ!突入せよ!」
権十郎の声を皮切りに、刀を抜いた隊士たちが一斉に走り出す。
(ああ、総司は今何をしているのか……ちゃんと休めているだろうか……)
林太郎は走りながらも、弟を心配する気持ちはどうしても消えなかった。
「オラ、どけどけ!」
真っ先に先陣を切ったのはやはり織衛だった。
刀を抜いて構えていた薩摩藩士たちを次々と斬り捨ててていく。
「そっちさんもこんな大人数で待ち構えてたなんてよ、結局やる気だったんじゃねえかよ!」
そう言いながらも織衛は止まらない。
驚くべきことは、織衛の太刀筋は思いのほか繊細で正確であった。荒々しさの見える表情や声色とは裏腹に、的確に相手の急所を見抜き最短で仕留める。
「お前の剣って、なんかやりずらいんだよ、なっ!」
次に続いた兵助も、そう言いながら向かってきた薩摩藩士を斬る。
対してこちらは中々に激しさのある太刀筋である。
「俺は直心影流免許皆伝だからな。常人には真似できねえよ」
織衛が得意そうに鼻を鳴らした。
「ああそうですか。心配しなくても真似しないから大丈夫だよ」
兵助は呆れたような顔でそう言った。
「兵助、屈め!」
突如林太郎が叫ぶ。
兵助が咄嗟に身を縮めると、林太郎が飛び上がった。兵助の頭上を刀が風を切り、背後から追っていた薩摩藩士を切り伏せる。
「林太郎さん、左!」
兵助も動じる様子は少しも見せず、斬り合いを続ける。
ここはさすがの理心流どうしである。試衛館で共に稽古を積んできた仲間としても、互いの動きが手に取るようにわかっていた。
「理心流はどうも荒々しくていけねえや。美しさがねえ」
二人を見ていた織衛がつまらなそうに呟いた。
「理心流は実戦剣法なんだよ。見栄えよりも勝つことが」
兵助がそう言いかけた時だった。
「すみません!ちょっとそこどいてください!」
聞き慣れた声に、三人が慌てて身を引いた。
直後、長刀が捻りを上げ薩摩藩士たちがまとめて吹き飛ばされる。
琴だった。
「おいお前、危ねえじゃねえかよ!」
「ごめんなさい!でも私が得意なのは長刀なので!」
「やっぱりこの人が1番ヤバいですよね……色々な意味で」
少しも反省する様子のない琴に、兵助は冷や汗を流した。
「林太郎!向こうの方は片付いた!こっちの状況は?」
走ってやって来たのは良之助だった。
「ちょうど終わるところだ」
林太郎がそう答えた時だった。
「幕府の犬共め、死ね!」
炎の向こうからまたもや薩摩藩士たちが飛び出してきた。
「まだいやがったか!」
一目散に飛び出した織衛が振り下ろされた刀を受け止める。
「兄上、ここは私たちで十分です!林太郎さんとどこか手薄なところへ!」
「わかった、頼む。良之助、行こう」
「林太郎、どこへ行くんだ!」
「海だ」
「うみ……海?」
良之助は首を傾げたが、林太郎は知っていた。
なんせ、林太郎にとってはこの薩摩藩邸焼き討ちですら二回目なのであるから。
「薩摩の船が停まってる。奴らはそこから逃げ出す気だ」
「何だって!?早く行かなければ!
……いや、待てよ。林太郎、なぜお前はそんなことを知っている」
林太郎は一瞬しまった、と思ったが、今更もう引き返せなかった。
「……勘だ」
良之助は林太郎の答えを聞いてしばらく黙っていたが、やがてふっと吹き出した。
「はは、なんだそれ勘って。お前らしい」
「そうか」
「行こう、林太郎。お前を信じる」




