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序章




 両親を亡くした雪の夜から、雪花(ゆきか)は心を凍らせて生きるようになった。


 あれはまだ八つの時。

 両親と寝ていた雪花は玄関先から聞こえた物音に目を覚ました。


「お父さま……? お母さま……?」


 足音を立てずに部屋を出る。長い廊下を恐々進み、玄関の引き戸を開けて見えたものーー


 それは、鮮やかな紅色の水たまりの真ん中に倒れた父と、すすり泣く母、それから刃物を持った大きな男たちだった。


 伏せていて父の顔は見えないが、生臭い香りが鼻に届く。紅色は水しぶきが散ったように、あちらこちらへ飛び散っていた。それに男たちの持つ鋭利な刃物も紅に染まっている。


「なあに、これ……」


「雪花、こっちへ来てはいけないわ! 逃げて!」


 雪花の存在に気付いた母が大声で叫ぶ。普段声を荒げることがない母の声に、雪花は目の前の出来事が只事ではないことを理解した。


「さあ、早く!」


 母の言うことを聞きたいが、恐怖で一歩も動くことができなかった。

 そうこうしているうちに男たちが雪花の方に身体を向ける。


「こいつらの娘か? 母親と似た容姿をしているな」


 動けないでいる雪花にじりじりと男たちが距離を詰める。

 よく分からないが、ここで自分は殺されるのだろう。八歳の雪花でもそれは容易に想像できた。


「子どもを殺すのは胸が痛むけどな。こればっかりは仕方ないんだ。悪く思うなよ!」


 中でも一番大きい男が汚い笑みを浮かべながら刃物を上に振り上げた。


「雪花っ!」


 遠くで母の声が聞こえた。雪花はきつく目を閉じて痛みに備えたが、痛みはいつまでたっても来ない。

 代わりに温かい何かが雪花を包み込む。


「おかあ……さま……」


 嗅ぎなれた優しい匂い。雪花は母に抱きしめられていた。


「……っ」


 ぽたりぽたりと赤い雫が白い地面に垂れていく。赤い雫は止まることを知らずに次から次へと流れていった。


「お母さまっ……! いやっ……血が……」


「……雪花、目を瞑っていてちょうだい」


「え……?」


 母の顔を覗き込むと、力なく優しく笑んでいた。きっと自分に心配を掛けまいと母も必死だったのだろう。母を困らせたくなかった雪花は言う通り手で目を覆い隠した。


「……っいい子ね」


 優しく雪花の頭を撫でた母は、よろよろと立ち上がった。ぬくもりが離れていく。


「……わたくしの大切な人を奪い、傷つけた罪は重い……わたくしはあなた方を決して許しません!」


 母が震えた声で呟いた刹那のことだった。

 どこからか身が凍るような冷たい突風が吹き付け、雹のようなものが降り注いだ。それと同時に男たちの悲鳴がこだまする。

 雪花は強く目を瞑り、風に身体を持っていかれないように耐えた。周囲からは耳障りな音がたくさん聞こえたが、母の言いつけを守る為に微動だにしなかった。


「雪花、大丈夫?」


 しばらくして風が止み、頭を撫でられた感覚に気付いた雪花は目を開け、驚愕した。

 あの大きな男たちが一人残らず倒れ、雪に埋もれていたのだ。


「これは……」


 戸惑う雪花に眉を八の字にして笑う母だったが、大きく身体が傾きその場に倒れた。


「お母さまっ!」


 母の顔色はすこぶる悪かった。ただでさえ色白な肌が、消えてしまいそうなくらい青白く見える。


「お母さま…… わたしをひとりにしないでっ」


 雪花は雪の上で横たわる母の右手を握った。あたたかかった手がどんどん熱を失っていく。


「……愛しているわ、雪花」


 その言葉を最後に、母が目を覚ますことはなかった。




 雪の中泣いていた雪花を助けてくれたのは、通りすがりの親子だった。

 身体を震わせながら大粒の涙を流す雪花に驚きながらも、家に招き、身寄りがないことが分かると養子として迎えてくれた。

 両親を失った悲しみは大きすぎたが、見ず知らずの雪花に心を砕いてくれる親子に胸が熱くなったのも事実だった。


 しかし、雪花はこの時に自分の異変に気付く。

 両親を想って流した悲しみの涙は氷の粒になり、両親を殺めた犯人のことを考えて流れた怒りの涙は鋭い氷の刃となり地面に突き刺さっていった。

 夜な夜な泣いて過ごした日には、部屋一帯を凍らせてしまったこともある。

 原因は分からない。ただ。


 ——自分が感情を出せば、周囲の人に迷惑をかける。傷付ける。


 そう悟った。

 それでも、養父たちは決して雪花を責めなかった。

 大丈夫だと頭を撫でてくれたが、雪花は自分の力で大切な人を傷付けることが怖かった。

 それから雪花は人との関りを避け、心を凍らせて生きるようになった。

 感情を失えば、誰も傷付けずに済むと思ったから。

 

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