2
(……今のような些細な笑みでも力が溢れ出てしまうのだから、やはり気をつけなくては)
自分にきつく言い聞かせていた時、小さな震えた声が聞こえた。
「……あ、あの……雪花さま、失礼いたします……」
足音なく、雪花と琴乃の元にやってきたのは、六花殿に仕える年若い侍女だった。
最近六花殿に入ったこの侍女は、どこか緊張した面持ちで雪花の前に膝を正す。手には漆塗りの盆を持っていた。
「何かありましたか?」
雪花は義務的に、わずかに口角を上げ侍女を見る。けれども、目の奥は空虚だった。
「あ、あの……」
ほんのり微笑んでいるのに、どこかそっけない雪花の態度に、侍女は肩を震わせながら深々と頭を下げ、雪花の前に盆を差し出す。
盆には、きれいに折りたたまれた文が載っていた。紙質から見て位の高い人からのものだと予測がつく。
「ごゆっくりされているところ申し訳ございません。あの……日和殿の日乃子さまより文が届きました」
「あなた、これを受け取ったのですか?」
雪花より早く反応した琴乃は、侍女にやや強い口調で問う。
「……え? あ、あの…… はい。受け取りました」
琴乃の圧に侍女はしどろもどろに答えた。
「他の妃の侍女からの文や物を受け取ってはいけないと何度もお伝えしたはずですが」
「あっ…… も、申し訳ございません……!」
琴乃の言葉の意味を理解した侍女の顔色が徐々に悪くなっていく。今にも泣き出しそうに深々と頭を下げた。
「あなたのひとつの間違いが、雪花さまを……」
「琴乃」
雪花に対する心配や気遣い。筆頭侍女として主人を守る為に部下を正そうとする琴乃の言葉を雪花は制した。
「受け取ったものは仕方がないわ。元はといえば私が悪いんだもの。それをこちらに」
目で告げれば、侍女は息を詰まらせながら音を立てずに雪花に近づいた。
雪花は無言で手を伸ばし、文を受け取る。そして中身を確認することなく、懐にしまい込んだ。
その時、雪花は侍女の異様な雰囲気に気付がつく。
(あら……?)
顔が伏せられているため、全ては見えないが、少し見えた横顔が普段より赤みを帯びている気がする。
それに、盆を差し出す手が小刻みに震えていた。声が出しづらそうなのは、緊張だけが理由ではないだろう。
「あ、あの」
文を仕舞い込んだ雪花に、侍女は慌てたように声を発した。
目と目が合う。
雪花の天色の瞳に、侍女は勢いをなくした。
「も、申し訳ございません……急ぎの文です、とのこ
とでしたので、お早めにお目通しください……」
「分かりました」
「申し訳ございませんでした。失礼いたしまーー」
「千代」
用件を伝え終え、足早に立ち去ろうとした侍女が腰を浮かせたのと、雪花が彼女を呼び止めたのは、ほぼ同時だった。
名前を呼ばれた侍女、千代はさらに動きを止める。
「は、はい……」
静かな縁側に、千代の絞り出すような声が響いた。
「あなた、今日はもう自室に戻りなさい。いつもより顔が赤いわ」
「……え?」
「体調が万全でなければ、どうしても間違いが起きてしまうものよ」
雪花が言葉を告げた瞬間、千代はぎょっとしながら雪花を見た。
「後の仕事は他の侍女にやってもらいなさい。今日は自室から出ないこと。分かりましたね?」
「……え、いや、あの……」
雪花の淡々とした物言いに、千代は驚きと怯えを滲ませながらうろたえている。
だが、そんな千代に目をくれることもなく、雪花は琴乃に指示を出した。
「琴乃、千代を部屋に連れて行きなさい」
「かしこまりました」
顔面蒼白な千代の返答も待たず、雪花は湯呑を置き静かに立ち上がった。
話の展開が早すぎて千代はついていけないようだった。視線をうろうろさせていたかと思えば、勢いよく頭を下げる。
「も、申し訳ございません…… 知らなかったとはいえ贈り物を易々と受け取ってしまい……」
千代は青ざめ、小さくなって謝罪を繰り返した。
まるで雪花を鬼や妖に重ね合わせているような、そんな怯え方だった。
「別に怒っていないわ。琴乃、良いから早く連れて行きなさい」
「かしこまりました」
「ゆ、雪花さま……っ!」
ぱさりと打掛を翻し、颯爽と立ち去る雪花を、千代は涙ぐみながら見送るのだった。




