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茶会が終わり帰路に着く。
久しぶりに琴乃以外と時間をかけて話たためか、日和殿を出た途端疲労感が雪花を襲った。
(でも、日乃子さまは悪い方ではなかったわ)
元々悪い印象はなかったが、今日話をしていて日乃子の人となりが分かった気がする。一瞬敵意を向けられたが、一つの座を争い合う妃同士なら仕方のないこと。雪花が皇后の座に興味がないことが分かると、日乃子はまるで前から深い仲だったかのようによく話した。
雪花は程よく相槌を打つだけだったが、不思議と不快な気持ちにはならなかった。きっと彼女は根本的に優しい人なのだろう。
雪花は少し後ろを歩く琴乃の手の中を見た。琴乃は大きな風呂敷つづみを抱えている。
(日乃子さまからたくさん紅茶を分けていただいてしまったけど、何かお返しをするべきかしら? 何を差し上げたら良い……?)
悶々としながら回廊を進んでいた雪花は、ふと視線を庭に向けた。青々とした草木の中に小さな白い花がまばらに咲いている。花の中央部分は明るい黄色。その周囲をぐるりと白い花びらが覆った小さな花々。
(あれは野菊……)
「ゆ、雪花さま?! いかがなさいましたか!?」
琴乃の慌てる声が聞こえたものの、雪花の身体は吸い寄せられるように野菊に向かっていた。
回廊から庭へつながる段差を降り、他のものには目もくれず進んでいく。
そして野菊の前にたどり着くとしゃがみ込んでそっと花に触れた。
今朝、熱で身体を震わせていた千代の姿が頭に浮かぶ。
(確か野菊は熱を鎮める効果があったはず……)
そんなことを何かの本で読んだことがあった気がする。雪花は躊躇わずにその小さな花を摘み取り、袂に潜ませていた風呂敷に包み始めた。
「雪花さま、突然いかがなさいましたか?」
追いついた琴乃が不思議そうに雪花を見る。
「……野菊は風邪に良いと思い出したのよ」
「まあそうだったのですね」
「その花をどうされるのですか?」
琴乃との会話の途中に聞こえた低い声。雪花はぴくりと身を固くした。
女の園で滅多と聞こえない声色だった。雪花がぎこちなく首を後ろに向けると、背後にはすらりと上背のある男が立っていた。
深海のような透き通った深い青色の瞳に、風に靡く絹のような艶のある髪。
落ち着いた花紫の束帯に黒い冠を被った、細身の男性。
「それは野菊ですね。何かに使用するのですか?」
「……」
その美しい佇まいに、雪花は思わず見入ってしまった。
刹那、ほんのり冷たい風が野菊を揺らす。雪花ははっと我に返り、視線を自分の手元に戻した。
そしてわずかに口角を持ち上げる。
「……風邪をひいてしまったわたくしの侍女に菊茶を淹れようと思いまして」
「わたくしの侍女…… あぁ、あなたは皇后候補の方ですね?」
「……はい」
早くこの場から立ち去って欲しいと願っても、なぜか雪花に話しかけるのをやめない。早く花を摘み終えて、安心できる六花殿に戻りたいのに。今背後に立つ男の視線はもちろん、回廊からちらちらと見られている視線に耐えきれなくなっていた。
今日はすでに日乃子とのお茶会といういつもと違う事をしてきた。感情を表に出さないように集中してきたが、そろそろ疲れてきた。これ以上、人と関われば、感情が漏れ出てしまうかもしれない。男が早く立ち去る事を願い黙々と手を動かしていると、あろう事か男は雪花の隣にしゃがみ込んできた。
「私も手伝います」
「……え? い、いえ、大丈夫ですので……」
「二人で摘んだほうが早く終わりますよ」
それだけ言うと男は黙って手を動かし始めた。
距離が近い。それに天華宮内で氷の妃と異名がある雪花に簡単に近づいてくる人は珍しく、調子が狂ってしまう。
(……この方は一体どなた?)
天華宮内は基本的に男性は立ち入れない。入れるのは帝とその血縁者のみ。だとすれば、皇族の誰かだろうか。
花を摘みつつ隣の様子を伺う。雪花は軽く視線をあげ、隣を盗み見た。花に触れる姿も様になっている。
雪花の視線に気づいたのか、男はゆっくりと顔を上げた。目が合った。
「あぁ、すみません。まだ名を名乗っていませんでしたね。私は春陽と申します」
(……春陽)
「つい先日まで隣国に行っておりましたので、お初にお目にかかりますね」
ついさっき日乃子の口から聞いた名を思い出す。にこやかに笑んでいる男は帝の弟、遊学から帰ってきたばかりの春陽であることが結びついた。
確かに日乃子が言ってた通り帝とあまり似ていないかもしれない。そんな印象を受けた。
「お名前をお聞きしても?」
色々なことが頭を駆け巡り、ぼーっとしていた雪花の顔を覗き込むように春陽はこちらを見る。雪花は目線を逸らすと消え入りそうな声で答えた。
「……雪花と申します」
「雪花殿、良い名前ですね」
「……っ」
琴乃と話している時のように会話がすんなりと進んでいく。天華宮にいる人は皆、笑みの少ない雪花に気を遣ってか話し方がどこかぎこちない。それなのに春陽は雪花の愛想がない姿を気にすることもなく普通に話すからこちらも戸惑ってしまった。
「……ありがとうございます。このくらいで充分です」
雪花は急いで風呂敷を包むと、さっと立ち上がった。
「そうですか。お役に立てて良かったです」
ゆっくりと立ち上がる春陽。その背はやはり高く、立っている雪花を悠に超えていた。
「本当にありがとうございました」
雪花は顔をも見ずに深々と頭を下げると、回廊に戻っていった。
(あの方はなぜ愛想のないわたくしを恐れなかったのかしら?)
心の中で疑問が浮かぶ。
だが、久しぶりに向けられた怯えも憐れみもない視線や自然な会話が雪花の頭にいつまでも残るのだった。




