2026年10月2週目。二人目の一日店長。週末日曜日の晩にアラフォーキャバ嬢のミサキが一日店長に挑戦
十月第2週の月曜日。
博之は朝から、重たい体を引きずるようにして会社へ向かっていた。
「仕事、だるいなあ」
駅まで歩き、電車に乗り、決められた時間に決められた席へ座る。
週末なら、朝からカレーを仕込み、店の椅子を並べ、今日は誰が来るのだろうと
考えている時間だった。
同じように体を動かしているはずなのに、会社へ行く時だけは、足に重りを付けられているような
気がする。
「給料もらうためや。給料もらうため」
自分に言い聞かせながらスマートフォンを見ると、ミサキからメッセージが届いていた。
『今週の日曜日の夜、店空いてますか?』
博之は歩きながら返した。
『空いてるよ。どうしたん?』
少しして、返事が来た。
『空いてるなら、私も一日店長やらせてほしいです』
「おお」
博之は思わず声を出した。
十月第四日曜日には、ララの一日店長が決まっている。
その前に、別の人間が手を挙げてくるとは思っていなかった。
ミサキとは以前からの知り合いだった。
店を始めたことも知っていたし、配信で一日店長について話していることも聞いていたらしい。
『条件があるけど、それでよければ』
『教えてください』
博之は、ララへ伝えた内容をそのまま送ることにした。
人によって条件を変えるつもりはなかった。
ララだから多く渡す。
ミサキだから少なくする。
そんな曖昧なやり方を始めれば、いずれ必ず揉める。
『基本は時給1300円。店の従業員として入ってもらう』
『五時間なら6500円、六時間なら7800円が最低保証』
『そこに抜き物の歩合と、チップが加わる形』
ミサキから、すぐに質問が返ってきた。
『抜き物の歩合はどれぐらいですか?』
博之は会社の休憩スペースへ入り、以前作った試算表を開いた。
獺祭二割三分の小瓶は、一本八千円。
仮に原価が二千円なら、残る粗利益は六千円。
その六割を一日店長へ渡す。
店には四割を残す。
『売値から原価を引いて、その利益の6割を渡す』
『獺祭が8000円、原価2000円なら、利益6000円』
『その6割で、一本につき3600円がミサキの取り分』
『残り2400円が店に残る』
『チップは全部持って帰っていい』
しばらくして、電話がかかってきた。
「もしもし」
「条件、結構ちゃんとしてるんですね」
「金で揉めるのが一番嫌やからな」
「場所代とかは取らないんですか?」
「別で場所代は取らへん。ただ、抜き物の利益を全部渡したら、こっちに何も残らんやろ」
店を営業できる状態にするためには、金がかかっている。
家賃。
酒の仕入れ。
グラス。
氷。
冷蔵庫。
カレー。
光熱費。
宣伝も、会計も、何か起きた時の責任も博之が負う。
「利益の四割ぐらいは、場所代と運営費として置いてもらわんと、うちも続けられへん」
「それは全然大丈夫です」
「ララちゃんにも同じ条件で話してるから、ミサキだけ変えることはできへんけど」
「その方が分かりやすいです」
博之は、具体的な金額も説明した。
「五時間働いて、獺祭が三本出たら、時給六千五百円に歩合一万八百円で、一万七千三百円」
「チップがあれば、さらに上乗せ?」
「そう。チップは全部ミサキのもの」
「五時間で一万七千円なら、かなりいいですね」
「ただし、三本出ればな」
客が来る保証はない。
呼んだ客が、必ずボトルを入れてくれるとも限らない。
一本も出なければ、受け取れるのは最低保証の時給だけになる。
「ゼロでも時給分は払う。そこはこっちの責任や」
「一本なら?」
「五時間として、一万百円ぐらい」
「二本なら?」
「一万三千七百円」
「一、二本でも、一日だけなら悪くないですね」
「俺もスポットなら、これぐらいが現実的かなと思ってる」
毎週この条件で安定して稼げるとは限らない。
