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夜鳴き蕎麦徒然草子  作者: いわん
第九部:文化十二年、江戸日本橋。

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第八十四回:上方の「新人商人」

初秋。江戸は日本橋。

橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。

提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。

夜ともなれば、人通りは少ない。荷上げの人足、同心の夜廻。昼の喧騒とは通る人も違っていた。

その「夜鳴き蕎麦屋」には、毎日のように常連客が訪れていた。


「やっておますか」

上方言葉と共に、暖簾が上がった。

見ると、いつぞやの上方商人がいた。

そして、その背後には、壮年の男性が立っていた。

「これはこれは、上方の旦那。お久しぶりです」

「……ここは、以前から変わらんねぇ。良いことでおますなぁ……」

上方商人は、カラカラと笑った。

「今日は、言うてた通り、後継を連れてきたよって」

その言葉に呼応するように、壮年の男性が頭を下げた。

「今日は、いろんなところで、こいつのお披露目じゃった。で、最後がここでおます」

上方商人は、再びカラカラと笑った。

「……そいつはご苦労様でした……で、何にしましょう」

「天ぷらを二つ、頼んますよ」

「あいよ。天ぷら二丁ね」

店主は慣れた手つきで、蕎麦を二束、鍋にそっと入れた。

蕎麦を湯から引き上げ、湯切りする。

椀に開けた蕎麦に出し汁をかけ、それぞれにかき揚げを乗せた。

「はいよ、天ぷら、お待たせ」

店主は上方の客に、天ぷら蕎麦を差し出した。

上方商人は嬉しそうに椀を受け取った。

蕎麦と出し汁の香りに、上方商人の頬が緩む。

壮年の男性は、椀を受け取り、首を傾げた。

「……これが、天ぷら……江戸では、これが普通で?」

上方商人は壮年の男性に伝えた。

「こっちの天ぷらは、上方のとは違う。でも、これが美味い。騙されたと思って食うてみな」

壮年の男性は、恐る恐る蕎麦を啜った。

かき揚げを一口齧った。

「……!」

壮年の男性は、それから無言で蕎麦を啜った。夢中であった。

その姿を上方商人は目を細めて見ていた。口元には笑みがあった。

「……これ、上方のうどんとは違いますが……美味いですなぁ……」

壮年の男性は蕎麦の椀を空にすると、店主にそう告げた。

「上方では、天ぷらとか、うどんに乗せないんですかい?」

「うどんに具を乗せてもしっぽくくらいですねぇ。そもそもこういう『天ぷら』は上方にはないです」

「……へぇ……さいでしたか……」

天ぷら蕎麦を食べ終えた上方商人が口を開いた。

「お前さんは、次からあたしに代わって江戸に来るんだ。その時に、ここに立ち寄るが良いさね」

「……良いんでしょうか、旦那さん」

壮年の男性の問いに店主は笑って答えた。

「夏場はやってませんが、秋口以降なら、歓迎しやすよ。いつでもいらしてください」

その言葉に、壮年の男性はニコリと微笑むのだった。


初秋の夜風に吹かれて、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。


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