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八丈島の復讐と苦悩 ~ゲーム知識は役に立たない~  作者: 伝説の男前
第一章 帰郷

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第七話 役場

 初七日の法要は、滞りなく進んだ。


 滞りなさすぎる、と春人は思った。


 僧侶の手配も、仕出しの注文も、親戚への連絡も、すべて叔父がやった。座敷の上座に近い場所に叔父は座り、酌をして回り、亡き兄の思い出を語って親戚たちを笑わせ、泣かせた。喪主は母のはずだった。だが誰の目にも、この場を運営しているのが誰かは明らかだった。


 「健一兄さんは、不器用な人でした。島のことになると、誰よりも頑固でね」


 叔父の弔辞めいた挨拶は、うまかった。うますぎた。春人はゲーム会社のシナリオ会議を思い出していた。よくできた台詞は、感情から生まれたものと、設計から生まれたものの二種類がある。プロなら聞き分けられる。叔父の言葉は、全部、後者だった。


 そして挨拶の締めに、叔父はさらりと言ったのだ。


「春人くんも、明日には東京へ戻ります。あちらで立派に働いておりますので、どうか皆さん、安心してやってください」


 親戚たちが、一斉にうなずいた。よかったよかった、若い人は仕事が一番、美咲さんのことは恒一さんがいてくれるから――。


 春人は、盃を持ったまま固まっていた。


 戻るなんて、一度も言っていない。だが座敷の空気は、もう「決定事項」として流れ始めていた。会議で発言する前に議事録が配られていた、という感覚だった。異は、唱えられなかった。この場で唱えれば、悲しむ親戚の前で叔父に恥をかかせる「出来の悪い息子」が完成するだけだ。それすらも計算のうちなのだと、春人は盃の水面を見ながら理解した。


 母は、末席で、ずっとうつむいていた。


---


 翌朝、春人は東京へ戻らなかった。


 台所で、母が春人の湯呑みにお茶を注ぎながら、聞いた。


「船、何時の?」


「乗らない」


 母の手が、止まった。


「会社には、休職を伸ばすって連絡した。……もう少し、ここにいる」


 母は何か言いかけて、結局、言わなかった。ただ、注ぎ終えた急須を置くとき、その手つきがほんの少しだけ、丁寧になった気がした。怒っているのか、安堵しているのか、春人には読めなかった。人間の感情には、ステータス画面がない。母のような静かな人の場合は、なおさらだった。


 喪服をハンガーに掛け、一番まともなシャツに着替えて、春人は大賀郷の役場へ向かった。


 バスに揺られながら、頭の中で最終確認をする。これはボス戦だ。準備はしてきた。


 手札は三枚。一枚目、父が倒れたのは自宅ではなく大賀郷であること。二枚目、診療所に付き添ったのが叔父であること。三枚目、当直看護師・宮田真帆の失踪同然の退職。


カードゲームの鉄則で言えば、切り札は最後まで伏せる。相手の手札を読み、小さいカードから切って反応を見る。想定問答は昨夜のうちにツリー図にした。叔父が否定したらAルート、はぐらかしたらBルート、逆質問してきたらCルート。どのルートを通っても、最後は三枚目のカードで詰む――はずだった。


 役場の受付で名乗ると、驚いたことに、待たされもしなかった。


「伺っております。応接室へどうぞ」


 ――伺っております?


 アポは取っていない。つまり叔父は、春人が来ることを予測していた。対戦が始まる前から、こちらのデッキレシピが割れている。春人の背中を、冷たいものが伝った。


---


 応接室の叔父は、上着を脱いだシャツ姿で、自らお茶を淹れた。


「よく来たね。昨日は疲れたろう」


「……単刀直入に聞きます」


 春人は、一枚目を切った。


「父さんが倒れたのは、家じゃない。この大賀郷だ。違いますか」


 想定ツリーのAルート、否定からの追い込みを春人は待った。Bルートのはぐらかしでもいい。どちらでも次の手は用意してある。


 叔父は、湯呑みを置いた。そして言った。


「ああ、その通りだよ。兄さんが倒れたのは、この役場の、私の部屋だ」


「…………は?」


「隠していてすまなかった。いつか君には話さなきゃと思っていた」


 ツリーが、根元から消えた。用意したどのルートにも、「あっさり全部認める」という枝はなかった。


「あの夜、兄さんは仕事終わりに私を訪ねてきた。土地のことで相談があるといってね。話しているうちに、急に胸を押さえて倒れた。私はすぐに救急車を呼んで、診療所まで付き添った。……間に合わなかったが」


「じゃあ、なんで」声がかすれた。「なんで『家で倒れた』なんて話になってるんだ」


「美咲さんが、そう望んだからだよ」


 叔父は、痛ましそうに目を伏せた。完璧な角度だった。


「考えてごらん。夫が夜、義弟の職場で倒れて死んだ――この島でそれがどう噂になるか。兄弟で揉めてたんじゃないか、金の話じゃないか、女房は何をしてたんだ。噂はね、春人くん、この島では天気と同じだ。防げない。だから美咲さんに頼まれたんだ。『家で倒れたことにしてください』と。私はそれを守っただけだ。死亡診断書の死因は心筋梗塞。どこで倒れようと、医学的には何も変わらないからね」


