第八話 港の監視カメラ
翌朝、春人は港にいた。
南の海上に台風が生まれた、と朝のラジオが言っていた。まだ遠い。だが空の色は、もうどこか予告編めいていて、防波堤に当たる波は昨日より半音低かった。島の人間は誰も慌てていない。七月の台風は、この島では天気の一部だった。
二週間前、物置をこじ開けようとして島中の笑い者になった、あの港だ。あのときの春人は「探索パート」のつもりで来た。今日は違う。目的はただ一つ、カメラの位置の把握だった。
FPSで新しいマップが実装されたら、まずやることは決まっている。マップを歩き、視界の通る場所と通らない場所を頭に叩き込む。どこから撃たれ、どこなら見られないか。春人は港を端から端まで二往復して、ノートに簡単な地図を描いた。
カメラは、三台あった。
一台目、漁協事務所の軒下。港の出入口の道路を向いている。二台目、給油タンクの支柱。桟橋方向。三台目は製氷庫の壁の高い位置で、これが一番の当たりだった。レンズの向く先に、父の使っていたあの物置が、はっきり入っている。
もし七月三日の夜、父がこの港に来ていたなら。少なくとも一台目のカメラは、必ず父の車を捉えている。物置に寄ったなら、三台目にも映っている。
――リプレイは、嘘をつかない。
石田の言葉を胸の中で復唱して、春人は漁協事務所の引き戸に手をかけた。
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「見せられるわけがなかろう」
組合長室の男は、開口一番、そう言った。
机の上の名札には「組合長 黒川泰三」とあった。叔父より一回り年上の、日焼けした大柄な男。叔父の従兄にあたる人だと、受付の職員が小声で教えてくれた。この島で黒川の姓は、役場と漁協の両方に根を張っていた。
「防犯カメラは組合の設備だ。組合員の船と資材を守るためのもんで、あんたに見せるためのもんじゃない」
「七月三日の夜の分だけでいいんです。父が――」
「あんた、島のもんじゃないだろう」
その一言は、静かだったぶん、よく刺さった。
「七年も帰ってこなかった。健一さんの畑も継がん。それが今さら帰ってきて、島中を引っかき回して、今度は組合のカメラを見せろときた。……悪いことは言わん。母親を大事にして、早く東京へ帰りなさい」
正論と偏見が半々に練り込まれた言葉には、反論の取っかかりがなかった。春人は頭を下げて、組合長室を出た。
廊下で、若い職員とすれ違った。職員は春人と目が合うと、気まずそうに視線を外した。中学の頃、体育館の裏でカードゲームを教えた後輩だと、遅れて気づいた。名前は、思い出せなかった。七年は、そういう長さだった。
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正面が駄目なら、搦め手だ。
ゲームの発想で言えば、ここからは「評判システム」の攻略になる。オープンワールドのゲームには、派閥への貢献度を上げると施設に入れるようになる仕組みがある。ソーシャルゲームなら、ギルドに貢献ポイントを貯めれば、上位メンバーの装備を借りられる。
春人はその日の午後、港の清掃を始めた。
誰に頼まれたわけでもなく、軍手を買い、流れ着いたロープや発泡スチロールを拾い、防波堤沿いのゴミを袋に詰めた。汗だくで働けば、誰かが見ている。好感度は、行動で稼ぐ。それがゲームの鉄則だった。
三時間後、春人が得たものは、日焼けと、軽い熱中症と、遠巻きの視線だけだった。
「……何あれ。健一さんとこの息子、今度は何のつもりだ」
「カメラ見せてもらえなかった腹いせか?」
「点数稼ぎだろう。わかりやすいことで」
風に乗って届く声に、春人は袋を握りしめた。
ゲームの世界で、清掃クエストは確実に評判値を上げる。行動と報酬が、システムで保証されている。だが現実の島では、行動の意味を決めるのは本人ではなく、見ている側だった。七年の不在と二週間の悪評というマイナス補正の前では、善行はすべて「下心」に変換される。三時間の労働の経験値は、ゼロどころか、マイナスだった。
日が傾いた頃、堀内が軽トラで通りかかって、呆れ顔で春人を拾った。
「おまえなあ……。港の掃除なんて、組合の年寄り連中が縄張りでやってんだよ。よそもんが勝手にやったら、あてつけだと思われるっつうの」
「……もう、何も分かんねえよ、この島のルール」
「攻略本はねえからな、島には」
堀内は笑って、それから真顔になった。
「カメラの件な。おれも気になって、組合の同期にそれとなく聞いたんだ。……春人。あの録画機、保存期間は二週間だ。古いのから順に上書きされる」
春人は、頭の中で日数を数えた。七月三日の夜から、今日で――十三日。
「明日には消えるってことか!?」
「ああ。だから急いで、駐在さんに相談しろ。事件の可能性があるなら、警察から保全を頼んでもらうのが筋だ」
春人はその足で駐在所へ走った。顔なじみになってしまった駐在は、話を最後まで聞いてくれた。聞いた上で、静かに首を振った。
「気持ちは分かる。だがね、春人くん。死亡診断書が出ている。死因は病死。事件性を示すものが何一つない状態で、警察が民間の防犯カメラの映像を保全する根拠はないんだよ。……匿名のメールが来た、隣のばあちゃんがサイレンを聞かなかった、看護師さんが辞めた。全部、『事件』の証拠じゃない。分かるね?」
