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八丈島の復讐と苦悩 ~ゲーム知識は役に立たない~  作者: 伝説の男前
第一章 帰郷

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9/13

第九話 父の最後の電話

 父が最後に話した相手を知る方法は、一つしかない。


 父のスマホだ。


 朝食の席で、春人はできるだけ何気ない声で聞いた。


「母さん。父さんのスマホって、どこにある?」


 母は、味噌汁をよそう手を止めなかった。


「解約したわよ。先週」


「解約って……誰が」


「恒一さんが。ああいう手続き、私じゃ分からないから。委任状を書いて、お願いしたの」


 春人は、箸を置いた。


「端末は? 本体はどこ?」


「……そういえば」


 母の手が、そこで初めて止まった。


「見てないわね。診療所から返してもらった荷物の中には、財布と、鍵と、腕時計と……スマホは、なかった気がする」


 父は倒れたとき、スマホを持っていなかった? 港で三十分も電話をしていた男が? それとも、誰かが抜き取った? 春人は口の中の白飯を、味のしないまま飲み込んだ。母を怖がらせないよう、それ以上は聞かなかった。だが頭の中では、警報が鳴り続けていた。


 端末は消えた。契約は解約された。父の通信の痕跡が、死後わずか二週間で、きれいに畳まれている。畳んだのは、全部、同じ人物の手だった。


 しかも、手際が良すぎる。人が死んだ後の携帯の解約なんて、普通は四十九日が過ぎて、ようやく思い出す類の手続きだ。春人の会社の同僚が父親を亡くしたときは、解約まで三か月かかったと言っていた。それを叔父は、初七日も待たずに済ませていた。悲しみの中にいる人間の速度ではない。あれは、締切のある人間の速度だった。


---


――落ち着け。データってのは、そう簡単に死なない。


 春人は自分の職場のことを考えた。ゲーム運営の現場では、ユーザーがアカウントを削除しても、サーバー側のログは法定期間、確実に残る。課金履歴、ログイン記録、チャットログ。「消えました」と「見えなくなりました」は、まったくの別物だ。携帯キャリアも同じはずだった。解約されようが端末が消えようが、七月三日の発信記録は、キャリアのサーバーに必ず生きている。


 問題は、それを見る方法だった。


 島の電器店を兼ねたキャリアの取扱店で、春人は一時間粘った。応対してくれた店員は親切だったが、結論は駐在所と同じ形をしていた。


「亡くなられた方の通話記録の開示ですか……。相続人からの請求になりますので、戸籍で相続関係を証明する書類一式と、相続人全員の同意書が要ります。それでも通話の相手先までは、基本、開示されません。開示させるなら、裁判所を通していただくことに……」


「裁判所」


「弁護士さんに相談される案件かと」


 相続人全員の同意。相続人には、母が含まれる。そして母の委任状は、二週間前、叔父の手の中にあった。


 サーバーにデータは生きている。それは確信できた。だがデータと春人の間には、戸籍と、同意書と、裁判所と、弁護士費用が横たわっていた。ゲームなら、サーバールームに潜入するミッションが始まる場面だ。現実の春人にできるのは、礼を言って、店を出ることだけだった。


 店の前の日陰で、スマホが震えた。麗奈だった。


『宮田さんの件。実家が三宅島だって、うちの師長がぽろっと言ってた。連絡先はまだ。焦らないで。あと、変な動きすると師長に気づかれるから、しばらくあたしに任せて』


最後に一言、付いていた。


『あんたはすぐ突撃するから』


 春人は苦笑して、『了解。任せる』と返した。打ってから、少し驚いた。「任せる」という言葉を、攻略でも作戦でもなく、ただの信頼として使ったのは、この島に来て初めてだった。パーティメンバーに役割を振っているのではない。麗奈にしかできないことを、麗奈が引き受けてくれた。それだけのことが、妙に心強かった。


---


 正面の壁が高いなら、別の入口を探す。


 午後、春人は父の書斎に籠もった。八畳の和室に、スチール机と、農協のカレンダーと、几帳面に紐で縛られた書類の山。父は紙の人だった。春人は請求書の束から、携帯電話の請求書を見つけ出した。


 金額だけだった。


 通話明細は「WEBでご確認いただけます」の一行。父ですら、明細は電子化されていた。そしてそのWEBアカウントは、解約と同時に消えている。


 春人が机の一番下の引き出しを開けたのは、半分、諦めかけた頃だった。


 古いタブレットが、出てきた。


 画面は無事だ。充電器も一緒に入っていた。電源を入れると、見慣れたロック画面が春人を迎えた。パスコード、六桁。


――来た。パスワードパズルだ。


 推理アドベンチャーの定番中の定番。ヒントは持ち主の人生の中にある。春人は指を動かした。父の誕生日。外れ。母の誕生日。外れ。両親の結婚記念日。外れ。船の係留番号、家の電話番号の下六桁、郵便番号。外れ、外れ、外れ。


 残り試行回数の警告が出た。あと四回で、端末は初期化される。


 春人は手を止めた。汗が、たらりと落ちた。ゲームのパスワードパズルには、必ず論理的な正解ルートがある。設計者が、解かれるために作っているからだ。だが現実のパスコードは、解かれないために作られている。総当たりは、ゲームでは攻略で、現実では破壊だった。


