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2026年9月3週目終わり。給料を取らなければ、店は回る

 メンヘラおじさんの隠れ家を開けてから、二週間が過ぎた。

 まだ、わずか二度の土日を営業しただけである。

 常連ができたと言うには早い。

 来月も同じように客が来る保証もない。

 それでも、博之の手元には、実際の売上という数字が残っていた。

 土曜日は、昼と夜を合わせて、およそ四万円。

 日曜日は昼だけで、およそ六千円。

 一週間で四万六千円。

 二週間なら、九万円を少し超える。

「思ってたより、回っとるな」

 博之は自宅の机でノートパソコンを開き、売上と支出をExcelへ入力していた。

 店を始める前にも、何度も同じことをしている。

 客が何人来る。

 一人いくら払う。

 酒やカレーの原価がいくら。

 家賃を引けば、いくら残る。

 ただし、あの頃に入力していたのは、すべて想像の数字だった。

 今、画面に並んでいるのは、実際に階段を上がってきた人たちが払ってくれた金だった。

 カレーを食べた人。

 酒を飲みながら二時間、三時間と話してくれた人。

 昼に来て、夜にも戻ってきてくれた人。

 その一人一人が、数字の中に入っている。

「家賃三万円は、もう払える」

 もちろん、売上がそのまま利益になるわけではない。

 肉。

 玉ねぎ。

 人参。

 じゃがいも。

 米。

 福神漬け。

 ウーロン茶。

 炭酸水。

 氷。

 瓶ビール。

 焼酎。

 洗剤やゴミ袋も減っていく。

 電気代も、まだ請求が来ていない。

 それでも、博之自身の給料をゼロとして考えれば、今のところ店の運営費は売上で賄えていた。

「俺の人件費を入れたら、全然あかんけどな」

 土曜日は朝から仕込みをし、昼営業をする。

 途中で掃除をして、夜用のカレーを作り直す。

 夜は酒を出し、話を聞き、客を見送ったあとに片付ける。

 日曜日も朝から動く。

 時給をまともに計算すれば、決して割のよい仕事ではない。

 だが今の段階では、自分の給料を取るより、店を維持することの方が先だった。

「最初から生活費を稼ごうと思ってへんしな」

 本業の給与はある。

 店だけで食べていく必要はない。

 まずは家賃と原価が払える。

 必要な物を買い足せる。

 それだけでも十分だった。

 二週間で九万円。

 このまま一か月に土日が四回あれば、単純計算では十八万円ほどになる。

 ただし、毎週四万六千円になるとは限らない。

 初月だから、珍しさで来てくれた人もいるだろう。

 売上が半分になる週もある。

 誰も予約を入れない日曜夜もある。

 それでも、月に三回分の売上で店の費用をおおむね賄えるなら、四回目の土日は余裕になる。

「利益というか、内部留保やな」

 冷蔵庫が壊れるかもしれない。

 エアコンを替えたくなるかもしれない。

 グラスを割る。

 酒を追加する。

 看板を少し分かりやすくする。

 今すぐ必要ではないが、続けていれば必ず金のかかることは出てくる。

 余った金をすぐに自分の懐へ入れるのではなく、まずは店の中へ残しておく。

「会社で言うてたことを、自分の店でやるとはな」

 博之は苦笑した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 その日の夜、博之は二週間の営業報告を動画にした。

「メンヘラおじさんの隠れ家、二週間やってみました」

「今のところ、土曜日は昼と夜で四万円ぐらい」

「日曜日は昼だけで六千円ぐらいです」

「土日で四万六千円ぐらい売上が立ってます」

 数字は、隠さずに話した。

 繁盛店ではない。

 だからといって、完全な赤字でもない。

 今の客数なら、店主一人で無理なく話せる。

 料理も五食でほぼ回っている。

「この前は、昼のカレーが五食全部売れました」

「六人目の方には出せなかったので、どうしてもカレーを食べたい方は、事前にDMいただけると

 助かります」

 予約があれば、その人の分を残しておく。

 人数が分かれば、最初から少し多めに作ることもできる。

 ただし、いきなり十食へ増やすつもりはなかった。

「五食売れたからって、来週から十食にはしません」

「十食作って五食余ったら、俺がずっとカレー食わなあかんので」

 代わりに、カレーが売り切れた時のため、乾き物を少し置こうと考えていた。

 せんべい。

 柿の種。

 保存が利き、出すだけで済むもの。

「カレーなくても、お茶とか酒飲みながら喋ることはできます」

「飲食店というより、ほんまにおじさんと喋る場所なんで」

 酒も少しずつ減っていた。

 千本桜は評判がよかった。

 最初に買った一升瓶が空になるほどではないが、この先も営業するなら、

 予備を用意しておいた方がよい。

「今度、また酒屋さんに行って、芋焼酎をもう一本買おうと思ってます」

「同じ千本桜にするか、別のおすすめを聞くかはまだ考え中です」

 日曜日の夜についても告知した。

「日曜夜は予約制です」

「複数人で予約をいただけたら、開けることはできます」

「ただ、土曜日の朝から働いてるので、予約なしで毎週夜まで開けるのはしんどいです」

「来たい人は、早めにDMください」

 無理をして、すべての時間を営業に使うつもりはない。

 予約がなければ休む。

 小説を書く。

 家でカレーを食べる。

 それも、この店を続けるためには必要なことだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 9月4週目。平日は、本業へ行った。

 帰宅すれば小説を書く。

 時間がある日は店へ寄り、窓を開けて空気を入れ替える。

 カウンターを拭く。

 冷蔵庫の中を確認する。

 床へ落ちた小さなごみを掃除機で吸う。

 客がいない店へ入ると、営業中とは別の顔が見えた。

「ほんまに、店持ってるんやな」

 まだ、その感覚には慣れなかった。

 棚の焼酎を横目で見る。

 炭酸水は、もう少し必要になる。

 ウーロン茶も買い足しておいた方がよい。

 せんべいと柿の種を、どこへ置くか。

 保存容器はいるか。

 細かなことを考えているだけで、時間が過ぎた。

 喫煙可能にする話も、一度は考えた。

 だが、この二週間、たばこを吸いたいと言った客はいない。

 友人からも、禁煙の方がありがたいと言われている。

「今のところ、いらんな」

 必要のない手続きへ、先に金を使うことはない。

 客から希望が出て、売上にも余裕ができてから考えればよい。

 その代わり、使わなかった金を全部利益と思わないことにした。

 何かが壊れる。

 足りない物が出る。

 思いもよらない費用が発生する。

 そのための予備費は、店の中へ残しておく。

「今月は、給料なし」

「来月も、多分なし」

「でも、店は自分で家賃を払えてる」

 博之は誰もいないカウンターで、一人ぶつぶつと確認した。

 十分だった。

 まだ二週間。

 たまたま客が続いただけかもしれない。

 九月第四週の営業では、急に少なくなるかもしれない。

 それでも、最初の不安は一つ消えていた。

 この店は、絶対に金を吸い込むだけの穴ではない。

 少なくとも、今のところは自分で回ろうとしている。

 博之は冷蔵庫の扉を閉め、店内の照明を消した。

「次の土日も、五人分でええか」

 大きくしない。

 焦らない。

 一人ずつ来てもらう。

 使った分を買い足し、余った金を少し残す。

 メンヘラおじさんの隠れ家は、派手に儲かることもなく、潰れそうになることもなく、

 ようやく小さな店として回り始めていた。

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