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夜鳴き蕎麦徒然草子  作者: いわん
第十部:文化十三年、江戸日本橋。

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第九十三回:「蕎麦屋」の真髄。

初秋。江戸は日本橋。

橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。

提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。

夜ともなれば、人通りは少ない。荷上げの人足、同心の夜廻。昼の喧騒とは通る人も違っていた。

その「夜鳴き蕎麦屋」には、毎日のように常連客が訪れていた。


その日の昼。裏長屋。

若者は蕎麦を打ち終え、出し汁の準備をしていた。

「……どうでしょう……」

店主は出し汁の出来を確認する。

――まだ、最後の詰めが甘いが、これなら……

店主は、決断した。

今晩、この若者に「夜鳴きそばの屋台」をすべて任せることに。

蕎麦打ちから出汁とりから全てを「任せる」。

「……出かけるぞ。今日の天ぷらを買いに行く……」

「……ついて行っていいんですかい?」

若者の問いに店主は答えた。

「仕入れも覚えないと、『蕎麦屋』とは言えないからな」

そう言って、店主は出かける準備をするのだった。


夜。

日本橋。夜鳴き蕎麦屋「清吉」。提灯に灯りが付いていた。

屋台の調理場には、若者が立っていた。

店主はその背後で若者を見守る。


常連客が暖簾を上げた。

「お、またあんたかい……じゃあ、天ぷらをお願いしようかな」

「あいよ。天ぷら一丁」

若者の声から余計な緊張が消えていた。

若者は、蕎麦を一束、鍋に入れる。

蕎麦を湯から引き上げ、湯切りをした。

椀に開けた蕎麦に出し汁をかけ、かき揚げを乗せた。

その全てが滑らかだった。

「お待たせしました、天ぷら一丁です」

常連客が箸を取る。

一口、蕎麦を啜った。

常連客の目が見開かれる。

それから黙って常連客は蕎麦を啜り続けた。

気がつけば汁まで完食していた。

常連客が口を開いた。

「……あんた、何年目だっけ?」

「ちょうど、二年になります」

「……二年でこれたぁ……店主、いいお弟子さんを育てたねぇ」

店主は苦笑した。

「別に『弟子』ってわけじゃねぇですよ。ただ『蕎麦』を教えているだけでさぁ」

「弟子じゃない?」

店主の言葉に、常連客は首を傾げるのだった。


夜更けになった。

八丁堀が暖簾を上げた。

「お、また、あんたかい……かけ、頼むよ」

「あいよ。かけ一丁」

若者は、蕎麦を一束、鍋に入れた。

蕎麦を湯から引き上げ、湯切りをする。

椀に開けた蕎麦に出し汁をかけ、刻み葱を乗せた。

八丁堀が感心の眼差しを向ける。

「お待たせしました、かけ一丁です」

八丁堀は七味をパラリとかけると、箸を取った。

蕎麦を一口啜る。

「……美味ぇじゃねぇか……今日も、蕎麦と出汁は店主のかい?」

「旦那。今日の蕎麦と出し汁は、全部、こいつが準備したもんでさぁ」

「……それはそれは……いい蕎麦を打つようになったねぇ」

若者は照れたように頭を掻いた。


今日の商いが終わった。

二人は、屋台を畳み始める。

店主がふと漏らした。

「……まあ、今のお前なら大丈夫だ。どこの店でもやっていける……」

そう言われた若者は、胸にある決意を忍ばせていたのだった。


初秋の夜風に吹かれて、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。


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