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八丈島の復讐と苦悩 ~ゲーム知識は役に立たない~  作者: 伝説の男前
第一章 帰郷

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第十話 事件かもしれない

 その夜、春人は自分の部屋の畳に、ノートのページを破って並べた。


 推理ゲームの終盤には「推理チャート」の画面がある。集めた証言と証拠がカードになって並び、正しく繋ぐと線が光り、真実への道筋が浮かび上がる。春人は同じことを、紙と赤ペンでやった。


 一枚目。父は自宅ではなく、役場の叔父の部屋で倒れた。隣家はサイレンを聞いていない。消防団の記録の噂も、大賀郷を指している。


 二枚目。「家で倒れたことにする」という嘘。叔父は「母が望んだ」と言い、母は「叔父が言い出した」と言う。証言は正面衝突。


 三枚目。当直看護師・宮田真帆は、父の死の翌週、失踪同然に島を出た。彼女は麗奈に言い残した。「付き添ってきたのは、奥さんじゃなかった」。


 四枚目。港の監視カメラ。七月三日の夜のデータだけが、上書きを待たずに「壊れて」いた。


 五枚目。父のスマホは葬儀直後に叔父の手で解約され、端末ごと消えた。異様な早さで。


 六枚目。源じいの証言。父は死の直前、港で三十分電話をしていた。最後に春人の名を呼び、「渡さんでくれ」か「渡してくれ」と言った。


 七枚目。父はあの夜、自分のスマホを食卓に忘れていた。


 春人は畳の上のカードを、何度も並べ替えた。


 六枚目と七枚目が、どうしても繋がらない。スマホのない男が、三十分の長電話。港に公衆電話はない。誰かに借りた? 夜の港で、誰に? それとも――。


 赤ペンが、止まった。


――二台目だ。


 父は、誰も知らない二台目の電話を持っていた。仮定すれば、全部の線が一気に通る。家に忘れたのは「表」のスマホ。港で使ったのは「裏」の電話。叔父が慌てて解約し、端末を探したのは表のスマホ。つまり叔父はまだ、裏の電話の存在を知らないか――知っていて、見つけられていない。


 そして、もう一本の線が繋がる。春人のスマホに届いた、あの匿名のショートメッセージ。データ通信用の格安SIMの番号。健一さんが倒れたのは、家じゃない。


 もし、あれが父の「裏」の電話から送られていたとしたら。


 いま、あの電話を持っているのは、誰だ。


 背筋に何かが走って、春人はペンを置いた。ここから先は、カードが足りない。


 ゲームなら、ここで「推理完成」のファンファーレが鳴るはずだった。だが目の前の七枚のカードは、光りも繋がりもせず、ただ畳の上で沈黙していた。春人には分かっていた。この七枚は、全部そろって、なお「状況証拠」ですらない。噂と、又聞きと、匿名の一行と、老人の耳。裁判どころか、駐在所の机さえ突破できない紙切れの群れだ。


現実の推理は、確信では完成しない。証明で完成する。そして証明への道は、まだ一歩も始まっていなかった。


それでも、と春人は七枚のカードを眺めながら思った。この一枚一枚が、どうやって手に入ったかを思い出せば、笑うしかなかった。港の探索では、一枚も手に入らなかった。聞き込みリストでも、想定問答ツリーでも、評判稼ぎの清掃クエストでも、ゼロ枚だった。カードをくれたのは、思い出話に付き合った隣のばあちゃんで、台本が燃えた後の麗奈で、缶コーヒーの堀内で、防波堤の源じいで、泣きながら笑った母だった。


攻略の外側でだけ、カードは増えた。この島のドロップテーブルは、最初からそういう設定だったのだ。気づくのに、二週間と、数え切れない恥がかかった。


---


 午前二時過ぎ、春人は畳の上で、いつの間にか浅い眠りに落ちていた。


 目が覚めたのは、音のせいではなかった。匂いのせいだった。


 線香の匂いがした。仏間からではなく、もっと近く。開け放した窓から入る、湿った台風の前の風に混じって、それは春人の枕元を通り過ぎた。


気配が、縁側にあった。


春人は、動けなかった。金縛りというやつかもしれなかった。心臓だけが速く、まぶたと指先は泥のように重い。薄目の視界の隅、月明かりの縁側に、誰かが座っていた。こちらに背を向けて。丸まった、日に焼けた、見間違えようのない背中だった。


――ホラーゲームなら。


鈍く回る頭の隅で、攻略知識が明滅した。ホラーゲームなら、こういうとき、振り向いてはいけない。目を合わせてはいけない。息を潜め、朝を待つ。それがセオリーだ。怪異は、認識した者に牙を剥く。


春人は、全力で首を動かした。


セオリーなんて、知ったことか。父さんなのだ。


「……父さん」


声になったかどうか、分からない。背中は、動かなかった。ただ、庭の向こう、海の方角へ、わずかに首を傾けた気がした。風が椿を鳴らし、線香の匂いが濃くなり、そして、聞こえた。声というより、風と同じ帯域の、低いひと言。


