2026年10月2週目土曜日。 昼から満席。オーナー博之もびっくり。どこにおおっさんニーズあるねんwww
十月第二週の土曜日。
博之は朝から、いつものように五食分のカレーを仕込んだ。
玉ねぎを切り、にんじんとじゃがいもを入れ、肉を加える。炊飯器にも米をセットし、
冷蔵庫の中にアイスコーヒーとビール、炭酸水が入っていることを確認する。
翌日の日曜夜には、ミサキの一日店長が控えていた。
獺祭二割三分とかカフェ・ド・パリも、それぞれ三本ずつ用意してある。
だが、まずは今日の営業だった。
「先のことばっかり考えてもしゃあない。今日の五食やな」
十一時。
博之が営業中の札を出すと、ほどなくして一人目の客が階段を上がってきた。
「こんにちは」
「どうも。早いですね」
「カレーなくなる前に来ました」
「まだ開けたばっかりですわ」
一人目にカレーとアイスコーヒーを出していると、すぐに二人目が来た。
さらに三人目。
四人目。
十一時半になる頃には、カウンターの五席がすべて埋まっていた。
「ちょっと待ってください。今日、早すぎません?」
博之はカレーをよそいながら、店内を見回した。
「最近は四人ぐらい来てくれることが多かったんですけど、こんな早く埋まるの初めてですわ」
「前も満席になったって言ってませんでした?」
「一回あったかな。もう記憶が曖昧です」
「店始めてまだ一か月でしょう」
「四十超えたら、一か月前も昔なんですよ」
五人が笑った。
五食分のカレーは、あっという間になくなった。
食後にホットコーヒーを頼む者。
アイスコーヒーを飲みながらスマートフォンを見る者。
カウンター越しに博之へ話しかける者。
客同士で、配信や小説の話を始める者。
食べ終えたからといって、すぐに席を立つ者はいなかった。
「ほんまに、みんな帰りませんね」
「帰ってほしいんですか?」
「いや、帰ってほしくないからチャージ取ってるんですけど」
「じゃあええやないですか」
「満席になる想定をしてなかったんですよ」
博之自身も、客の輪に加わった。
最近見たニュースの話から、会社の愚痴へ。
会社の愚痴から、四十代の孤独へ。
そこから小説のランキングへ飛び、最後にはなぜか芋焼酎の銘柄の話になっていた。
その時、また階段を上がる足音がした。
「こんにちは」
入口に、もう一人の客が顔を出した。
「あ、すみません。カレー、もう売り切れなんです」
「もう?」
「今日は妙に早くて」
店内を見れば、五席すべて埋まっている。
「昼から満席ですやん」
「そうなんですよ。俺が一番びっくりしてます」
博之は店の奥から、予備の小さな椅子を出した。
「おじさんと喋るのがメインやったら、とりあえずここ座ってください。チャージは入ってから
三十分後でええんで」
「飲み物だけでもいいですか?」
「コーヒー二百円。芋焼酎のソーダ割りなら五百円です」
「じゃあ、焼酎ください」
その言葉を聞いて、別の客も顔を上げた。
「ほな、俺も焼酎にしようかな」
「僕、ビールください」
「急に昼飲みの店になってきたな」
博之は笑いながら、冷蔵庫からビールを取り出した。
グラスに氷を入れ、芋焼酎と炭酸水を注ぐ。
「いやいや、ほんまに昼から満席ですわ」
狭い店内に、グラスの触れ合う音と笑い声が重なった。
「昼飲みの需要、あるんちゃいます?」
一人が言った。
「昼飲み需要というより、おじさん需要やと思いますよ」
「自分で言うんですね」
「ゆっくり飲んで、しょうもない話して、おっさん同士でダラダラできる場所って、
意外とないんですよ」
居酒屋へ一人で入っても、店員と長く話せるとは限らない。
喫茶店では酒を飲みにくい。
コンセプトカフェへ行けば、若い女性とは話せるが、時間ごとに料金がかかり、
