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八丈島の復讐と苦悩 ~ゲーム知識は役に立たない~  作者: 伝説の男前
第一章 帰郷

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8/13

第八話 港の監視カメラ

 翌朝、春人は港にいた。


 南の海上に台風が生まれた、と朝のラジオが言っていた。まだ遠い。だが空の色は、もうどこか予告編めいていて、防波堤に当たる波は昨日より半音低かった。島の人間は誰も慌てていない。七月の台風は、この島では天気の一部だった。


 二週間前、物置をこじ開けようとして島中の笑い者になった、あの港だ。あのときの春人は「探索パート」のつもりで来た。今日は違う。目的はただ一つ、カメラの位置の把握だった。


 FPSで新しいマップが実装されたら、まずやることは決まっている。マップを歩き、視界の通る場所と通らない場所を頭に叩き込む。どこから撃たれ、どこなら見られないか。春人は港を端から端まで二往復して、ノートに簡単な地図を描いた。


 カメラは、三台あった。


 一台目、漁協事務所の軒下。港の出入口の道路を向いている。二台目、給油タンクの支柱。桟橋方向。三台目は製氷庫の壁の高い位置で、これが一番の当たりだった。レンズの向く先に、父の使っていたあの物置が、はっきり入っている。


 もし七月三日の夜、父がこの港に来ていたなら。少なくとも一台目のカメラは、必ず父の車を捉えている。物置に寄ったなら、三台目にも映っている。


 ――リプレイは、嘘をつかない。


 石田の言葉を胸の中で復唱して、春人は漁協事務所の引き戸に手をかけた。


---


「見せられるわけがなかろう」


 組合長室の男は、開口一番、そう言った。


 机の上の名札には「組合長 黒川泰三」とあった。叔父より一回り年上の、日焼けした大柄な男。叔父の従兄にあたる人だと、受付の職員が小声で教えてくれた。この島で黒川の姓は、役場と漁協の両方に根を張っていた。


「防犯カメラは組合の設備だ。組合員の船と資材を守るためのもんで、あんたに見せるためのもんじゃない」


「七月三日の夜の分だけでいいんです。父が――」


「あんた、島のもんじゃないだろう」


 その一言は、静かだったぶん、よく刺さった。


「七年も帰ってこなかった。健一さんの畑も継がん。それが今さら帰ってきて、島中を引っかき回して、今度は組合のカメラを見せろときた。……悪いことは言わん。母親を大事にして、早く東京へ帰りなさい」


 正論と偏見が半々に練り込まれた言葉には、反論の取っかかりがなかった。春人は頭を下げて、組合長室を出た。


 廊下で、若い職員とすれ違った。職員は春人と目が合うと、気まずそうに視線を外した。中学の頃、体育館の裏でカードゲームを教えた後輩だと、遅れて気づいた。名前は、思い出せなかった。七年は、そういう長さだった。


---


 正面が駄目なら、搦め手だ。


 ゲームの発想で言えば、ここからは「評判システム」の攻略になる。オープンワールドのゲームには、派閥への貢献度を上げると施設に入れるようになる仕組みがある。ソーシャルゲームなら、ギルドに貢献ポイントを貯めれば、上位メンバーの装備を借りられる。


 春人はその日の午後、港の清掃を始めた。


 誰に頼まれたわけでもなく、軍手を買い、流れ着いたロープや発泡スチロールを拾い、防波堤沿いのゴミを袋に詰めた。汗だくで働けば、誰かが見ている。好感度は、行動で稼ぐ。それがゲームの鉄則だった。


 三時間後、春人が得たものは、日焼けと、軽い熱中症と、遠巻きの視線だけだった。


「……何あれ。健一さんとこの息子、今度は何のつもりだ」


「カメラ見せてもらえなかった腹いせか?」


「点数稼ぎだろう。わかりやすいことで」


 風に乗って届く声に、春人は袋を握りしめた。


 ゲームの世界で、清掃クエストは確実に評判値を上げる。行動と報酬が、システムで保証されている。だが現実の島では、行動の意味を決めるのは本人ではなく、見ている側だった。七年の不在と二週間の悪評というマイナス補正の前では、善行はすべて「下心」に変換される。三時間の労働の経験値は、ゼロどころか、マイナスだった。


 日が傾いた頃、堀内が軽トラで通りかかって、呆れ顔で春人を拾った。


「おまえなあ……。港の掃除なんて、組合の年寄り連中が縄張りでやってんだよ。よそもんが勝手にやったら、あてつけだと思われるっつうの」


「……もう、何も分かんねえよ、この島のルール」


「攻略本はねえからな、島には」


 堀内は笑って、それから真顔になった。


「カメラの件な。おれも気になって、組合の同期にそれとなく聞いたんだ。……春人。あの録画機、保存期間は二週間だ。古いのから順に上書きされる」


 春人は、頭の中で日数を数えた。七月三日の夜から、今日で――十三日。


「明日には消えるってことか!?」


「ああ。だから急いで、駐在さんに相談しろ。事件の可能性があるなら、警察から保全を頼んでもらうのが筋だ」


 春人はその足で駐在所へ走った。顔なじみになってしまった駐在は、話を最後まで聞いてくれた。聞いた上で、静かに首を振った。


「気持ちは分かる。だがね、春人くん。死亡診断書が出ている。死因は病死。事件性を示すものが何一つない状態で、警察が民間の防犯カメラの映像を保全する根拠はないんだよ。……匿名のメールが来た、隣のばあちゃんがサイレンを聞かなかった、看護師さんが辞めた。全部、『事件』の証拠じゃない。分かるね?」


