2026年10月1週目土曜日昼。管理人さんとのやり取り。一か月持ったなwww兄ちゃんの集客力のおかげや。
十月第一週の土曜日。
博之は朝から、店の小さな厨房に立っていた。
ホットクックへ切った玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、肉を入れる。
水とルーの量を確認し、蓋を閉める。
九月に何度も作った、五食分のカレーだった。
もう手順は覚えている。
それでも、慣れたつもりになって雑に作る気はなかった。
「今日も、ちゃんと五食やな」
Googleの口コミも、少しずつお願いし始めた。
十月の第四日曜日には、ララが一日店長として夜の営業をすることも決まった。
先の予定は、少しずつ増えている。
だが、博之が今やるべきことは変わらない。
今日のカレーを作る。
店を掃除する。
来てくれた客と話す。
一日ずつ、丁寧に積み上げる。
それだけだった。
カレーを煮込んでいる間に、博之はカウンターを拭いた。
赤い椅子を並べ、グラスの曇りを確認する。
冷蔵庫にはビール、焼酎、ウーロン茶。
乾き物は、せんべいと柿の種。
獺祭二割三分の小瓶も二本入っていた。
まだ注文はない。
それでも、誰かが入れてくれた時に、すぐ出せるようにしておく。
「お、兄ちゃん。元気にやっとるか」
突然、入口から声がした。
管理人だった。
「なんとかやれてますわ」
「客、来とるんか?」
「まあ、十人とかは来ませんけどね。だいたい四人か五人。少ない時で三人ぐらいです」
「そんなもんか」
「でも、皆さん長い時間いてくれるんで」
管理人は店内を見回し、空いている椅子へ腰を下ろした。
「一か月やって、売上なんぼやった?」
「九月は三週間で十五万円ぐらいです」
「ほう」
「家賃と材料費、酒、細かい雑費を合わせて十万円ぐらい。残った五万円を自分の給料と考えたら、
店の利益はほぼ残ってない感じですね」
「でも、赤字ちゃうんやろ」
「まあ、そうですね」
「十分やないか」
博之は苦笑した。
「九月は一週間少なかったんで、もう一週営業できてたら、五万円ぐらいは店に残せたかもしれません」
「それなら、エアコン替える金でも、掃除屋にもう一回入ってもらう金でも作れるやないか」
「そうなんですよ。店に残す金ができたら、設備も少しずつ整えられるかなと思ってます」
管理人は天井を見上げた。
「防犯カメラは付けたんか?」
「まだです」
「付けといた方がええぞ」
「やっぱり要ります?」
「今はええ客しか来てへんのやろうけど、先々分からんからな」
酒を出す店である。
酔って揉める客が来るかもしれない。
金を払った、払っていないという話になることもある。
物がなくなったと言われる可能性もある。
「客を疑うためやない。兄ちゃん自身を守るためや」
「二万円ぐらいでいけますかね」
「この広さならいけるやろ。入口とカウンターが映ったら十分や」
「分かりました。また探しますわ」
「トイレ映したら捕まるで」
「それぐらい分かってます」
管理人は笑ったあと、少し真面目な顔になった。
「でも、兄ちゃん。よう一か月持ったな」
「まだ一か月ですよ」
「一か月でもや」
最初の日だけは、開店祝いで客が来る。
友人や知人が顔を出す。
だが、その次の週から誰も来なくなる店は珍しくないらしい。
「ここ、立地悪いやろ」
「まあ、三階の突き当たりですからね」
「しかも古い。階段もしんどい。前に入ったやつも、家賃安いから何とかなる言うて始めたけど、
何人も失敗しとる」
「そんな縁起悪い話、今します?」
「事実や」
安い家賃だけを理由に借りる。
店を開ければ、通りすがりの客が入ると思う。
だが、そもそも通りすがりの客が上がってこない。
一階でもない。
駅前の大通りでもない。
看板すら目立たない。
「その場所で三人、四人来とるんやろ」
「今のところは」
「それは兄ちゃんの集客力や」
