第八十五回:落噺
秋。江戸は日本橋。
橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。
提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。
一見客が暖簾を上げた。
かけ蕎麦を注文する。
店主は、蕎麦を一束、鍋に入れた。
一見客は、ほろよい加減だった。
店主は茹で上がった蕎麦を湯切りする。
同時に、店主が口を開いた。
「ご機嫌ですねぇ、旦那」
一見客が答えた。
「おうよ。両国の寄席で可楽の落噺を見てきてね。そのあと、居酒屋で一杯ひっかけて来たもんで」
「落噺ですかい」
店主は答えつつ、蕎麦を椀に開けた。
一見客はご機嫌だった。言葉が止まらない。
「今日も可楽の三題噺は面白かったぜ。上方のも面白いが、可楽の即興話の方が上だね」
店主は蕎麦の椀に出し汁を注いだ。刻み葱を乗せる。
「さいですか……でもお客さん、頼みますから『今何時だ』とか聞かないでくださいよ」
客は一瞬、ポカンとなった。次いで笑った。
「『時そば』かよ!店主、わかってるじゃねぇか」
笑っている客に店主はかけ蕎麦を差し出すのだった。
「……いい香りだ。いい仕事なのがわかる……」
一見客はそういうと蕎麦を啜った。
「……美味いねぇ……出し汁が染みる……」
一見客は満足げに蕎麦を改めて啜るのだった。
蕎麦を食べ終えた一見客は懐をまさぐった。
「ご馳走さん……えぇと……お代は……」
「かけは十六文でさぁ」
「あいよ……十六文きっかりだ。『時そば』みてぇにごまかしゃしねぇぜ」
そう言って、四文銭を四枚、一見客は笑いながら出すのだった。
「ありがとうございます。今後ともご贔屓に」
店主は頭を下げるのだった。
秋の夜風に吹かれて、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