手続きというものが、これほど高い壁だとは知らなかった。ゲームの警察は、証拠を持っていけば必ず動いてくれた。現実の警察は、証拠がなければ動けない。そして証拠は、明日、上書きされて消える。
その夜、麗奈から短いメッセージが届いた。
『カメラ、だめだったって聞いた。ごはん食べてる?』
もう耳に入っているのか、と苦笑してから、春人は気づいた。以前の自分なら、この一通を「好感度イベントの発生」として処理していた。今は、ただ、あたたかかった。『食べてる。ありがとう』とだけ返した。選択肢は、考えなかった。それから思い直して、もう一通打った。『宮田さんの連絡先、心当たりがあったら教えてほしい。危ないことは頼まない。ただ、無事かどうかだけ知りたい』。既読はすぐについたが、返事は、その夜は来なかった。
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翌日の昼、堀内から電話が来た。声が、硬かった。
「……春人。妙なことになった」
「消えたのか。上書きで」
「いや。それがな」
堀内は、少し言いよどんだ。
「同期のやつが、今朝、こっそり確認してくれたんだ。そしたら――七月三日の夜のデータだけ、ない」
「……ない?」
「三日の朝までは残ってる。四日の朝からも残ってる。三日の午後六時から四日の午前二時までだけ、ファイルが壊れてるんだと。機械の不具合だろうって、組合じゃ誰も気にしてない。けどな、おれは重機とかポンプとか、機械相手の仕事だから分かる。機械の不具合ってのは、こんなに行儀よく壊れねえんだよ」
電話を握る春人の手が、冷たくなった。
上書きを待つまでもなく、あの夜は、もう消されていた。それも、春人が騒ぎ始めるずっと前に。ホラーゲームで、要のセーブデータだけが破損している演出があった。あれはプレイヤーを怖がらせる演出だ。現実のデータ破損は、演出ではなく、意思だった。
誰が消せる? 録画機に触れる人間。組合の建物に出入りできる人間。組合長の縁者なら、たやすい。
だが同時に、それは奇妙な福音でもあった。
――消す必要のない映像を、消す人間はいない。
あの夜の港には、消さなければならない何かが、映っていたのだ。
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夕方、春人は防波堤の先端にいた。悔しさの持って行き場がなくて、海を見ていた。
「若いの。しけた面だな」
振り向くと、源じいが立っていた。ゴムの前掛けに、片手にバケツ。父の一番古い友人は、春人の隣に、よっこらしょ、と腰を下ろした。
「カメラ、消されたんだってな」
「……もう耳に入ってるんですか」
「島だからな」源じいは、にっと笑った。歯が二本なかった。「あの晩の映像、欲しかったか」
「欲しかったです。あの夜、親父がここに来てたかどうか。それが分かれば――」
「来とったよ」
源じいは、こともなげに言った。
春人は、源じいの横顔を凝視した。
「見とったんですか、あの夜を」
「見とった、というほどのもんでもない」源じいはバケツを足元に置いた。「わしはあの晩、船の様子を見に来とった。台風の前は、いつもそうする。九時前だ。健一さんの車が入ってきて、そこの街灯の下に停まった」
「なんで……今まで、黙って」
「聞かれなんだからな」源じいは海を見たまま言った。「それにな、若いの。あんた最初の頃、島中に『質問』をばら撒いとったろう。ああいうやり方の人間に話すと、話がどこへ転がるか分からん。わしは健一さんの友達だ。健一さんの話は、健一さんの息子の顔になった奴にしか、せん」
息子の顔になった奴。その言い方の意味を問い返す前に、源じいは続けた。
源じいは、曲がった指で、防波堤の付け根を指した。
「物置には行かなんだ。車から降りて、海っぱたに立って――長いこと、電話しとった」
「電話……」
「三十分は話しとったかな。何の話かまでは知らんよ。わしは盗み聞きの趣味はない。だがな」
源じいは、そこで初めて、春人の目を見た。皺の奥の目は、笑っていなかった。
「最後だけは、聞こえちまった。健一さん、でかい声を出したからな。……『春人に』、と言っとった」
心臓が、止まった気がした。
「『春人には、渡さんでくれ』だったか、『春人に、渡してくれ』だったか。風が強くてな、そこまでは聞き取れなんだ。だが、あんたの名前だったことだけは、確かだ」
渡さないでくれ、なのか。渡してくれ、なのか。
正反対の二つの文の間で、春人は言葉を失っていた。何を? 誰に? 父は死の直前、電話の向こうの誰かと、春人について何の話をしていた?
「源じいさん。それ、他の誰かに話しましたか」
「話すもんか」源じいはバケツを持って立ち上がった。「わしはな、カメラより忘れっぽいが、カメラと違って、消されんよ」
そう言って、源じいはゆっくりと歩き去った。
一人残された春人は、震える手でスマホを取り出し、七月三日の通話履歴を確認した。何度も確認した履歴だ。あの日、父からの着信はない。発信もない。父が三十分話した相手は、春人ではない。
なのに父は、その電話の最後に、春人の名前を叫んだ。
夜の海が、防波堤に低い音を立てていた。
――父さん。あんたが最後に話した相手は、誰だ。
そして「渡す」ものとは、何だ。
(第八話 了)




