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夜鳴き蕎麦徒然草子  作者: いわん
第八部:文化十一年、江戸日本橋。

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第七十五回:一見客と「鴨南蛮」

秋。江戸は日本橋。

橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。

提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。


夜半過ぎ。

一見客が暖簾を上げた。品書きを見る。

「……鴨南蛮はないのかい」

店主はそっけなく答えた。

「ないですねぇ」

一見客は店主に問いかけた。

「やらんのかい?」

店主はやんわり否定した。

「仕入れも手間も大変ですからねぇ」

一見客は愚痴る。

「……鴨南蛮、美味いんだがねぇ」

店主は淡々と答えた。

「鴨南蛮が食べたきゃ、この先にある『笹屋』さんで食うといいですぜ。店主の治兵衛さんの腕は確かだって話だ」

一見客はしつこく言葉を続けた。

「……『笹屋』はこの時刻にはもう閉まってる。こういう夜中に食べたいんだがねぇ……」

店主はキッパリと答えた。

「……そりゃ、他の夜鳴きで頼んでくださいな。うちじゃやりませんので」

一見客はついに諦めた。

「……わかった……じゃあ、かけで……」

「あいよ、かけ一丁」

店主は蕎麦を一束、茹で始めた。

茹で上がった蕎麦を椀に開け、出し汁を注いで刻み葱を乗せた。

店主は、一見客にかけ蕎麦を差し出した。

一見客は蕎麦を一口啜った。

「……ただのかけ蕎麦なのに……美味ぇじゃねぇか……」

一見客はそう言うと、無言になって蕎麦を啜るのだった。


「……さっきは失礼なこと言って、すまなかった……」

一見客は十六文置くと、そそくさと帰るのだった。

八丁堀が暖簾を上げて入ってきた。

「……どうしたんだい、今の客……」

「……何も……何にしましょう」

「あぁ……かけ一丁、頼むよ」

「あいよ。かけ一丁ね」

店主は、蕎麦を一束、湯へくぐらせた。

茹で上がった蕎麦を勢いよく湯切る。

椀に開けた蕎麦に出し汁をかけ、刻み葱を乗せた。

「はいよ、かけ一丁」

店主は、かけ蕎麦を八丁堀に差し出した。

「……品書き、増やした方がいいんですかねぇ……」

ポツリと店主がこぼした。珍しいことだった。

「……どうした。さっきの客か……」

「……実は、『鴨南蛮』をせがまれましてね……」

八丁堀は出し汁を飲みながら言った。

「……おまえさんの負担にならなきゃいいんじゃないか?出来たら真っ先に来るがね」

「四文屋で、いいのが手に入りゃ、考えないこともない、んですがねぇ……」

「四文屋で鴨南蛮の具?そりゃ無理だろうよ」

そう言うと、八丁堀は笑うのだった。

「そうですよねぇ……四文屋じゃ、そんなの見たこたねぇ」

店主も釣られて笑った。


二人の笑いに釣られるように、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。


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