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帝の後を追い六花殿に行こうとしていた春陽だったが、まるで仕組まれていたかのように足止めをくらった。
今すぐに必要ではない仕事を帝の側仕えから押し付けられ、やきもきしながらこなしていく。
全て終えたのは日が完全に沈み、空が漆黒に包まれた頃だった。
「あとは頼む」
和正に最後の仕上げを頼んだ春陽は、六花殿へ続く回廊を大股に進んだ。
六花殿に近づくにつれ感じる違和感。
どこかから冷たい風が吹き、春陽の身を震わせた。
(寒い。六花殿に近づくたびに気温が下がっている気がする)
刻々と冬に近づいてきてはいるが、急にこんなに寒くなるのはおかしい。
(雪花殿……)
嫌な予感が頭を駆け巡り、気持ちばかりが焦る。天華官女が驚くのも無視し、回廊をひたすら進んだ。
六花殿は相変わらず静かで音が聞こえない。
「誰かおらぬか?」
入り口から声をかけるが、反応が返ってこない。その間もじわじわと寒さが春陽を襲った。
(このままでは……)
無礼だとは分かっている。だが、このままここで待っていても埒が開かない。
「失礼」
念の為、声を張り上げて掛ける。そして宮殿の奥に進んだ。
(何が起きたんだ……?)
六花殿の廊下には人が一人もいない。そして奥に進めば進むほど、寒さは強くなり、廊下の欄干にはうっすらと霜が降りていた。
驚きながらも雪花の部屋に急ぐ。角を曲がり、雪花の部屋の前にたどり着いた春陽は、六花殿の侍女たちが集まっている所に遭遇した。
(何があったのだ?)
春陽の足音に気付いた侍女たちがこちらに顔を向ける。その顔は青ざめていた。
長い間寒いところにいたからだろうか。顔や手は青白くなり震えていた。
「そこで何をしている」
頭を寄せる侍女たちは春陽に声をかけられると戸惑った表情のまま頭を下げた。
「一体何が……は……?」
侍女らの手元をよく見ると、いつも雪花のそばにいる筆頭侍女が横わっていた。
「琴乃殿!?」
琴乃のそばに駆け寄り、顔を覗き込んだ春陽は目を疑った。
顔や手が異様なまでに青白く、まつ毛や髪の毛先にうっすらと氷の膜が張っていた。
まるで凍死しているかのよう。
「た、ただいま医官を呼びに行っております……」
「なぜこうなっている? それに雪花殿は?」
おずおずと切り出す侍女に、春陽は問う。だが、彼女らもよく分かっていないようだった。
「雪花さまは、自室にいらっしゃるはずなのですが、こちらの襖が開かないのです」
「開かない、だと?」
「何度お声を掛けても返答もありません……」
よく襖を見てみると、ぴったりと閉じられていた。そこにはうっすらと輝く氷の膜が張り、極光のようだった。
「私が開けてみる。男の私の方が力もあるだろう。だが、まずは琴乃殿を運ぶ。部屋に案内してくれ」
「かしこまりました」
春陽は半分凍っている琴乃を抱き上げた。腕や胸元に伝わる凍てついた空気感。
思わず顔を顰めそうになる冷たさを堪えながら、琴乃を開いていた隣室に寝かせた。
「……ゆ、きか、さま」
布団に横たわった琴乃が譫言のように呟く。
部屋に運び込んだからか、琴乃はほんの少し息が吸いやすそうになっていた。
琴乃を他の侍女たちに任せ春陽は氷で閉ざされた襖の前に立ち、深呼吸をした。
凍てついた空気が肺に入り込み、身体を冷やしていく。
「雪花殿、大丈夫ですか?」
返答はない。
だがよくよく耳を澄ますと、鼻を啜る音が微かに聞こえてきた。
「雪花殿?! 無事ですか?」
春陽は繰り返し声を掛けるが、やはり返答はなかった。
「開けさせていただきますね」
このままでは埒が開かない。襖を開けようとした時だった。
「……来ては、いけません……」
か細い声が春陽の耳に届く。
「……雪花殿?」
「……わたくしのところに来ては、ここを開けてはなりません」
「なぜそんなことを……」
「わたくしはもう、誰も傷付けたくないのです…… 」
「それはどういう……」
「わたくしと関われば不幸になる……わたくしは大丈夫ですから、ここから早く離れてくださいませ。春陽さまを……傷付けたくありません……」
声を震わせ、詰まらせながら大丈夫と言われても説得力の欠片もない。
襖の前に立つだけで冷える。もちろん氷本来の冷たさが春陽を襲うが、それ以上に傷付いているであろう雪花の心が滲み出て冷気を放っているようだった。
「私はそうは思いません」
「……っ」
言い切った春陽の言葉に鼻を啜る音が病んだ。
「私は雪花殿と関わって不幸だと感じたことは一度もありません。あなたと関わって不幸になるだなんて嘘です」
「……でも」
「雪花殿、開けてもよろしいですか? 一人きりで泣いているあなたを放っておくことなんて私にはできない。そちらの方が私は傷付く」
春陽が襖に触れた途端、氷の膜が煌めきながら溶け出した。音もなく空気に変わり、形が無くなっていく。
春陽は呆気に取られその様を見ていた。
氷の膜に覆われていた襖はすぐさま、本来の姿を取り戻す。
(氷が……溶けた? あんなに大きな氷が、一瞬で……)
驚きのあまり目を丸くする。一体何が起こったのか、理解に苦しんだ。
しかし、今は雪花の方が先だと、春陽は覚悟して襖を開け放った。
「雪花ど……」
部屋を見た春陽は絶句した。
そこには部屋の中心で大粒の涙を流して泣き崩れる雪花と、一面氷に覆われた氷の世界があったのだった。
(氷の世界……)
呆気に取られていた春陽の方に、ゆっくりと雪花の身体が傾きだした。
「……危ないっ」
驚きながらも倒れかけた雪花を助けようと一歩足を踏み入れ、抱き留める。
「っ危なかった……は?」
冷え切った身体を抱きとめ、改めて周囲を見た春陽は思わず声を漏らした。
たった今まで壁や畳を覆っていた氷が全て消え去り、いつもと変わらない部屋がそこにはあったのだった。
(氷が消えた……?)
腕の中の雪花は肩を震わせて泣いている。春陽は現実味のない光景に首を傾げるばかりだった。