YouTube。
小説。
これまで積み上げてきた発信。
画面の向こうにいた人が、古いビルの三階まで足を運んでいる。
「まあ、そこはありがたいですね」
「謙遜せんでええ。場所が悪くても人を呼べるんは、商売では強いぞ」
「ただ、今の人がずっと来てくれるとは限らんので」
「せやから、次の客を少しずつ呼ぶんやろ」
管理人は、カウンターの上に置いてあった獺祭のメニューを見た。
「酒も増やしたんか」
「チップ代わりに入れてもらえたらと思って。皆で飲む用です」
「六千円?」
「八千円にしました」
「兄ちゃんも商売人になってきたな」
「原価考えたら、それぐらい取らんと意味ないんで」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
博之は、ララの一日店長についても話した。
「今度、日曜の晩に、知り合いの女の子が一日だけ店やるんですわ」
「女の子?」
「昔キャバクラで働いてた子です。元ナンバー六」
「微妙に現実的な順位やな」
「本人にも、盛るなって言われました」
ララは博之の従業員として入る。
時給を払い、売上に応じて歩合を付ける。
博之も店内に残り、料理や会計を手伝う予定だった。
「客、呼べるんか?」
「三人ぐらいは声かけてみるって言ってます」
「それなら、やってみたらええ」
「獺祭とかカフェ・ド・パリを入れてもらえたら、ララちゃんにも歩合を渡す形です」
「ただな」
管理人が指を一本立てた。
「あくまで、兄ちゃんの店の上でやっとるってことは、意識させなあかんぞ」
「それは分かってます」
「その子が悪い言うてるんちゃうで。店も設備も酒も、客が来られる場所も兄ちゃんが用意しとる」
「カレーも俺が作ります」
「そこまでやるなら、取るもんは取らなあかん」
ララが一人で店を借り、冷蔵庫や食器をそろえ、営業できる状態にするなら、
それだけで何十万円もかかる。
博之の店を使うことで、その負担はなくなる。
「女の子に厚く渡しすぎて、兄ちゃんに何も残りませんでは続かんぞ」
「一応、時給と歩合を払っても、店に一万円以上残るようには考えてます」
「ならええ。最初は試しや」
「ごちゃついたり、近所から苦情来たりしたら、すぐやめますけどね」
「騒がせるなよ。下の階まで声響いたら面倒やからな」
「シャンパンコールする店じゃないんで」
「元キャバ嬢言うたから、ちょっと心配したわ」
「獺祭を静かに飲む会です」
「それはそれで地味やな」
管理人は立ち上がった。
「半年やって、軌道に乗りそうなら、全部借りてくれたらええ」
「一週間丸ごとですか」
「別に、今も埋まってへんしな」
「家賃六万円ですよね」
「そうや。平日も誰か立たせたらええ」
「まだ、そこまでは考えてません」
「今すぐ言うてへん。半年後の話や」
管理人にとっても、借り手が短期間で入れ替わるより、安定して使ってくれる方が安心なのだろう。
「借りたから成功するわけちゃう。借りても客来んやつは、いくらでもおる」
「それはこの一か月で分かりました」
「兄ちゃんみたいに、少なくても毎週人が来て、金払って帰る。それが一番大事や」
管理人は入口へ向かいながら、振り返った。
「まあ、今日も頑張りや」
「ありがとうございます」
「カレー余ったら持ってきてくれ」
「余る前提で言わんといてください」
「ほな、売り切れたらええな」
管理人が階段を下りていく。
博之は時計を見た。
昼の開店時間まで、あと五分だった。
店を一か月続けた。
Googleの口コミをお願いした。
ララの一日店長も決まった。
防犯カメラという新しい宿題も増えた。
半年後の話まで出てきた。
それでも、今やることは一つだった。
博之は入口の札を裏返した。
閉店中から、営業中へ。
「さて、今日も五食やな」
十月最初の土曜日。
メンヘラおじさんの隠れ家は、いつもと同じように、静かに昼の営業を始めた。




