1、氷の妃
丁寧に手入れされた庭の楓の葉が、燃えるように色付いている。
柔らかい秋風が吹くたびに葉が揺れて、まるで踊っているように舞い落ちていった。
雪花は縁側に座り、秋めいている庭をじっと見つめていた。
暖かい午後の光。
微かな音しか聞こえない静かな空間。
鼻をくすぐる茶の豊かな匂い。
心地良い静けさに、雪花は天色の瞳をやや細め一人茶を飲んでいた。
雪花が住まう六花殿は後宮の北側に位置し、昼間でもあまり日が当たらない。薄暗い場所だが、賑々しい場が得意ではない雪花にとってはとても居心地の良い所だった。
「だんだん秋も深まってまいりましたね。お姉さ……雪花さま」
唐突に聞こえた声に、雪花は視線を庭から横に向けた。
そこには急須が載ったお盆を持つ琴乃が優しい笑みを浮かべて、こちらを見ていた。
「えぇ、風がとても気持ち良いわ……それより、琴乃、今はわたくししかいないのだから改まらないで欲しいわ」
「良いのですか? どなたかに聞かれてしまうかもしれませんよ?」
「琴乃が義理の妹だとわたくしは知られても構わないわ」
「知られて悪いことはありませんが…… 気を抜いてしまうと六花殿の外でうっかりお姉さまと呼んでしまいそうです」
ふふふ、と笑う琴乃につられて口元が緩みかけた雪花は、視線を庭に戻し、秋の空気を思い切り吸い込んで自分を落ち着けた。
後宮の妃である雪花の筆頭侍女、琴乃は雪花の義理の妹にあたる。雪花の良き理解者で、数少ない信頼のおける人だ。
両親を亡くし、身寄りがない雪花を養子に迎えてくれた養父の実の娘である琴乃は、雪花の一つ下で齢十七歳。年齢の割にはとても落ち着いており、頼りになる。
琴乃を前にすると、自然と雪花の肩の力も抜けていくのだった。
「お茶のおかわりいかがですか?」
琴乃は雪花のそばに腰を下ろすと、新しい湯呑にお茶を注ぎ始めた。とぽとぽと、梅の絵が描かれた急須から緑色の雫が落ちるたび、湯気と豊かな香りが広がっていく。
「……この匂い」
花のような優しい匂いにつられた雪花は、琴乃の手元を凝視した。
見た目は普段飲んでいる茶とあまり変わらないように思えたが、香りがどこか違う。
「先日、行商の者から購入した新しいお茶を淹れてみました。お花のお茶だとか。香りがとても良いですね」
淹れたての茶は、緑が薄く鮮やかで、雪花は引き寄せられるように湯呑に手を伸ばした。
琴乃の一人語りを聞きながら、一口口に含む。
「……!」
口の中いっぱいに広がる爽やかな花の香りに、ほんの一瞬、気を許したように雪花の頬が緩んだ。
「……おいしい」
その途端、秋の涼やかな風の中に、真冬の早朝のようなひんやりとした空気が含まれ、周囲を揺らした。
地面に落ちていた黄色や赤色の葉が持ち上げられて宙を舞い、はるか彼方へ飛ばされていく。
(……っいけないわ)
冷たい風を頬に受け、はっと我に返った雪花は咄嗟に口元を手で押さえ、口を結んだ。
すると、一拍遅れて冷たい風は嘘のように止み、庭には再び静寂が戻った。
――また無意識のうちにやってしまった。
雪花は唇を噛み締めた。
「……大丈夫でございますか? お姉さま」
琴乃の気遣う優しい声が耳に入る。
「……ごめんなさい。つい漏れてしまったわ」
ここにいたのが琴乃だけだったのが救いだ。ほかの人がいたと思うとぞっとする。
「大丈夫です。ここには私しかおりませんし、ずっと気持ちを抑えていてはお姉さまもお辛くなってしまいますわ。お姉さまが少しでも安心して過ごせるように私がいるのですもの」
琴乃は雪花の背中を優しく撫でた。
「……ありがとう琴乃。でも、気を付けるわ。誰かを傷つけてからでは遅いもの」
「お姉さま……」
さっきの薄い笑みはどこへやら。雪花はすっかり、いつもの感情が読み取れない真顔に戻っていた。
ほんの少しの笑っただけ。
それだけでも季節が揺らいでしまう。
もし、感じたままに泣いてしまったら。
もし、心の底から喜べば。
——この力で誰かを傷付けてしまうのではないだろうか。
だから雪花は静かな六花殿でひっそりと、人と関わらないで生きていた。
本来なら華やかな立場にあるというのに。
ここは天華宮。
大陸の北側に位置する小さな国、天華国の最高権力者である帝の妻——皇后候補が暮らす女の園だ。
広大な敷地には四季折々の花が咲き乱れ、清らかな小川が流れている。
門には常時見張りがおり、厳重に警戒されたこの場所には、帝とその血縁者が住む天光殿を中心に、東西南北それぞれに皇后候補が暮らす宮殿があった。
皇后候補は全員で四人。
この中で最も早く御子を生んだ者が皇后になれるという。
雪花は養父から頼み込まれて皇后候補の妃として入内したが、女の欲望が渦巻くここは雪花にとって居心地が悪い場所だった。