 手続きというものが、これほど高い壁だとは知らなかった。ゲームの警察は、証拠を持っていけば必ず動いてくれた。現実の警察は、証拠がなければ動けない。そして証拠は、明日、上書きされて消える。


 その夜、麗奈から短いメッセージが届いた。


『カメラ、だめだったって聞いた。ごはん食べてる?』


 もう耳に入っているのか、と苦笑してから、春人は気づいた。以前の自分なら、この一通を「好感度イベントの発生」として処理していた。今は、ただ、あたたかかった。『食べてる。ありがとう』とだけ返した。選択肢は、考えなかった。それから思い直して、もう一通打った。『宮田さんの連絡先、心当たりがあったら教えてほしい。危ないことは頼まない。ただ、無事かどうかだけ知りたい』。既読はすぐについたが、返事は、その夜は来なかった。


---


 翌日の昼、堀内から電話が来た。声が、硬かった。


「……春人。妙なことになった」


「消えたのか。上書きで」


「いや。それがな」


 堀内は、少し言いよどんだ。


「同期のやつが、今朝、こっそり確認してくれたんだ。そしたら――七月三日の夜のデータだけ、ない」


「……ない?」


「三日の朝までは残ってる。四日の朝からも残ってる。三日の午後六時から四日の午前二時までだけ、ファイルが壊れてるんだと。機械の不具合だろうって、組合じゃ誰も気にしてない。けどな、おれは重機とかポンプとか、機械相手の仕事だから分かる。機械の不具合ってのは、こんなに行儀よく壊れねえんだよ」


 電話を握る春人の手が、冷たくなった。


 上書きを待つまでもなく、あの夜は、もう消されていた。それも、春人が騒ぎ始めるずっと前に。ホラーゲームで、要のセーブデータだけが破損している演出があった。あれはプレイヤーを怖がらせる演出だ。現実のデータ破損は、演出ではなく、意思だった。


 誰が消せる? 録画機に触れる人間。組合の建物に出入りできる人間。組合長の縁者なら、たやすい。


 だが同時に、それは奇妙な福音でもあった。


 ――消す必要のない映像を、消す人間はいない。


 あの夜の港には、消さなければならない何かが、映っていたのだ。


---


 夕方、春人は防波堤の先端にいた。悔しさの持って行き場がなくて、海を見ていた。


「若いの。しけた面だな」


 振り向くと、源じいが立っていた。ゴムの前掛けに、片手にバケツ。父の一番古い友人は、春人の隣に、よっこらしょ、と腰を下ろした。


「カメラ、消されたんだってな」


「……もう耳に入ってるんですか」


「島だからな」源じいは、にっと笑った。歯が二本なかった。「あの晩の映像、欲しかったか」


「欲しかったです。あの夜、親父がここに来てたかどうか。それが分かれば――」


「来とったよ」


 源じいは、こともなげに言った。


 春人は、源じいの横顔を凝視した。


「見とったんですか、あの夜を」


「見とった、というほどのもんでもない」源じいはバケツを足元に置いた。「わしはあの晩、船の様子を見に来とった。台風の前は、いつもそうする。九時前だ。健一さんの車が入ってきて、そこの街灯の下に停まった」


「なんで……今まで、黙って」


「聞かれなんだからな」源じいは海を見たまま言った。「それにな、若いの。あんた最初の頃、島中に『質問』をばら撒いとったろう。ああいうやり方の人間に話すと、話がどこへ転がるか分からん。わしは健一さんの友達だ。健一さんの話は、健一さんの息子の顔になった奴にしか、せん」


 息子の顔になった奴。その言い方の意味を問い返す前に、源じいは続けた。


 源じいは、曲がった指で、防波堤の付け根を指した。


「物置には行かなんだ。車から降りて、海っぱたに立って――長いこと、電話しとった」


「電話……」


「三十分は話しとったかな。何の話かまでは知らんよ。わしは盗み聞きの趣味はない。だがな」


 源じいは、そこで初めて、春人の目を見た。皺の奥の目は、笑っていなかった。


「最後だけは、聞こえちまった。健一さん、でかい声を出したからな。……『春人に』、と言っとった」


 心臓が、止まった気がした。


「『春人には、渡さんでくれ』だったか、『春人に、渡してくれ』だったか。風が強くてな、そこまでは聞き取れなんだ。だが、あんたの名前だったことだけは、確かだ」


 渡さないでくれ、なのか。渡してくれ、なのか。


 正反対の二つの文の間で、春人は言葉を失っていた。何を? 誰に? 父は死の直前、電話の向こうの誰かと、春人について何の話をしていた?


「源じいさん。それ、他の誰かに話しましたか」


「話すもんか」源じいはバケツを持って立ち上がった。「わしはな、カメラより忘れっぽいが、カメラと違って、消されんよ」


 そう言って、源じいはゆっくりと歩き去った。


 一人残された春人は、震える手でスマホを取り出し、七月三日の通話履歴を確認した。何度も確認した履歴だ。あの日、父からの着信はない。発信もない。父が三十分話した相手は、春人ではない。


 なのに父は、その電話の最後に、春人の名前を叫んだ。


 夜の海が、防波堤に低い音を立てていた。


 ――父さん。あんたが最後に話した相手は、誰だ。


 そして「渡す」ものとは、何だ。


(第八話 了)


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