2026年10月2週目日曜日。夜はミサキの一日店長。不安があったが案外うまく回った。次回もありかな(笑)
ミサキは、長く夜の店で働いてきただけあって、客への受け答えが丁寧だった。
六席しかない茨木の小さな店には、少し似つかわしくないほど、言葉の返し方も、
グラスを差し出す手つきも落ち着いている。
「最近、仕事どうなん?」
一人目の客が尋ねると、美咲は笑顔を崩さず答えた。
「ぼちぼちですよ。でも、夜の仕事も年齢が上がると難しくなりますね」
「美咲ちゃんでも?」
「メインは二十代前半ですから。二十五を超えたら、もうベテラン扱いされる店もありますし」
そこから先は、若い客層の店で無理をして生き残るか、年齢層の高い店へ移ることになる。
だが、熟女系の店に移れば、単価が下がる場合もある。
その割に、下ネタやセクハラに近い冗談を受け流すことを求められる。
若い女の子からは相手にされにくい客。
自慢話や愚痴が長い客。
店から見れば面倒でも、金を使う客。
そうした男たちを丁寧に扱い、次の来店につなげる力が必要になるという。
博之はカウンターの端で話を聞きながら、ミサキとこの店は案外相性がよいのかもしれないと思った。
弱者男性向けの店と言い切れば、少し語弊がある。
それでも、ここは日の当たる場所で器用に生きられなかった中年男たちが、
愚痴を言いながら酒を飲む場所だった。
そういう客の言葉を急かさず、否定せず、ほどよく持ち上げる。
ミサキは、それができる。
「ミサキちゃんと、こうやってゆっくり喋れるんはええな」
「いつもの店では、ゆっくりできないですか?」
「他の客もおるし、時間もあるしな」
客は仕事の愚痴を話しながら、時々、ミサキへの好意も混ぜた。
昔から好きだった。
会えるとうれしい。
元気そうで安心した。
はたから見れば、口説き文句に近い。
だが、ミサキは否定もせず、過剰に期待を持たせることもなく、笑いながら受け止めていた。
博之は、その姿に少しだけ自分を重ねた。
自分も、若い女性と話す時には、愚痴と好意を混ぜてしまう。
全部を真に受けてほしいわけではない。
ただ、少し優しく聞いてもらいたい。
それだけの時もある。
「ほな、獺祭一本開けよか」
客が冷蔵庫を見ながら言った。
「二割三分ですよ。八千円しますけど」
博之が確認すると、客はうなずいた。
「今日はミサキちゃんの一日店長やろ。御祝儀や」
「ありがとうございます」
ミサキが頭を下げた。
博之は冷蔵庫から獺祭二割三分を取り出し、小さなグラスへ注いだ。
「記念すべき一本目です」
「おじさんも飲むん?」
「店主は味見だけです」
「一番うれしそうやん」
ミサキと客、そして博之の三人で乾杯した。
・・・・・・・・・・・・・・・・
三十分ほどすると、もう一人が店へ入ってきた。
「あ、こんばんは」
顔を見た瞬間、博之には分かった。
「俺の客やん」
「おじさんも今日いるって聞いたんで」
「ミサキさんの客ちゃうんかい」
「ミサキさんも見てみたかったんですよ」
ミサキが笑いながら、おしぼりを渡した。
「いつも博之さんの店に来てるんですか?」
「そうですね。何回か」
「この店の何がええの?」
最初に来ていた客が尋ねた。
博之の客は少し考えてから答えた。
「おじさん、面倒見がいいとは言わんけど、しょっちゅう芋焼酎とかサービスしてくれるんですよ」
「面倒見いいやん」
「気分でやってるだけです」
博之が口を挟む。
「あと、隠れてる感じがいいですね。日の目を見ないおじさんに優しいというか」
「誰が日の目を見てへんねん」
「おじさんが一番言うてるやないですか」
店内に笑いが起きた。
最初の客も、その感覚が分からないわけではないらしい。
「そういう店なんやな」
「そういう店です」
博之は芋焼酎のソーダ割りを作り、カレーも一皿出した。
「ミサキさんが手空いた時は相手してあげて。俺のお客さんやから」
