第八十四回:上方の「新人商人」
初秋。江戸は日本橋。
橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。
提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。
夜ともなれば、人通りは少ない。荷上げの人足、同心の夜廻。昼の喧騒とは通る人も違っていた。
その「夜鳴き蕎麦屋」には、毎日のように常連客が訪れていた。
「やっておますか」
上方言葉と共に、暖簾が上がった。
見ると、いつぞやの上方商人がいた。
そして、その背後には、壮年の男性が立っていた。
「これはこれは、上方の旦那。お久しぶりです」
「……ここは、以前から変わらんねぇ。良いことでおますなぁ……」
上方商人は、カラカラと笑った。
「今日は、言うてた通り、後継を連れてきたよって」
その言葉に呼応するように、壮年の男性が頭を下げた。
「今日は、いろんなところで、こいつのお披露目じゃった。で、最後がここでおます」
上方商人は、再びカラカラと笑った。
「……そいつはご苦労様でした……で、何にしましょう」
「天ぷらを二つ、頼んますよ」
「あいよ。天ぷら二丁ね」
店主は慣れた手つきで、蕎麦を二束、鍋にそっと入れた。
蕎麦を湯から引き上げ、湯切りする。
椀に開けた蕎麦に出し汁をかけ、それぞれにかき揚げを乗せた。
「はいよ、天ぷら、お待たせ」
店主は上方の客に、天ぷら蕎麦を差し出した。
上方商人は嬉しそうに椀を受け取った。
蕎麦と出し汁の香りに、上方商人の頬が緩む。
壮年の男性は、椀を受け取り、首を傾げた。
「……これが、天ぷら……江戸では、これが普通で?」
上方商人は壮年の男性に伝えた。
「こっちの天ぷらは、上方のとは違う。でも、これが美味い。騙されたと思って食うてみな」
壮年の男性は、恐る恐る蕎麦を啜った。
かき揚げを一口齧った。
「……!」
壮年の男性は、それから無言で蕎麦を啜った。夢中であった。
その姿を上方商人は目を細めて見ていた。口元には笑みがあった。
「……これ、上方のうどんとは違いますが……美味いですなぁ……」
壮年の男性は蕎麦の椀を空にすると、店主にそう告げた。
「上方では、天ぷらとか、うどんに乗せないんですかい?」
「うどんに具を乗せてもしっぽくくらいですねぇ。そもそもこういう『天ぷら』は上方にはないです」
「……へぇ……さいでしたか……」
天ぷら蕎麦を食べ終えた上方商人が口を開いた。
「お前さんは、次からあたしに代わって江戸に来るんだ。その時に、ここに立ち寄るが良いさね」
「……良いんでしょうか、旦那さん」
壮年の男性の問いに店主は笑って答えた。
「夏場はやってませんが、秋口以降なら、歓迎しやすよ。いつでもいらしてください」
その言葉に、壮年の男性はニコリと微笑むのだった。
初秋の夜風に吹かれて、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