「……何やってるの、そんなところで」


 襖の向こうから、母が覗いていた。春人の手元を見て、母は、ああ、と息をついた。


「お父さんのタブレット。まだあったのね、それ」


「母さん、パスコード知らない? あと四回間違えると、全部消える」


「〇一〇四二一」


 母は、即答した。


「生まれ年の下二桁と、四月二十一日。お父さんの暗証番号はね、昔から全部それなの。キャッシュカードも、金庫も、全部。……あなたの誕生日よ、春人」


 春人は、画面を見たまま、動けなかった。


 七年間、電話の一本もかけてこなかった男。ゲームの仕事を「人の暇潰し」と切り捨てた男。その男の、すべての鍵が、息子の誕生日だった。


 指が震えて、二回打ち間違えそうになりながら、春人は六桁を入れた。


 画面が、開いた。


---


 アプリはほとんど入っていなかった。天気図と、潮汐表と、農協のアプリと、写真。


 そして、ホーム画面の隅に、一つだけ場違いなアイコンがあった。


 春人の会社のゲームだった。


 春人がイベント設計を担当している、あの推理ゲーム。


 起動すると、プレイヤー名の入力履歴が残っていた。「hachijo_k」。プレイ時間、四百二十時間。イベントクリア履歴、ほぼ全部。春人が徹夜で調整した去年の夏イベントも、難しすぎると炎上しかけた謎解きも、全部、最後まで解かれていた。


 攻略サイトも見ずに解いたのだろう。メモアプリに、父の字がそのまま画面写真になって残っていた。方眼紙のように几帳面な推理メモ。容疑者の相関図。時刻表のトリックの検算。そして、「この謎の作り方は、理屈っぽい。多分、春人の班の仕事」と書かれた一枚があった。


 当たりだった。それは春人がシナリオから仕掛けまで、一人で作った謎だった。


 春人は、タブレットを持ったまま、畳の上にしゃがみ込んだ。


 視界が、にじんで使い物にならなくなった。


「……なんだよ、それ」


 声が、勝手に漏れた。暇潰しだと言ったくせに。地に足をつけろと言ったくせに。四百二十時間。父は、春人が作った世界の中を、四百二十時間も歩いていた。息子が七年間帰らなかった島で、父は毎晩、息子の作った謎を解いていたのだ。


 母が、いつの間にか隣に座っていた。


「お父さんね、言ってたのよ。『わしには春人の職場は見られんが、春人の仕事は見られる』って。……変な人よね。本人に言えばいいのに」


「……言えよ、そんなの」


「言えないのよ。あなたたち、似てるから」


 母は、笑いながら泣いていた。春人が島に帰ってきてから、母が声を出して泣いたのは、それが初めてだった。葬式でも、初七日でも、母は綺麗に悲しむだけだった。畳の上で、二人はしばらく、悲しみ方の下手な家族のまま座っていた。


 だから、だと思う。


 春人が、聞くつもりのなかったことを聞いてしまったのは。


「……母さん。父さんが倒れた場所、『家だった』ことにしようって……最初に言い出したの、誰?」


 母の泣き笑いが、ゆっくりと、剥がれ落ちた。


「どうして、それ……」


「頼む。誰が言い出したのかだけ、教えてくれ」


 長い沈黙だった。廊下の柱時計が、二回、時を刻んだ。やがて母は、両手を膝の上で重ねて、小さな、しかしはっきりした声で言った。


「恒一さんよ」


 畳の目を数えるように、母は続けた。


「病院で、恒一さんに言われたの。『役場で倒れたなんて広まったら、兄さんの名誉に関わる。美咲さんも、あることないこと言われる。家で倒れたことにしましょう。それが、春人くんのためにもなる』って。……私、頭が真っ白で。恒一さんがそう言うなら、って」


 春人は、静かに息を吸った。


 叔父は言った。「美咲さんが望んだから、私はそれを守っただけだ」と。


 母は言う。「恒一さんが言い出した」と。


 二つの証言は、真正面から食い違っていた。そしてどちらかが嘘なら――夫を亡くして頭が真っ白だった女と、応接室で完璧な物語を語った男の、どちらが嘘つきかは、考えるまでもなかった。


「母さん。その話、まだ誰にも言わないで。恒一さんにも――絶対に」


「春人。あなた、何を調べてるの」


 母の目は、もう泣いていなかった。真っ直ぐに春人を見ていた。ごまかせる目ではなかった。だから春人は、一枚だけ、本当のカードを見せた。


「父さんは、家じゃなくて役場で倒れた。倒れる直前、港で誰かと三十分電話してた。その電話の最後に、俺の名前を呼んでた。……俺は、それが誰との何の電話だったのか、知りたいだけだよ」


 母は、口元を手で覆った。その指の隙間から、掠れた声が漏れた。


「電話って……あの夜の?」


「そう。九時前。三十分」


「……おかしいわ」


 母の顔から、血の気が引いていった。


「お父さん、スマホ、家に忘れていったのよ、あの夜。食卓の上に置きっぱなしで。だから私、夕飯の時間になっても連絡が取れなくて――」


 母と春人は、顔を見合わせた。


 父はあの夜、自分のスマホを持っていなかった。


 なのに父は、港で、三十分、電話をしていた。


 ――誰の電話で?


(第九話 了)


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