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2026年8月2週目。第18話 九月一日には間に合わない。保健所、講習。各種許可。

 八月の第二週。

 博之は、店内の寸法を書き込んだ平面図と、スマートフォンで撮影した写真を持って、

 保健所へ相談に行った。

 古い雑居ビルの三階。

 六席の元スナック。

 土曜日と日曜日だけ営業する。

 昼はカレーとコーヒー。

 土曜日の夜は酒を出す。

 博之が説明すると、担当者は図面を見ながら、一つずつ確認していった。

「カレーは、どこで調理されますか?」

「基本的には店内です。ホットクックを使って野菜と肉を煮込み、IHヒーターでカレールーと

 煮込みます。米は炊飯器で無洗米を炊こうと思っています」

「食材の保管は?」

「冷蔵庫を新しく置きます」

「手洗いは、こちらですか?」

「今ある流しとは別に必要ですか?」

「設備の状態を見ないと断定できませんが、調理用の洗浄設備と、

 従業員の手洗い設備は確認が必要です」

 次々に出てくる項目を、博之はノートへ書き留めた。

 手洗い設備。

 冷蔵庫の温度計。

 蓋付きのゴミ箱。

 洗剤や消毒液の保管場所。

 換気。

 食器の保管。

 害虫対策。

 清掃記録。

 営業を始めるまでの手続き。

「思ってたより、ちゃんと見られるんですね」

「食品を扱う以上、最低限の衛生管理は必要ですから」

「元々スナックやった店なんですけど」

「以前の営業許可が、そのまま新しい営業者へ引き継がれるとは限りません」

 当然の話だった。

 同じ場所でも、店をする人間が変わる。

 出すものも変わる。

 酒と乾き物だけを出していた店と、カレーを調理する店では条件が違う。

 前の店が営業できていたというだけで、自分もそのまま営業できるわけではない。

 それでも、相談そのものは思ったほど厳しいものではなかった。

 最初から怒られるわけでもない。

 店を始めるなと言われるわけでもない。

 必要な設備を確認し、不足しているものを直し、その後に申請と現地確認を受ける。

 順番に進めればいい。

「これなら、何とかなるかもしれんな」

 そう思ったのも束の間だった。

 食品衛生責任者の資格について尋ねると、担当者から養成講習を受けるように言われた。

 博之は防火管理者と防災管理者の資格は持っている。

 だが、食品衛生に関する資格はない。

 帰宅して、すぐに講習の日程を調べた。

「予約、全然空いてへんやんけ」

 八月の第二週に探し始めたのに、取れそうな講習は第四週だった。

 一応、予約は入れた。

 だが、講習を受けてから申請し、設備を整え、現地確認を受けることを考えると、

 九月一日の開店は難しい。

 警察にも、営業形態を確認しなければならない。

 午前零時までに閉店する予定ではある。

 それでも、滞在料金を取り、客と会話する店である以上、どこまでが普通の飲食店営業で、

 どこからが接待に当たるのかは確認しておきたかった。

 消防への届出もある。

 喫煙をどうするかも決まっていない。

 契約をすれば、すぐにカレーを作って客を入れられる。

 そんな単純な話ではなかった。

「許可関係だけで、結構時間かかるな」

 博之はカレンダーを見た。

 店の契約は九月から始まる。

 営業できなくても、家賃三万円は発生する。

 清掃代もかかる。

 冷蔵庫や電子レンジを買えば、さらに金が減る。

 当初は九月一日開店という分かりやすい日付を考えていた。

 だが、現実はExcelの開始日ほどきれいには動かなかった。

「まあ、しゃあないか」

 焦って無許可で始めるわけにはいかない。

 九月一日に店を開けられなくても、九月から準備を始めることはできる。

 清掃を入れる。

 設備をそろえる。

 カレーを試作する。

 料金表を作る。

 SNSで少しずつ告知する。

 許可が整った時に営業できる状態へ近づけておけばいい。

 その夜、博之はYouTubeの配信を始めた。

「メンヘラおじさんの隠れ家について、少し進展があります」

 いつもの視聴者が集まり始める。

「場所は決まりました。茨木の春日にある、六席ぐらいの小さい店です」

 住所を細かく公開するのは、まだやめておいた。