 筋が、通っていた。


 恐ろしいほど、通っていた。優しさと合理性でできた、継ぎ目のない物語。しかもその物語の中では、嘘の発案者は母であり、叔父は義姉を守った善人だった。春人が母を問い詰めれば、母を傷つける。物語の構造そのものが、盾になっていた。


 ――ゲームなら。


 推理ゲームなら、証拠を突きつければ相手は動揺する。汗をかき、目が泳ぎ、音楽が変わり、HPバーが削れる。現実のボスは、証拠を突きつけられると、笑って自分の物語に組み込むのだ。ダメージ表示は、出ない。むしろ削られたのはこちらだった。


 焦りが、春人に三枚目のカードを早出しさせた。


「……宮田真帆さんは、なんで島を出たんですか」


 言った瞬間、後悔した。


 叔父の目が、一瞬――ほんの一瞬だけ、温度を失った。笑みも声も何一つ変わらなかったのに、目の奥のシャッターが下りて、上がった。○・五秒。見間違いと言われれば、それまでの長さ。


「……ああ、診療所の。辞めたのか。それは知らなかったな。職員のことは診療所の管轄だから」


「そうですか」


「春人くん」


 叔父は、湯呑みを両手で包んだ。声が、一段深くなった。


「美咲さんから聞いてるよ。君、ずいぶん根を詰めてるそうだね。ゲームを作る仕事は、大変なんだろう。現実と、その、作りものの話の区別が――いや、失礼。こういう言い方はよくないな。ただ、心配してるんだ。兄さんの死を受け入れるのがつらいのは分かる。でもそれを『事件』にしてしまうのは、悲しみの逃げ場としては、少し危ういと思うよ」


 春人は、拳を握った。


 反論の言葉は、いくらでも喉まで来ていた。だがどの言葉も、口に出した瞬間に「ほら、やっぱり混乱してる」という証拠として回収されることが分かっていた。この部屋では、怒りも、沈黙も、すべて相手の得点になる。


「……お茶、ごちそうさまでした」


 立ち上がった春人の背中に、叔父は最後の一手を打った。


「美咲さんのことは心配いらない。この家のことも、畑のことも、これからは私が支えるから。――兄さんの分まで、ね」


 振り向かなかった。振り向いたら、何を言うか、自分でも分からなかった。


 廊下を歩きながら、春人は敗因を数えた。格闘ゲームで完封負けしたときの癖だった。リプレイを見返し、どこで読み負けたかを特定する。だが今回は、見返すまでもなかった。読み合い以前の問題だ。相手はこちらの手札を全部知っていて、こちらは相手のデッキを一枚も知らなかった。それどころか――春人はぞっとしながら気づいた――宮田の名前を出したことで、こちらから一枚、進呈までしてしまった。


 もし宮田真帆が、まだどこかで何かを知っているのなら。あの○・五秒のシャッターの奥で、叔父はもう、次の手を打ち始めているかもしれない。自分の軽率さが、会ったこともない人を危険に晒したのかもしれなかった。ゲームで悪手を打っても、傷つくのは自分の順位だけだった。現実の悪手は、他人の人生に着弾する。


---


 役場前のバス停で、春人は石田に電話をかけた。


 東京の親友は、三コール目に出た。背後で映像編集ソフトの書き出し音が鳴っている。


「おう、島はどうよ。くさや食ったか」


 石田とは専門学校からの付き合いだった。春人がゲームに進み、石田は映像に進んだ。ジャンルは違っても、画面の中に世界を作る人間同士、通じるものがあった。何より石田は、春人の知る限り唯一、春人の「ゲームなら」という話を馬鹿にせず、かといって真に受けもしない男だった。


「石田。俺、今日、負けた」


 春人は、全部話した。父の死。幽霊。港。噂。麗奈。そして今日の完敗。石田は茶化さずに、最後まで聞いた。聞き終えて、一言だけ言った。


「……春人。おまえの話、証拠が全部『人の記憶』だな。ばあちゃんの耳、先輩看護師の伝言、同級生の又聞き。そういうのは、その日のうちに上書きされるぞ。おまえの叔父さん、今ごろもう上書き作業に入ってると思うわ。映像屋として言うけどな」


 石田は、そこで少し黙った。


「――記憶より、記録だ。上書きできないやつを探せ」


「上書き、できないやつ」


「カメラだよ。防犯カメラ。今どき港でも役場でも、どっかにはある。おまえFPSやり込んでたろ。撃ち合いの真実はどこにある? キルカメラだろ。リプレイは、嘘をつかない」


 電話を切って、春人は立ち尽くした。


 ゲーム脳が、島に来て初めて、正しい方向を指した気がした。いや――正確には、ゲーム脳の親友が、だが。


 あの夜の父を、リプレイできる場所。


 父は役場に来る前、どこかを通ったはずだ。三根の家から大賀郷へ。その道筋に、遺品の紙の一行が重なる。港へ行け。もし父があの夜、港に寄っていたなら。港には漁協の建物があり、堀内の消防団の詰所があり、そして――監視カメラがある。


 春人はバスに乗らず、歩き出した。


 振り返ると、役場の二階の窓に、人影が見えた。距離があって、表情までは分からない。ただ、その影が春人の方を向いていることだけは、分かった。


 ――見てろよ。


 記憶は、あんたが上書きできる。島の全部が、あんたの味方だ。


 でも、リプレイは嘘をつかない。


(第七話 了)

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