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『私を捨てたアラフィフ男は、20歳の女に一億円を貢いだ』  作者: こうた


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第9話 あなたより、若さを選んだ



「話がある」


としおからそう言われたのは、土曜日の夕方だった。


ひとみは待ち合わせ場所へ向かった。


最近、としおの様子がおかしい。


連絡は減った。


会う回数も減った。


結婚の話もしなくなった。


それでも、ひとみは信じていた。


「仕事が大変なんだ」


そう思っていた。


あれだけ優しかった人だ。


あれだけ自分を大切にしてくれた人だ。


簡単に変わるはずがない。


そう信じたかった。


---


喫茶店に入る。


としおは先に来ていた。


「久しぶり」


ひとみが笑う。


「うん」


しかし、としおは笑わなかった。


「どうしたの?」


「……ひとみ」


「うん」


「結婚のことなんだけど」


その言葉を聞いて、ひとみは少し安心した。


「うん」


ようやく話してくれる。


そう思った。


しかし――


「やめようと思う」


「……え?」


一瞬、意味が分からなかった。


「何を?」


「結婚」


ひとみは黙った。


「どうして?」


「いろいろ考えたんだ」


「何を?」


「僕たち、合わないと思う」


「……合わない?」


「うん」


「どうして急に?」


「急じゃない」


としおは視線を逸らした。


「ずっと考えてた」


「いつから?」


「……最近」


「最近っていつ?」


「ひとみ」


「私、何かした?」


「そうじゃない」


「じゃあ、どうして?」


としおは答えなかった。


ひとみの胸が苦しくなる。


「他に好きな人がいるの?」


沈黙。


その沈黙だけで、答えは分かった。


「……いるんだ」


「ごめん」


その一言で、ひとみの中の何かが崩れた。


---


「いつから?」


「……しばらく前」


「私と付き合っているとき?」


としおは答えなかった。


「付き合っているときからなの?」


「ごめん」


「その人、何歳?」


ひとみは聞いた。


としおは黙った。


「何歳なの?」


「……二十歳」


ひとみは息を呑んだ。


自分とは、あまりにも違う。


「二十歳……」


声が震えた。


「その人が好きなの?」


「……うん」


「私より?」


としおは答えなかった。


その沈黙が答えだった。


ひとみの目から涙が落ちた。


「私と結婚するって言ってたよね」


「言った」


「子どもが欲しいって」


「……うん」


「家を探したよね」


「覚えてる」


「お母さんにも会ったよね」


「……ごめん」


「ごめんじゃ分からないよ!」


初めて、ひとみが声を荒らげた。


店内の視線が集まる。


ひとみは涙を拭った。


「私、何だったの?」


「……」


「あなたが幸せになるための練習だったの?」


「違う」


「じゃあ何?」


「本当に好きだった」


「過去形なんだ」


としおは黙った。


「……そうなんだ」


ひとみは笑った。


泣きながら。


「私、本当に馬鹿だね」


「ひとみ……」


「信じてた」


「……」


「あなたなら、ずっと私を大切にしてくれると思ってた」


としおは何も言えなかった。


---


店を出る。


外はもう暗かった。


ひとみは歩きながら、何度も涙を拭った。


「ねえ、としおさん」


「……なに?」


「最後に一つだけ聞いていい?」


「うん」


「その人は、あなたのお金を知ってるの?」


としおの顔が固まった。


ひとみはそれを見逃さなかった。


「知ってるんだ」


「……少しだけ」


「そう」


ひとみは目を伏せた。


「私、一度もあなたのお金を聞かなかったよね」


「……うん」


「いくら持ってるのかも、何を買えるのかも、興味なかった」


「分かってる」


「私はあなたと普通に暮らしたかった」


「分かってるよ」


「でも、その人は?」


としおは答えなかった。


ひとみは静かに言った。


「あなたが選んだんだよね」


「……うん」


「じゃあ、もう何も言わない」


それが最後だった。


二人は別れた。


---


その夜。


としおのスマートフォンが鳴った。


彼女からだった。


――どうだった?


としおは返信する。


――別れた。


すぐに返信が来る。


――本当に?


――うん。


――私のため?


その言葉を見て、としおは笑った。


――そうだよ。


――嬉しい。


――今から会える?


