2026年10月1週目。一日だけ、ララの店。細かい取り分の話も詰める。
十月の一週目のある日。
博之は仕事の合間に、ララへメッセージを送った。
『前に言ってた日曜夜の一日イベント、十月の三週目か四週目で一回やってみる?』
返事は、十分ほどで来た。
『やってみたいです』
『でも、条件どうします?』
博之は一度、Excelに作った試算表を開いた。
店を見に来てもらった時には、ララが売上を作り、店に八千円だけ残してもらえばよいと考えていた。
だが、自分で日曜夜を営業したところ、二万円ほどの売上が立った。
日曜日の夜を丸ごとララへ渡すなら、八千円だけでは少し安い。
一方で、場所代を取りすぎれば、ララがイベントをする意味がなくなる。
『文章では説明しにくいから、一回店で話そう』
・・・・・・・・
数日後。
営業のない平日の夜、ララは再び三階の店へやって来た。
「ほんまに、ここでやるんですね」
「まだ一日だけやけどな。練習というか、お試し」
博之はカウンターに試算表を置いた。
「先に言うと、時給は千三百円。五時間で六千五百円は最低保証する」
「ちゃんと時給なんですね」
「そこを曖昧にして、売れたら払うみたいなんは嫌やから」
「おじさん、そういうとこ真面目ですよね」
「金で揉めたら、五年の付き合いが一日で終わるからな」
通常のセット料金は、店の売上にする。
その代わり、ララが客に入れてもらった抜き物には、別に歩合を付ける。
博之は獺祭二割三分の小瓶を一本、冷蔵庫から取り出した。
「これ、八千円で置こうと思ってる」
「獺祭ですか?」
「二割三分。小瓶やけど、結構うまいやつ」
「シャンパンじゃなくて日本酒なんですね」
「客層がおじさんやからな。カフェ・ド・パリ一万円と、獺祭八千円を並べて、
好きな方を選んでもらう」
ララは瓶を持ち上げ、ラベルを眺めた。
「でも、これ小さいですよね」
「小さい。百八十ミリ」
「カフェ・ド・パリより、だいぶ量少ないですけど」
「量を飲みたい客ばっかりでもないやろ。二時間いて、一人一本入れて、
みんなで少しずつ飲むなら、こっちの方が満足するおじさんもおると思う」
「確かに。獺祭の二割三分って言われた方が、特別感はありますね」
原価は、およそ二千円。
八千円で販売すれば、粗利益は六千円になる。
「その六千円を、ララちゃん六割、店四割でどうかなと思ってる」
「私が三千六百円?」
「そう。一瓶ごとに三千六百円。店には二千四百円残る。原価の二千円は別で回収する」
「時給とは別に?」
「別。あとチップは全部ララちゃん」
ララは、指を折りながら計算した。
「三本入ったら、一万八百円」
「そこに時給六千五百円を足して、一万七千三百円。五時間やから、時給換算で三千四百六十円ぐらい」
「それなら、スポットでやる分には全然ありです」
ララはあっさり言った。
「昔の店みたいに、毎日客を呼んで売上を作れって言われるならしんどいですけど、一日だけなら」
「元ナンバー嬢の力を見せてもらおうか」
「ナンバーワンみたいに言わんといてくださいよ」
「元ナンバー六やったな」
「そうです。六です。盛らないでください」
「六でも十分すごいやろ」
「昔の話ですけどね」
夜の仕事を離れれば、客との連絡は少しずつ薄くなる。
当時は毎週来ていた客も、今は結婚しているかもしれない。
仕事が忙しくなった者もいる。
財布の中身も変わっている。
「三人ぐらいなら呼べそう?」
博之が聞くと、ララは少し考えた。
「声かけたら来そうな人はいます。ただ、絶対とは言えないです」
「それでええよ。ノルマちゃうし」
「三人が二時間いて、全員獺祭入れたら、売上四万二千円ぐらいですか?」
「そう。セットで一万八千円。獺祭三本で二万四千円」
「結構いきますね」
「ただ、毎回そうなるとは思ってへん。一回目の御祝儀もあるやろうし」
「カフェ・ド・パリなら、私の歩合はどうなるんです?」
「そこも原価引いた後の六割で考える。原価次第で、一本ごとの金額は変わるけど」
「私としては、そっちの方が売上を作った感じはしますけどね」
「おじさん客は、獺祭を選ぶ気がする」
「おじさんが獺祭飲みたいだけじゃないですか?」
「否定はせん」
ララが笑った。
「でも、カフェ・ド・パリ三本並べたら華やかですし、獺祭三本ならちゃんと美味しい。どっちでも選べるのはいいかもしれませんね」
「せやろ。ララちゃんの客がシャンパンを入れたいなら、そっち。酒好きなら獺祭」
「カレーも出すんですか?」
「五食ぐらい作っとく。買い出しも俺がする」
「そこまでしてくれるんですか?」
「店の原価はこっち持ちやからな。ララちゃんは客呼んで、喋って、酒出してくれたらいい」
「おじさんは店にいるんです?」
「最初はおる。会計と料理は手伝う。雰囲気が回り出したら、端で小説でも書いとく」
「六席しかないのに、端も何もないでしょう」
「ほな、厨房に隠れとく」
問題が起きた時に、ララ一人へ任せきりにするつもりはなかった。
酒を飲みすぎる客。
料金の説明を聞いていない客。
ララを独占しようとする客。
初回だけは博之が同席し、店主として線を引く。
「一応、店のルールは俺が言うから。ララちゃんが嫌やと思った客に、無理して愛想振りまかんでええ」
「それは助かります」
「俺の店やから、最終的に帰ってもらう判断は俺がする」
「おじさん、店長らしくなりましたね」
「一か月だけやけどな」
ララはもう一度、試算表を見た。
「一日で一万五千円から二万円ぐらいになったら、私は十分です」
「三本出れば一万七千三百円。二本なら一万三千七百円。一本でも一万百円」
「ゼロでも六千五百円はある」
「そう。客が来んかった時まで、ララちゃんに全部かぶせる気はない」
ララはしばらく黙ったあと、うなずいた。
「じゃあ、四週目の日曜日でやってみます?」
「ええよ。まず一回」
「題名、何にします?」
「題名?」
「一日イベントなんやから、名前ぐらい要るでしょう」
博之は腕を組んだ。
「ララの一日店長」
「普通すぎます」
「元ナンバー六の逆襲」
「絶対嫌です」
「獺祭を飲む会」
「私の要素、消えてますやん」
二人でしばらく案を出したが、結局その日は決まらなかった。
決まったのは、十月第四日曜日の夜。
五時間。
最低保証六千五百円。
抜き物の粗利益はララ六割、店四割。
チップは全額ララ。
カレーと酒の仕入れは博之。
まだ、小さな実験だった。
だが、博之一人の店に、初めて別の人間が主役になる夜が生まれようとしていた。
「まずは三人に連絡してみます」
「無理はせんでええよ」
「でも、獺祭三本は出したいですね」
「俺が客として一本入れたらあかん?」
「それは売上に数えません」
「厳しいな、元ナンバー六」
「元ナンバー六をなめないでください」
六席の店で、二人は笑った。
十月最後の日曜日だけ、この店は少し違う店になる。