――聞け。


「え……?」


港へ行け、じゃないのか。聞け? 何を。誰に。


問い返そうとした瞬間、まぶたの重さが限界を超えた。意識が沈む間際、縁側の背中が立ち上がって、庭のほうへ下りていくのが見えた。足音は、しなかった。


次に目を開けたとき、朝だった。


縁側には誰もおらず、窓は――閉まっていた。ゆうべ、確かに開けて寝たはずの窓が。


夢だったと言われれば、そうかもしれない。金縛りの見せた幻覚だと言われれば、それまでだ。疲労と、寝不足と、四百二十時間のプレイ記録を見た夜の、都合のいい夢。理屈は、いくらでもつく。春人自身、ホラーゲームを作る側の会議で何度も言ってきたのだ。「幽霊の正体は、プレイヤーの罪悪感が一番怖い」と。


ただ、部屋にはまだ、うっすらと線香の匂いが残っていた。母はまだ起きていない。仏間の線香立てに、新しい灰は、なかった。


春人はそれ以上、考えるのをやめた。幽霊がいるかいないかは、証明できない。だが「聞け」というひと言は、確かに春人の中に残った。それで、十分だった。


---


朝食の席で、母は春人のノートを黙って見ていた。畳から居間に持ってきた、赤ペンだらけの七枚のカードを。


「……ねえ、春人。私も、思い出したことがある」


母は、味噌汁の椀を置いた。


「お通夜の晩。恒一さん、遅くまで残ってくれたでしょう。私、一度夜中に目が覚めて、お手洗いに立ったの。そうしたら、書斎に明かりがついてた」


「書斎に?」


「恒一さんがいたわ。お父さんの机の引き出しを、開けてた。私に気づいて、『兄さんの保険証券を探してあげてた』って。……そのときは、ありがたいと思ったのよ。でも」


母は、自分の指先を見つめた。


「保険証券はね、私が知ってた。仏壇の下の金庫の中。恒一さんにも、そう言ってあったの。通夜の前に」


沈黙が、食卓に落ちた。


叔父は、保険証券の場所を知っていた。知っていて、書斎の引き出しを漁っていた。探していたのは、証券ではない別の何かだ。そして春人は、父のタブレットが書斎の一番下の引き出しにあったことを思い出した。叔父はあれを見落とした。パスコードの意味も、きっと永遠に分からない。


――俺と叔父は、同じものを探してる。


父が「渡す」と言った何かを。そして叔父はまだ、それを見つけていない。だから春人を島から出したがる。捜索者は、一人でいい。


「母さん」


春人は、箸を置いて、背筋を伸ばした。この言葉を口に出すのは、初めてだった。ノートにさえ、まだ書いていなかった。口に出せば、もう戻れない気がしていたからだ。


「父さんの死は――事件かもしれない」


言った。


天井は落ちてこなかった。ファンファーレも鳴らなかった。ただ、向かいで母が、ゆっくりと、深く、うなずいた。


「……調べて」


母の声は、静かだった。


「お父さんが最後に誰と話して、何を渡そうとしてたのか。私も知りたい。……ただし、春人。約束して。無茶はしない。あなたまで、いなくならないで」


「約束する」


即答してから、春人は気づいた。攻略も、計算も、選択肢の吟味もなしに、人と約束を交わしたのは、ずいぶん久しぶりだった。


---


昼、春人は縁側から石田に電話をかけた。


「石田。俺、言ったよ。口に出した。『事件かもしれない』って」


「……遅えよ」電話の向こうで、石田が笑う気配がした。「おまえがVCでボイチャ繋いだ瞬間から、こっちはずっとそう思ってたっつうの。で? 探偵さんの次の一手は」


「宮田さんって看護師に会う。三宅島まで行くかもしれない。あと、親父の二台目の電話を探す」


「一人でか」


「麗奈がいる。堀内も、源じいも、母さんも」


言ってから、春人は自分の言葉に驚いた。二週間前、この島で春人はソロプレイヤーだった。石田は少し黙って、それから言った。


「……今抱えてる案件、盆前に納品なんだわ。終わったら、そっち行く。映像のことなら、防犯カメラの復元屋とか、多少コネがある。素材は消すな、全部残しとけ」


「え、来るのか? 島に?」


「くさや、食ってみたいしな」


軽口の形をした約束だった。電話を切ると、七月の日差しの下で、春人は少しだけ泣きそうになった。パーティ枠が、また一つ埋まった。いや――違う。仲間ってのは、枠に入れるものじゃない。来てくれるものなのだ。


---


そのとき、食卓の上で母のスマホが震えた。


画面を見た母の顔が、わずかに曇った。春人からも、通知の文面が見えた。


差出人、黒川恒一。


『美咲さん。四十九日の前に、一度、今後のことでご相談があります。この家のこと、畑のこと、そして――春人くんの、これからのことも。近いうちに伺います』


「近いうちに伺います」。相談ではなく、通告の文体だった。家のこと。畑のこと。春人のこれからのこと。叔父の言う「これから」の中に、母のこれからがどんな形で組み込まれているのか、考えると胃の底が冷えた。母は黙って画面を伏せた。伏せる前に、一瞬だけ、春人と目を合わせて。その目はもう、二週間前の、うつむくだけの目ではなかった。


窓の外で、風が強くなり始めていた。ラジオの台風情報が、進路を島に向けて、少しだけ西に修正していた。


春人はノートの最後のページを開き、七枚のカードの隣に、新しい一行を書き加えた。


【第一章・完】の位置に据えるべき一行を。


――事件かもしれない。だったら、俺は探偵になる。


ただし、と春人はペンを握り直した。ゲームの探偵にはならない。証言をアイテム扱いして、人をNPC扱いする探偵には。父さんは言ったのだ。「聞け」と。


この島の攻略法は、たぶん、そこにしかない。


(第十話 了/第一章「帰郷」完)


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