としおは迷わなかった。


――行く。


ひとみとの約束。


結婚。


家。


子ども。


全部を捨てた。


その代わりに――


若い女性の「好き」を選んだ。


---


待ち合わせ場所に行くと、彼女が走ってきた。


「としおさん!」


そして抱きつく。


「本当に別れたんだ」


「ああ」


「ありがとう」


「……何が?」


「私のために」


その言葉を聞いて、としおは胸を張った。


「俺は本気だから」


彼女は笑った。


「じゃあ、私も本気」


その言葉を聞いた瞬間。


としおは思った。


「これでいい」


ひとみより、この女性を選んだ。


自分は若い女性から愛される男になった。


もう昔の自分ではない。


---


それから、としおの生活は変わった。


服。


時計。


車。


高級レストラン。


ホテル。


旅行。


プレゼント。


彼女が欲しいと言ったものは、できるだけ買った。


月に数十万円。


時には百万円を超える。


それでも、としおは気にしなかった。


「まだ金はある」


それが口癖になった。


---


ある日。


銀行の担当者から連絡があった。


「最近、大きなお支払いが続いておりますが、大丈夫でしょうか」


「問題ありません」


「かなりの金額になっていますので……」


「大丈夫です」


電話を切る。


残高を見る。


以前、一億円近くあった資産は、少しずつ減っていた。


それでも数千万円以上残っている。


「まだある」


としおは呟いた。


だが――


以前とは明らかに違っていた。


減る速度が速い。


そして彼女は、さらに欲しいものを言い始めた。


「海外旅行行きたい」


「いいよ」


「高級車も欲しい」


「考えよう」


「ブランドの時計も欲しい」


「買おう」


「マンションに住みたい」


「……」


そこだけ、としおは黙った。


マンション。


数千万円。


さすがに大きい。


彼女は笑った。


「無理?」


「いや……」


「としおさん、お金持ちなんでしょ?」


「……そうだけど」


「じゃあ大丈夫だよね」


その言葉に、としおはまた負けた。


「考えてみる」


---


問題は、金だけではなかった。


仕事にも影響が出始めていた。


以前は完璧だった。


部下への指示。


取引先との交渉。


予算管理。


書類確認。


何一つ抜けがなかった。


だが、今は違う。


寝不足。


散財。


スマートフォンばかり気にする。


仕事中にも彼女から連絡が来る。


――今日会いたい。


――プレゼント届いた?


――今度ここ行こう。


そのたびに仕事が中断する。


部下が声をかけても気づかないことが増えた。


「としおさん?」


「……ああ」


「こちらの承認、お願いします」


「分かった」


書類を確認する。


そのとき――


一枚の数字を見て、手が止まった。


会社の予算。


数千万円。


ふと、自分の資産と比較してしまう。


「これだけあれば……」


そんな考えが一瞬、頭をよぎった。


「何を考えてるんだ」


すぐに振り払う。


会社の金だ。


絶対に触れてはいけない。


そんなことは分かっている。


---


その日の夜。


彼女から電話が来た。


「ねえ、としおさん」


「ん?」


「私、夢があるの」


「何?」


「もっといいところに住みたい」


「今の部屋じゃ駄目?」


「嫌じゃないけど……」


彼女は少し黙った。


「私、としおさんと一緒にいるんだから」


「……」


「もっと大切にしてほしい」


としおは黙った。


「私の友達の彼氏は、マンション買ってくれたんだって」


「……そう」


「すごいよね」


「そうだね」


「としおさんは?」


その言葉に、としおは何も答えられなかった。


電話を切ったあと。


机の上に置いた通帳を見る。


残高。


そして会社の仕事用パソコンを見る。


会社で扱っている金。


「……一時的に借りるだけなら」


そんな考えが、初めて頭をよぎった。


すぐに否定する。


「駄目だ」


しかし――


その考えは消えなかった。


---


数日後。


としおは会社の金を管理する書類を見ていた。


一時的に動かせる資金。


決裁まで時間のある予算。


数字を見ながら、頭の中で計算する。


「もし、少しだけ動かして……」


返せば問題にならない。


ボーナスが出れば返せる。


資産を売れば返せる。


彼女を喜ばせたら、また仕事にも集中できる。


そう自分に言い聞かせる。


そして――


パソコンの画面に表示された金額を見つめた。


数百万円。


たった数百万円。


一億円に比べれば小さい。


そう思ってしまった。


指がキーボードに伸びる。


そして――


止まった。


「……俺は何をしてるんだ」


立ち上がる。


その日は何もしなかった。


まだ。


しかし、その夜。


彼女から届いたメッセージを見た瞬間――


としおの決意が揺らいだ。


――としおさん。


――私、あなたなら私を幸せにしてくれるって信じてる。


としおは長い間、その画面を見つめていた。


そして最後に――


「俺が幸せにしてやる」


そう呟いた。


このとき、としおはまだ知らなかった。


「一度だけ」のつもりだったその金が、


自分の人生を終わらせる最初の一歩になることを。

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