第十二話 人の命とは
林太郎はその後も京へ行く機会を見計らっていたが、なにしろ兵助が四六時中自分を見張っているので、どうすることもできなかった。
林太郎はこの間に、土方や永倉に再度手紙を出していたが、やはり返事は来ない。
京へも行けず、手紙の返事も来ない。林太郎は自身の無力さを痛感し、追い詰められていた。
そんなある日のことだった。
林太郎と同じ組の隊士が酒に酔い、街で狼藉を働いた。新徴組取締役である松平権十郎はこのことを重く受け止め、かの隊士に切腹を命じた。
その介錯役に、林太郎が選ばれたのである。
林太郎は重い腰を上げたはいいものの、あまり気が進まなかった。
(同じ組の小頭が俺だから、俺が介錯するのが道理だと、そうはわかっているんだがな……)
しかし、弟の総司は、慕っていた山南の介錯を見事にやり遂げたと言う。
兄である自分が、こんな弱音を吐いていてはいけない。林太郎はそう思っていた。
「そんなに介錯が嫌なのですか」
林太郎にそう尋ねたのは芳次郎だった。
「そんなことはない」
「顔に書いてあります」
「……そうか」
こんな時でも、芳次郎は何も変わらなかった。
林太郎は、その事実に少しだけ救われる思いがしていた。
「切腹の介錯だなんて、誰でも嫌ですよ。ねえ林太郎さん」
話に入ってきたのはみつだった。
「……そうでしょうか。介錯は苦しみを長引かせないためにするものですよね。僕は別に嫌とは思いません」
芳次郎は至極当然のようにそう言ってのけた。
林太郎は思わずため息をつく。
「そう簡単なものでもないがな」
「やってみないとわからないということでしょうか」
「まあ、そうかもしれない」
「なら、やってみたいです」
「……何だって?」
「僕がやります。介錯」
そういうことがあったので、結局例の隊士の介錯は芳次郎がすることになった。
「松平様、倅はまだ十二歳なのですが。本当に大丈夫でしょうか……やはり私が」
「まあ、見ておれ。芳次郎は肝が据わっておる、きっと見事にやってみせる。
それに剣の腕前も中々のものと聞いたぞ」
権十郎は弥一郎の一件で、芳次郎のことを見込んでいるようだった。
林太郎は、あの時のことを思い出すだけで今でも胃が痛くなるのだが。
「剣は……まぁ、そうですね。正直に申しますと、弟に近いものを感じることもあります」
林太郎は素直にそう答えた。
「お前の弟と言うと、あの沖田総司か!それは期待できるだろうな」
権十郎はそう言って笑顔を見せた。
これから目の前で切腹が行われようとしている人の顔にはとても見えなかった。
いよいよ事が始まろうとするその時でさえも、芳次郎は少しも顔色が変わらなかった。
一応、付き添いということで林太郎も芳次郎の傍にいた。
「芳次郎、大丈夫か。今からでも俺が」
「?いえ、大丈夫です。首を一発でスパっと斬ればいいんですよね」
「……そうだな」
林太郎は思わず額を押さえた。
結果的に、芳次郎は見事に介錯をやり遂げてみせた。
地面に転がった首を見ても、芳次郎は涼しい顔を崩さないままなのだから、林太郎は目眩がするようだった。
「どうだった」
「そんなに難しくなかったです」
芳次郎は部屋にごろんと寝転んでいた。
林太郎が尋ねても、顔は向こうを向いたままだ。
芳次郎はこの日は休暇を与えられていた。わずか十二歳の少年が切腹の介錯をしたのであるから、当たり前といえば当たり前だった。
「そうかい」
林太郎は半ばやけくそのような相槌をした。
(こいつは肝が据わっているどころの騒ぎではないぞ)
「でも……。もう一回は、嫌です」
「うん……そうだろうな」
「重かったです、首が。思ったよりも。
あれが人の命の重さですか」
「そうかもしれないな」
林太郎はそう答える。
