第八十八回:若者の再挑戦
初冬。江戸は日本橋。
橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。
提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。
昼の裏長屋。店主の蕎麦打ちを、若者は見ていた。その表情は真剣だった。
店主の蕎麦打ちが一段落する。店主は一息ついた。
「……また、屋台に立たせてください」
若者は口を開いた。
「……今度は、ヘマをしません。お願いします」
店主は答えた。
「……構わねぇよ。なんなら、お前さんの蕎麦でやってみるかい?」
「……え……あ……いや……俺の蕎麦はまだ師匠のより全然で……」
店主は笑った。
「『師匠呼び』はやめろ、って言ってるだろ。しかし、自分の蕎麦をわかってるたぁ、お前さんも、物事がわかってきたようだねぇ」
その日の夜。夜鳴き蕎麦屋「清吉」。
その奥には、若者が立っていた。以前より、緊張していた。
逆に、店主は気楽に構えていた。
時刻が過ぎていった。
その時、常連客が暖簾を上げた。
「かけ一丁……って、おや、いつぞやの」
常連客は驚いた。以前の若者が、またそこにいたからだ。
「い、いらっしゃい。か、かけ一丁!」
若者の声は相変わらず、上ずっていた。
若者の背後にいた店主が常連客に声をかけた。
「……すいやせん、旦那。また、こいつの蕎麦を食ってみてくれませんかね」
常連客は答えた。
「あいよ。わかった。さて、前よりどれだけ腕を上げたか、お手並み拝見だ」
そう言うと常連客は笑った。
若者は、蕎麦を一束、鍋に入れた。以前とは違い、パラパラとほぐして入れていた。
蕎麦を湯から引き上げ、湯切りをした。その手つきは力強かった。
椀に開けた蕎麦に出し汁をかけ、刻み葱を乗せた。その手捌きは滑らかだった。
常連客は、その光景をのんびりと眺めていた。口元に笑みが浮かんでいた。
「お待たせしました、かけ一丁です」
若者は、緊張した面持ちで、かけ蕎麦を常連客に差し出した。
蕎麦と出し汁の香りが、常連客の鼻をくすぐった。
「……ありがとよ……では、お手並み拝見……」
常連客は箸を取り、蕎麦を啜った。
言葉はすぐに出た。
「……美味いじゃないか……店主、こりゃうかうかしてられねぇぞ……」
店主は苦笑した。
若者は答えた。
「……ありがとうございます!……ですが、この蕎麦も出し汁も、師匠のなんで……」
「……そういうことかい。じゃあ、今度は、あんたの蕎麦と出し汁で食わせてくれ。期待してるぜ」
その言葉に、若者は頭を下げるのだった。
この日の商いは、若者が全て回した。
常連客も八丁堀も、皆、満足して帰っていった。
「……よかったぜ……」
店主は若者に声をかけた。
――こりゃ、本当に、あっという間に抜かれちまうな……
店主はそう思うのだった。その口元には笑みがあった。
初冬の夜風に吹かれて、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




