2杯目¦今日も明日も私のままで¦1話完結作品
ドアベルが鳴ると、フリルの袖がわずかに揺れた。
カウンターは五席。
その中央に、彼女はパニエの裾を綺麗に内側へ織り込みながら腰を下ろした。
マスターは温かいおしぼりと、この店オリジナルのクリームソーダを無言で差し出す。
このBARカウンターには、とある噂がある。
嬉しかった話をマスターに聞いてもらい、ドリンクを作ってもらうと、その幸せは長く続くのだという。
「ご注文は?」
彼女は小さく息を吸った。
「……今日は、ちょっと聞いてほしくて」
相槌は短い。
「ロリィタファッションが好きなんです。初めて袖を通したのは二十歳の頃で、今は三十五歳」
彼女は少しだけ自嘲気味に笑った。
「職場でも言われますよ。“その歳でフリル?”って。母にも“そろそろ落ち着きなさい”って」
指先でレースの端をなぞる。
「街を歩けば、外国人に写真を撮られたり。知らない男に“お姫様みたい”って笑われたり」
いつもは、聞き流せていたはずなのに。
「若く見られたいわけじゃないんです。誰かに可愛いって言われたいわけでもない」
ただ……
「周りからしたら〝1回の指摘〟でも、私からみれば〝何百回〟も言われたことなんですよね」
何度も言われて少しだけ疲れてしまった。
「でもこの服を着ると、背筋が伸びて自信が持てるんです」
それだけは、はっきりとした声だった。
「自分で選んだ服を、自分で着こなしているって思えると、ちゃんと立っていられる気がして……頑張ろうって思えるんです」
「それで今日は良いことがあったんです。信号待ちで、知らないマダムに声をかけられて。」
彼女の目が、わずかにやわらぐ。
「“とても似合っているわ”って。“その服を着こなせるのは、自分を知っている人だけよ”って」
押し付けるでもなく、説教するでもなく。
言うだけ言って、その人は歩いていった。
「……なんだか、救われました」
静かに笑う。
「初めて、“そのままでいい”って言われた気がして。何百回も他人から嫌な言葉を言われたけど、たった1回の彼女の言葉が心に染みたんです」
「その装いに」
短い祝辞。
グラスが、静かに置かれる。
透明感のある淡い色のカクテルだった。
縁には細かい泡が光っている。
彼女は少しだけ目を見開き、それから柔らかく笑った。
一口飲む。
甘い。
でも奥に、きちんとした強くパンチのある味がある。
「……似てますね」
カクテルを見つめる。
「見た目は可愛いのに、ちゃんとしてる」
小さく息を吐く。
「また来ます」
立ち上がると、スカートの裾が静かに広がる。
ドアベルが鳴る。
背筋はまっすぐだった。
夜風がレースを揺らす。
視線はある。
けれど今日は、気にならない。
今日は、私が主人公。
ーーこれからも、私のままで。
あなたの言葉が、胸の奥でまだ響いている。