林太郎は、芳次郎の声がわずかに震えているのを感じ取っていた。
「あの人は、死ぬ時に何を考えていたのでしょうか。ちゃんと、黄泉の国に行けたのかな。
……死ぬ時、苦しくなかったかな」
「ああ。それはお前が立派に介錯をしたからな。長く苦しまずに、安心して逝けたはずだ」
「なら、いいのですが……」
芳次郎の声はどんどん小さくなって、ついに静かに啜り泣く声が聞こえ始めた。
林太郎はそれを聞いているとどうしようもない気持ちになって、黙って芳次郎を抱き締めた。
「父上、僕はもうそんな歳じゃありません」
「俺からしてみれば、お前はまだまだ子供だよ。
……本当に、見事だった。頑張ったな」
芳次郎は黙って林太郎の胸に顔を埋めていた。
二人とも黙ったまま、言葉はなかった。
「……本当に芳次郎にやらせたんですか」
「ああ。あいつがやりたいと言うから」
林太郎の返答に兵助は絶句していた。
話題は切腹の介錯のことだった。
「芳次郎はまだ子供でしょう」
「そうだな。しかし俺の倅とは思えないほど見事な腕前だった。剣の才の方はやはり総司に似たらしい」
「総司に……」
兵助は独り言のように呟いて青空を見上げた。
皮肉なほどよく晴れた日だった。
「まぁ、いくらあいつでも思うところはあったらしい。しばらくは落ち込んでいた」
「……そうですか。きっと総司も辛かったでしょうね」
兵助は総司が山南の介錯をした事実を思い出していた。
「おい兵助、見てみろよ!」
そう言いながらやって来たのは織衛だった。
手には銃を持っている。
「織衛!それは……例の新しい銃か」
「ああそうだぜ!こいつはいい、前のもんとは比べ物にならないくらい狙いやすいぜ!
見てみろ、俺の手にかかれば百発百中だ!」
織衛はそう言って向こうにある的を指差した。
この頃、新徴組では最新式の銃が庄内藩により支給されていた。組内ではこれらの武器を積極的に取り入れ、訓練も行うようになっていた。
いよいよ、刀の時代が終わりを告げようとしていた。
「最近は薩摩の動きも日に日に険しくなっているからな」
屯所の奥からやって来たのは良之助だった。
林太郎は思わず顔を逸らした。あの一件以来、林太郎と良之助の間にはどこかぎこちない空気が流れていた。
「いい加減仲直りしたらどうなんです」
兵助が林太郎に小声で耳打ちをした。
「……わかっている、いちいち言うな」
林太郎も小声でそう返した。
良之助は織衛との会話でこちらには気づいていないようだった。
「私は銃よりも剣の方が信頼できますけどね」
「琴か」
「……それに、私は戦なんてしたくない」
琴は暗い表情でそう言う。視線は足元へ落ちている。
「戦かぁ。まあたしかに、僕たちが薩摩に耐えきれなくなって手を出したら……いよいよ戦になってしまうでしょうね」
兵助はそう言って小さく息を吐いた。
「んなこと言ってる場合かよ!あいつらが江戸で好き勝手暴れ回るせいで、街の連中は安心して暮らせねえんだぞ!
この前なんざ、うちの屯所にまで手出してきやがって……死人も出てる!」
織衛の言うことは概ね事実だった。
薩摩藩の狼藉、もとい挑発は日に日に勢いを増しており、もう看過できぬものとなりつつあった。
「忠篤様が一声上げてくれさえしたらなあ、俺がこの銃で奴らをぶち殺してやるからな!」
「ちょっと、少し落ち着きなよ織衛」
兵助が宥めるようにそう言った。
「忠篤様も戦は避けたいとのお考えなのだろう。だからこんなにやられても、あえて動かずにじっと堪えておられる」
そう言ったのは良之助だった。
一同は口を閉ざした。皆、わかっていることだった。
「それでも、時間の問題だろうな」
林太郎はそう言い目を閉じた。もう今更、どうにかできる話でもなかった。