 契約前後の手続きも残っている。

 誰でも自由に見に来られても困る。

 それでも、構想だけだった店に、実際の場所ができたことは伝えたかった。

「一応、九月オープン予定です」

 一度そこで言葉を切る。

「ただし、九月一日ではないです」

『延期?』

『何か問題あった?』

『店できへんの?』

「問題というより、許可関係です」

 保健所へ相談したこと。

 食品衛生責任者の講習予約が八月第四週になったこと。

 警察にも営業形態を確認する予定であること。

 消防や清掃も含め、店を始めるには思った以上に手続きがあること。

 分かる範囲で説明した。

「俺も、物件借りたらすぐできると思ってたんですよ」

『そんな簡単ちゃうやろ』

「知ってる人は、そらそう言いますよ。でも、やったことない人には分からんやん」

 博之は笑った。

「だから、この辺も含めて、動画にしようかなと思ってます」

 ライブ配信で店内を映し続けるつもりはない。

 客の顔が映る危険がある。

 店の正確な構造や防犯上の情報を、すべて公開するわけにもいかない。

 だが、準備の経緯をVlogとして残すことはできる。

 保健所へ何を相談したか。

 食品衛生責任者の講習にいくらかかったか。

 清掃業者の見積もり。

 必要になった設備。

 警察や消防へ、どのような確認をしたか。

 自分のケースでは、どれほど時間と金がかかったのか。

「これから小さい飲食店やってみたい人には、多少参考になるかもしれません」

『経費全部公開するの?』

「全部は無理です」

 博之は即答した。

「家賃とか設備代とか、話せる範囲では話しますけど、契約書を全部見せるとか、

 住所も防犯情報も全部出すとか、そこまではせえへんよ」

 発信することと、私生活を丸裸にすることは違う。

 物語として面白いからといって、客や管理人の情報まで勝手に公開してよいわけではない。

 何を見せるか。

 何を伏せるか。

 それも、これから決めなければならない。

「営業は、基本的に土曜日の昼と夜。それから日曜日の昼です」

 昼は七百円のカレー。

 コーヒーかウーロン茶は二百円。

 長く滞在して話す場合は、一時間千円程度のチャージ。

 土曜日の夜は、一時間三千円を基本にする。

「日曜の夜は、次の日の仕事もあるんで、基本は閉めます」

 ただし、何人か予約がまとまり、自分の体調に問題がなければ、予約営業をする可能性はある。

 毎週必ず開けるのではなく、無理のない範囲で続ける。

「仕事辞めて勝負する店ちゃいますからね」

 会社員を続ける。

 体調も守る。

 借金はしない。

 できる日だけ、小さく開ける。

 以前なら、それを覚悟が足りないと考えたかもしれない。

 だが今は、続けるための条件だと思っていた。

 配信で説明しているうちに、博之自身の頭の中も整理されていった。

 九月一日に開けられないことは、失敗ではない。

 許可がそろう前に無理やり始める方が失敗である。

 家賃が発生するからと焦り、設備を適当にそろえる必要もない。

 準備期間も含めて、店づくりだった。

「まあ、九月中に開けたらええかなと思ってます」

『ゆっくりでええやん』

『準備動画見たい』

『保健所編おもろそう』

「保健所編って何やねん」

 博之は笑った。

 華やかな開店動画より先に、講習の予約が取れない動画ができそうだった。

 それも、自分らしい気がした。

 配信を終えたあと、博之はルーズリーフに今後の予定を書いた。

 八月第二週、保健所相談。

 八月第四週、食品衛生責任者講習。

 警察への営業形態相談。

 消防への確認。

 清掃業者の見積もり。

 設備購入。

 試作。

 営業許可の確認。

 正式な開店日告知。

 予定は、最初に考えたものより遅れている。

 だが、空想だった頃より、やるべきことははっきりしていた。

 九月一日には間に合わない。

 それでも、店は少しずつ近づいている。

 博之は日付の決まっていない開店予定表を眺めながら、小さく息を吐いた。

 始めるというのは、勢いよく扉を開けることではない。

 開けてもよい扉なのかを、一つずつ確認することなのかもしれなかった。

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