「はい。いつもありがとうございます」
ミサキは自然に会話へ加わった。
博之の客とは配信や小説の話をし、ミサキの客とは昔の夜の店の話をする。
話題が途切れそうになれば、博之が横から余計な一言を入れる。
「それ、ミサキちゃん昔も言うてたやろ」
「おじさん、話に入ってこんといて」
「俺の店やぞ」
「今日は私が店長でしょう」
「時給千三百円の店長やけどな」
「それ言わんでええねん」
客たちは、その掛け合いを見て笑った。
ミサキのワンマン営業ではない。
博之が全部しゃべるいつもの店でもない。
ミサキが一人の客と深く話し、少し間が空けば博之が会話を広げる。
客同士も、相手が美咲の客か博之の客かをあまり気にせず、少しずつ混ざっていった。
二時間、三時間と過ぎる間に、客は入れ替わった。
ミサキが呼んだ二人目、三人目も店へ来た。
六席しかないため、全員が同時に座ることはできない。
それでも、帰る者と来る者がうまく入れ替わり、店は常に三人から五人ほどで回った。
「この店、悪くないな」
ミサキの客の一人が言った。
「梅田で飲んだ方が華やかではありますけどね」
博之が答える。
「でも、安いやろ」
「それは安い。ミサキちゃんに会えるなら、別に梅田である必要もないしな」
「梅田には梅田の楽しさがありますよ」
ミサキはそう言いながらも、今の働き方の厳しさを隠さなかった。
店のシフトに入れるとは限らない。
売上を作っても、店に引かれる割合は大きい。
他の女の子との兼ね合いもある。
客を呼べなければ、次の出勤が減ることもある。
「ここなら、ゆっくり話せる人を呼べるしな」
「そうですね。毎日は無理ですけど、たまになら」
「これ、ちょいちょいやってや」
「応援してくれるならやりますよ」
「チップも要るんか」
「それはお気持ちで」
そんな会話のあと、二本目の獺祭二割三分も開いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
午後十時半。
「そろそろ、一回閉めましょうか」
博之が声をかけると、客たちは名残惜しそうに席を立った。
最後の客を見送り、営業中の札を裏返す。
ミサキと二人でグラスと皿を洗いながら、博之はパソコンを開いた。
「今日、悪くなかったな」
「思ったより楽しかった」
「客もちゃんと来たし」
獺祭二割三分は二本。
一本当たり、ミサキの歩合は三千六百円。
二本で七千二百円。
チップは合計六千円。
五時間分の時給が六千五百円。
博之はExcelへ数字を入力した。
「美咲ちゃんの取り分、一万九千七百円」
「結構あるやん」
「五時間で割ったら、時給三千九百四十円やな」
「それなら、またやりたい」
「毎回二本出るとは限らんで」
「分かってるって」
博之は現金を数え、ミサキへ渡した。
「はい。お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
ミサキは金額を確認し、財布へ入れた。
店にも、セット料金とボトルの取り分が残った。
大儲けではない。
だが、ミサキも稼ぎ、店にも利益が残り、客も楽しんで帰った。
「この形、案外ありかもしれんな」
「次いつやる?」
「もう次の話するん?」
「だって、うまくいったんでしょう」
博之は少し笑った。
自分以外の人間が主役になる夜。
始まる前は、少し寂しくなるかもしれないと思っていた。
だが実際には、ミサキの客と自分の客が混ざり、自分は自分で会話に入れた。
店を奪われた感覚はない。
むしろ、自分一人では作れない夜が生まれた。
「まあ、またやろうか」
「月一ぐらい?」
「それぐらいからやな」
二人で最後のグラスを拭き、冷蔵庫の残りを確認した。
獺祭二割三分が一本。
カフェ・ド・パリは三本。
最初の一日店長は、派手な成功ではなかった。
それでも、次につながるには十分な夜だった。




