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時は少し遡る。
天華宮に到着した春陽は驚きのあまり呼吸の仕方を忘れかけた。
天華宮一帯が灰色の分厚い雲に覆われ、氷の破片が所々に突き刺さっていたり、塊が落ちていたりした。
池の水にも膜が張り、屋根の至る所につららのようなものが見える。
そして何より寒い。身体の芯から冷え込みそうな空気が流れていて、無意識のうちに自分の身体を抱き抱えていた。
春陽は天華宮の奥へ進み、雪花と兄を探したが、外には天華官女を含め人が一人もいない。
(なぜこんなことに……)
情報が何もなく気ばかりが焦り、春陽は唇を噛み締めた。
「春陽さま……!」
背後から聞こえてくる声に顔を向けると、手に書簡を抱えた敦矢が向かってきた。
「お戻りになられたのですね」
「敦矢殿! 雪花は? 今どこに?」
春陽の問いに敦矢は顔を歪めた。
「ただ今、中庭にて公開詮議が執り行われております」
「なにっ……」
「雪花の持つ力が主上のお耳に入られまして」
「……!」
春陽は冬弥に教えてもらったことを思い出す。帝が妖の力を持つ人を排除しようとしていることを。
春陽は中庭に向かって走り出す。
(無事でいてくれ……)
走り出した春陽の背に敦矢は声をかけ、動きを制した。
「春陽さま」
「……っなんだ」
振り返った春陽は、これまでになく真剣で、鋭い表情をしていた。
「北雪山では何かお分かりになりましたか?」
「あぁ。雪花の母親のことも聞けたし、その母親を殺した犯人も見当がついた」
「左様でございますか」
「先に進みたいのだが」
変わらず落ち着いた口調の敦矢につい切羽詰まったような言い方をしてしまう。
まず今は雪花の元に駆けつけたいというのに。
「用意は整いました」
「……は?」
敦矢の真剣な目が春陽を捉える。
「この書簡には、これまでの主上の悪事がまとめられております。今まで決定的な証拠がなく色々と見送っていた件が多々ありましたが、今回、夕凪さまの流産の件に主上が関わっていると報告を受け、調査を行ったところ十分捕縛に値すると判断いたしました」
「……そうか」
「春陽さま、本日で全て終わらせましょう」
「……敦矢殿」
「天華宮に潜む悪を一掃し、民の皆々が安心して過ごせる国を築いて参りましょう。人間ももちろん妖の血を持つ者も」
あの傲慢な兄を捕縛し、自分が中心となって国を作っていけば、雪花や冬弥たちは生きやすくなるだろう。
だが、自分に国の頂に立つ責務が務まるだろうか。
兄を自由にさせられないと強く思っていたものの、いざ決断を迫られると少し戸惑ってしまう。そんな自分が情けない。
爪が食い込み、血が出てきそうなくらい強く手を握りしめた。
ぴゅるるるるる。
中庭の方角から冷たい強風が吹き荒れた。思わず目を瞑る。
その風が頬に当たるたびこつんこつんと何かがぶつかった。
うっすらと目を開き自分の頬に触れる。
指の先についていたのは、小さな氷の破片だった。
(氷……)
はっと目を見開き、中庭の方を見る。
(雪花……!)
ただならぬ不安が膨らんでいく。
強い冷風に氷の粒。
雪花の身に何かあったのかもしれない。
(私はこの国も、雪花も救いたい)
春陽は敦矢を見ると力強く頷いた。
「敦矢殿。私に力を貸してほしい」
勇ましい春陽の言葉に、敦矢は安心したように笑った。
「もちろんでございます」
「では、参ろう」
二人は頷き合うと中庭に足を進めた。
中庭に近づく度に空気が冷えていく。
たどり着いた春陽は目を見開いた。
観衆の真ん中、粗末な御座に崩れるように座る雪花は肩を震わせ涙をこぼしていた。雪花の周りには氷の粒がいくつも落ちている。
帝は春陽が今まで見たことがないような軽蔑した顔で雪花を睨み言葉を発していた。
その様子に春陽の中で怒りが込み上げる。
「お待ちください」
気が付けば身体が動いていた。
「……春陽」
人々の視線が自分に集まるのが分かる。眉を顰めた帝も目に涙をためた雪花もこちらを向いた。
「春陽さま……」
雪花の口元がかすかに動き自分の名を呼ぶ。弱々しい雪花の姿に胸が締め付けられた。
春陽は雪花の隣まで出ていくと隣にしゃがみ込み、彼女の細い肩に手を置いた。
「雪花、一人でよく頑張ったな」
顔を覗き込むと涙が次々溢れてきた。
しかし、頬を伝って落ちる涙はなぜか氷にならない。
(やはり冬弥殿の話は本当なのか……)
春陽は指で雪花の涙を拭うと微笑みかけた。
「もう大丈夫だ」
「春陽、さま…… わたくしはっ、この氷はわたくしが……」
雪花は凍てつく天華宮の原因を訴えようと口を動かしていた。しかし、聞かなくても分かる。
雪花の力の正体も、今何が雪花の感情を揺さぶっているのかも春陽は分かっているから。
春陽は雪花の艶やかな髪をひと撫ですると立ち上がり、帝に向き直った。雪花を庇おうとする春陽に帝の顔つきは酷くなるばかりだった。
「おい、春陽。その化け物に構うな」
「なぜです? 雪花は何もしてはいないでしょう?」
「何かをした、していないではない。この天華国に化け物は存在する価値がないと言っているのだ」
「何か害があるなら話は別ですが、彼女らは何もしていません。ただ静かに暮らすことも許されないというのですか?」
「当たり前だ」
きっぱりと言い切る帝に春陽は歯を軋ませた。
「私は妖が嫌いだ。私の国に必要はない。排除して当然な存在だからな……!」
「……いい加減にして下さい」
自分でも今まで出したことがない低い声が、自然と出た。
兄を睨みつける。兄は視線を春陽に移すと馬鹿にしたように鼻で笑った。
「は、お前ごときがなにを」
「私はあなたを許さない。父上が大切にしていた国を、民を、そして雪花をこんなにも苦しめている愚かなあなたを」
「ふっ、どうせお前は私に勝てやしない。私がここの国をすべる者だからな」
嫌な笑みを浮かべる兄。
春陽の胸の奥が、じり、と熱を帯びた。
これまで感じたことのない、異様な熱。怒り、だけどそれだけでは収まらない、熱くて強い何かだった。
どくどくと血が勢いよく全身を巡り、体温を上げていく。
胸が焼けるように痛い。
「……っく」
春陽は自分の胸を強く抑えた。
「春陽さま……?」
上がる息を整えようと冷たい空気を肺いっぱいに取り込む。
(なんだ? この熱さは)
だが、感じたことのない熱に意識が朦朧としてくる。
「春陽さま? 大丈夫ですか?」
座り込む雪花が不安気に春陽を見上げた。
(雪花……)
驚く雪花を安心させようと口を開いた時だった。
春陽の意識が飛んだのは。




