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夜鳴き蕎麦徒然草子  作者: いわん
第九部:文化十二年、江戸日本橋。

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第八十二回:待ち合わせ。

江戸は日本橋。

橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」があった。

提灯に書かれている屋号は「清吉」と書いてあった。

店主は、提灯に灯を灯し、暖簾を出した。夜鳴き蕎麦屋が暖簾を出すのは珍しかった。

暖簾には「二八」と書いてあった。

夜ともなれば、さすがの日本橋も人通りは減る。荷上げの人足、同心の夜廻。昼の喧騒とは通る人も違っていた。


その日の夜更け。

屋台の前で立ち止まる客がいた。

暖簾で顔は見えないが、足元を見ると、女のようだった。

――また、船宿の女中かな……

そう思って、店主は声をかけた。

「いらっしゃい。今日はまだ、終いじゃないですよ」

女は暖簾をあげた。店主の知らない女だった。

女はバツが悪そうな表情だった。

「……すいません……その……うちの旦那が、ここの夜鳴きに来るらしくって……」

女は頭を下げた。その頭には、その服装には似合わない、豪奢な鼈甲の簪が刺してあった。

「あぁ、待ち合わせですかい……椅子はないですが、まぁ、構いませんよ」

店主の言葉に、女は再び頭を下げた。


しばらく時が流れた。

不意に、女が店先を離れた。

少し離れたところで、会話する声が聞こえてきた。

そして。

二人仲良く、暖簾を上げて「清吉」に入ってきた。

男は、いつもの荷揚げの男だった。着物の右肩が綻んでいる常連客だった。

「……なんだい、あんた、世帯持ちだったのかい……」

店主の言葉に、男は照れたように頭を掻いた。

「……かけ、二つ、頼んます……」

店主は頷くと、蕎麦を二束、鍋に入れた。

蕎麦を湯から引き上げ、湯切りをする。

椀に開けた蕎麦に出し汁をかけ、それぞれに刻み葱を乗せた。

「はいよ、かけ二丁」

店主は、かけ蕎麦を二人に差し出した。

「……これが、あんたお気に入りの、かけ蕎麦かい……いい香りしてる……」

「……熱いから、気をつけな……」

二人は同時に蕎麦を啜った。

同時にため息が漏れる。

「……美味しい……」

「……変わらず、美味ぇ……」

店主は苦笑した。

「……蕎麦を喜んでくれるのはありがてぇが、そういう『お熱い』のは、家でやってくれませんかね」

店主のその言葉に、二人は顔を見合わせて笑うのだった。


秋風に吹かれて、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。


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