2026年9月4週目。日曜日。 一か月、なんとかなった。ホッとする博之。日曜夜に個別相談を受ける。
九月最後の日曜日。
朝から、相変わらず空模様はよくなかった。
前日ほど強くはないが、細かな雨が降ったりやんだりしている。
「今日も少ないやろな」
博之はそう言いながら、いつもどおり五食分のカレーを仕込んだ。
玉ねぎ。
人参。
じゃがいも。
肉。
中辛と甘口のルー。
炊飯器には無洗米を入れる。
前日は午後十時に店を閉めた。
十一時まで粘らなかった分、片付けも帰宅も早くなり、朝も少し楽だった。
「無理して遅くまで開けん方がええんかもな」
客がいるなら続ける。
誰もいないなら早めに閉める。
午前零時まで営業することを考えていた頃より、今の方がずっと現実的だった。
「俺、夕方が早いからな」
普通の夜の店なら、午後八時や九時からが本番なのだろう。
だが博之は、朝からカレーを作り、昼も営業している。
土曜も一日店に立っている。
午後十時まででも、十分に長い。
自分の体力に合わせて店を開ける。
それも、小さな店だからできることだった。
・・・・・・・・・
午前十一時。
店を開ける。
雨のせいか、最初の三十分は誰も来なかった。
博之はノートパソコンを開き、小説を書きながら待った。
「今日は一人来たらええか」
そう思っていると、一人目が来た。
カレーとウーロン茶を出し、一時間ほど話す。
その人が帰る少し前に、次の客が来た。
さらに三十分ほどして、もう一人。
同時に五人が座ったわけではない。
誰かが帰れば、別の誰かが入ってくる。
常に店内にいる客は二人か三人だった。
博之を含めて、三人か四人。
それぐらいが、最も話しやすかった。
一人の仕事の悩みを聞く。
もう一人が、自分の経験を話す。
博之が間に入り、少しだけ自分の失敗談を加える。
重くなりすぎれば、動画や小説の話へ戻す。
「今日は、うまいこと噛み合ってるな」
客の入る時間が重ならなかった。
カレーも順番に出せる。
会計も慌てない。
一人一人と話す時間も取れる。
昼が終わる頃には、五食すべてが出ていた。
満席の騒がしさはない。
だが、五人が一時間前後滞在し、チャージも払ってくれた。
「こういう回り方が一番ええかもしれんな」
午後二時。
博之は昼営業を終えることにした。
「今日はこの辺で閉めます。雨の中、ありがとうございました」
最後の客を見送り、皿を洗う。
カウンターを拭き、床へ掃除機をかける。
日曜夜の予約は入っていない。
片付けが終われば、家へ帰って休むつもりだった。
その時、スマートフォンが震えた。
『今日、少し相談に乗ってもらえませんか』
動画を見ている若い男性からのDMだった。
仕事と今後の人生について、直接話を聞いてほしいという。
博之は時計を見た。
まだ午後二時半である。
夜営業用のカレーは作っていない。
『晩御飯は何もないけど、それでも大丈夫?』
すぐに返事が来た。
『全然大丈夫です。話だけでも聞いてもらえたら』
「ほんなら、まあ、開けるか」
毎週必ず日曜夜まで働くのは無理だった。
だが、こうして相談したい人が一人いるなら、二時間ほど店を開けるのは悪くない。
『何か食べたいものがあれば、途中で買ってきてください。店で食べるぐらいなら大丈夫です』
博之は短い動画も出した。
「今日は昼で終わる予定でしたが、相談の予約が一件入ったので、夜も少しだけ開けます」
「食事はありません」
「話をするだけの営業です」
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夕方。
予約を入れた男性が、コンビニの袋を持って店へ来た。
「すみません。急に」
「ええよ。日曜夜は、こういう使い方でもええかなと思ってるから」
男性は、転職するべきか迷っていた。
今の職場がつらい。
だが辞めたあとに何をすればよいかも分からない。
家族へ相談しても、もう少し頑張れと言われる。
「頑張れるなら、相談しに来てへんもんな」
博之はそう言った。
「俺も仕事を何度も休んでるから、偉そうなことは言えへん」
「でも、おじさんは会社続けながら、店も始めたじゃないですか」
「店を始めたから偉いわけちゃうで。逃げ道を増やしてるだけや」
「逃げ道ですか」
「一つしかないと思うから、苦しくなるんやと思う」
二人で二時間ほど話した。
答えが出たわけではない。
転職するとも、今の会社へ残るとも決まらない。
ただ、自分の考えを声に出したことで、男性の表情は少しだけ柔らかくなった。
そこへ、また階段を上がる音がした。
「こんばんは」
別の客が顔を出した。
「今日、開いてるって聞きまして」
「相談一件だけのつもりやったんやけどな」
「入っても大丈夫ですか?」
「電車で帰るんやったら、どうぞ」
昼に出し切れなかった乾き物を出し、新しく買った芋焼酎を少しだけ振る舞った。
「今日は俺のおごりでええわ」
「いいんですか?」
「予定外営業やからな。ただし飲みすぎたらあかんで」
三人で話した。
最初の相談内容から、仕事の話。
家族の話。
孤独の話。
動画を始めた頃の博之の話。
いつの間にか、重かった空気が少しずつほどけていた。
帰り際、二人は会計とは別に、五百円のチップを一枚ずつ置いた。
「相談料みたいなもんです」
「別に無理せんでええのに」
「ためになったんで」
博之は少し照れながら、二枚のチップを受け取った。
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客を見送ったあと、博之は一人でカウンターへ座った。
日曜夜を開けるつもりはなかった。
だが、相談が一件入り、そこへもう一人が加わった。
食事は出していない。
大きな売上でもない。
それでも、店を開けた意味はあった。
「こういう需要もあるんやな」
カレーを食べるためではない。
酒を大量に飲むためでもない。
ただ、誰かと話すために来る。
この店が始まる前に、博之が想像していた形に少し近かった。
九月の営業が、すべて終わった。
最初の一か月。
毎週、不安だった。
客が来るのか。
カレーは余らないか。
酒は足りるか。
自分の体力が持つのか。
慣れたとは、まだ言えない。
次の週も、同じように客が来る保証はない。
それでも、四回の土日を大きく崩れることなく終えた。
「なんとかなったな」
誰もいない店内で、博之は小さくつぶやいた。
成功した、とはまだ言えない。
だが、自分にはできないとも、もう言えなかった。
六席の店を一か月開けた。
カレーを作った。
酒を出した。
客の話を聞いた。
売上も立った。
少しだけ、自信になっていた。
博之は最後にカウンターを拭き、店の照明を消した。
九月は、なんとかなった。
次は十月だった。