飲み物も頼まなければならない。
「女の子と喋るのも楽しいんですよ」
博之は焼酎を客の前へ置いた。
「でも、それだけでは満たされへんものもあるんです。四十過ぎたおっさん同士で、
仕事しんどいなとか、人生どうしようとか、そういう話をする場所も要るんですよ」
「弱者男性の集会所みたいな?」
「言い方は悪いけど、まあ、そういう部分もあります」
誰かに説教されたいわけではない。
成功者の話を聞きたいわけでもない。
同じようにうまくいかない部分を持つ者同士で、笑いながら時間を過ごしたい。
この店には、そういう客が少しずつ集まり始めていた。
「コンカフェやと、ドリンク代も結構かかりますもんね」
「そうそう。女の子にもドリンク入れて、延長してってなったら、すぐ一万円いくでしょう」
「ここ、おじさんにドリンク入れなくていいんですか?」
「おじさんドリンクなんか、誰が入れたいねん」
店内が笑いに包まれた。
「だから、うちはチャージ取ってるんですよ。飲み物を無理に増やさんでも、喋って長居できるように」
「そう考えたら、昼はだいぶ安いですね」
「かわいい女の子と喋るか、四十二歳のおっさんと喋るかの違いです」
「値段差には納得します」
「そこまで納得せんでもええやろ」
昼の満席を眺めながら、博之は平日営業についても少し考えた。
「こうやって人が来るなら、平日の空いてる時間も、誰か立ってくれたら動くかもしれませんね」
「女の子雇うって話してましたよね」
「先週から考えてます」
「かわいい子?」
「そこは大事です」
「即答やな」
「でも、かわいいだけでは無理なんですよ」
茨木の古い雑居ビルの三階。
通りすがりの客が、次々に入ってくる場所ではない。
店に立つ人自身が、ある程度客を呼べなければならない。
「すでにお客さん持ってる子は強いから、一日店長で呼べるんですよ」
「明日のミサキさんみたいに?」
「そう。でも、何もないところから育てるとなると、結構しんどいです」
カレーを作る。
酒を出す。
会計をする。
客同士の会話をつなぐ。
酔った客がいれば、空気を壊さずに止める。
それらを一人でできるようになるまでには時間がかかる。
「平日の昼は、さすがに毎回満席は無理やと思うんですよ」
「夜なら?」
「夜なら一時間三千円のバーにして、肉じゃがでも作って置いとけば、三人来たら形にはなるかなと」
「肉じゃがなんや」
「カレーばっかりでも飽きるでしょう」
「女の子の手料理感も出ますね」
「俺が作ってるかもしれんけどな」
また笑いが起きた。
結論は出なかった。
昼営業を平日まで増やすのか。
夜だけ誰かに任せるのか。
一日店長を何人か集めるのか。
まだ、すべては試している途中だった。
気がつけば、午後二時が近づいていた。
「そろそろ昼の部、終わりますよ」
「もう二時ですか」
「三時間ずっと喋ってましたね」
「それがこの店でしょう」
客たちは、名残惜しそうにグラスを空けた。
「今日はほんま、ありがとうございました。初めて開店直後から満席になって、
こっちも気持ちよく終われましたわ」
「こっちも楽しかったです」
「ちょっと家帰って昼寝して、夜また来るかもしれません」
「一日二回来る店でもないでしょう」
「おじさんも昼寝するんでしょう?」
「俺はここに住んでますから」
「家賃三万円の別宅やな」
最後の客を見送ると、博之は営業中の札を裏返した。
カレーは完売。
コーヒーも焼酎もビールも出た。
そして何より、六席の小さな店が、昼から笑い声で埋まった。
「おじさん需要、ほんまにあるんかもしれんな」
博之は空いたグラスを集めながら、一人でつぶやいた。
夜営業までの間、少しだけ眠ることにした。