しかし、月に一度や二度、自分の客へ声をかけて小さなイベントを開く。
その働き方なら、ミサキにとっても店にとっても無理がない。
「店の料金は、一時間三千円なんですよね?」
「そう。基本は一時間三千円」
「前の店のお客さんに声かけたら、それ以上払ってくれる人もいるかもしれないです」
「その差額をどうするかは、客と話して決めてもらったらええ」
博之は続けた。
「店の料金を勝手に変えるんは困るけど、応援したい分をチップでもらうのは構わへん」
「たとえば二時間で六千円が店の料金で、あと四千円を私へのチップにしてもらうとか?」
「そうそう。その方が会計も分かりやすいやろ」
店の売上は店の売上。
チップはミサキの収入。
そこを混ぜなければ、後から揉めにくい。
「ボトルの歩合もあるし、チップもある。客が来んかった時は時給もある」
「それなら、やってみたいです」
「ほんまに?」
「はい。今週の日曜日、一回やってみましょう」
「分かった。ほな、五時から十時ぐらいでええ?」
「大丈夫です」
「俺も店にはおるから。料理と会計はこっちでやる」
「一人で全部やらなくていいんですね」
「初回から全部任せて、金合いませんでした、客と揉めましたでは困るからな」
「助かります」
ミサキは、何人かへ連絡してみると言った。
確実に来るとは約束できない。
それでも、二人か三人は声をかけられるらしい。
「無理にボトル入れろとは言わんでええからな」
「分かってます」
「ただ、入れてくれたらミサキの給料増えるとは言ってええ」
「そこはちゃんと営業します」
「頼もしいな」
電話を切ったあと、博之はスマートフォンの予定表を開いた。
十月第二週の日曜日。
ミサキ一日店長。
十月第四週の日曜日。
ララ一日店長。
一か月前には、自分一人で土日を回すことしか考えていなかった。
それが今は、別の人間が店に立つ予定が二つも入っている。
「ほんまに店っぽくなってきたな」
ただし、喜んでばかりもいられない。
酒がなければ、抜き物は出せない。
ミサキの客が何を選ぶかも分からない。
日本酒が好きな客なら、獺祭二割三分。
華やかな雰囲気を求める客なら、カフェ・ド・パリ。
両方用意しておく必要がある。
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金曜日の仕事帰り。
博之は酒屋へ寄った。
「獺祭二割三分の百八十ミリ、三本お願いします」
「あと、カフェ・ド・パリも三本」
店員が棚から商品を取り出す。
獺祭が三本。
カフェ・ド・パリが三本。
小さなイベントには十分な量だった。
全部売れれば、かなりの売上になる。
一本も売れなくても、腐るものではない。
ララの一日店長でも使える。
「最初から六本仕入れるとは思わんかったな」
博之は会計を済ませ、袋を両手に持った。
仕入れ代は先に出ていく。
客がカードを使えば、入金はさらに後になる。
本音を言えば、現金で払ってもらうのが一番ありがたい。
だが、客単価が一万円を超えるなら、カード決済も必要になる。
エアレジの準備も進めなければならない。
「商売って、売れる前に金出ていくんよな」
ぼやきながらも、気持ちは悪くなかった。
売れる保証のない酒を買う。
知らない客を迎える準備をする。
誰かに店を任せる条件を考える。
それらは全部、店が次の段階へ進むための金だった。
土曜日の朝。
博之は六本の酒を店の冷蔵庫へ並べた。
右側に獺祭二割三分。
左側にカフェ・ド・パリ。
「これが三本ぐらい空いたら、成功やな」
今週末は、いつもの昼と夜の営業。
そして日曜日の夜には、ミサキが一日店長として立つ。
何人来るかは分からない。
一本も出ないかもしれない。
思った以上に客が集まるかもしれない。
博之は冷蔵庫の扉を閉めた。
「まあ、一回やってみな分からんわ」
そう言って、土曜日のカレーを仕込み始めた。




