第六十四回:「富くじ」騒ぎ
初秋。江戸は日本橋。
橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。
提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。
夜ともなれば、人通りは少ない。荷上げの人足、同心の夜廻。昼の喧騒とは通る人も違っていた。
その「夜鳴き蕎麦屋」には、毎日のように常連客が訪れていた。
今日は早くから常連客が二人、入った。
それぞれ、かけ蕎麦を注文する。
店主は、蕎麦を二束、湯へくぐらせた。
「また外れやがった」
常連客の一人が愚痴った。
「……今度はどこのだい」
もう一人が尋ねた。
「湯島の天神さんさね……当らねぇから、今度は目黒のお不動さんにするかね……」
常連客が頭を捻った。
店主は黙って茹で上がった蕎麦を勢いよく湯切った。
出し汁がかけられた蕎麦の椀に、刻み葱を乗せた。
「気をつけな。一九も書いてたが、『当たったと思ったら組み違い』なんてなったら目も当てられねぇ」
常連客がそう忠告した。
「……それもそうだな……」
富くじ好きの常連客が呟いた。
「はいよ。かけ、お待ち」
店主は常連客二人に、かけ蕎麦を出した。
「天ぷらも食えなくなるほど、のめり込むのは危ないですぜ」
店主のその言葉に常連客は答えた。
「そこまでじゃねぇよ。流石にわきまえてらぁ」
「でも、一枚一朱でしょう?あっしにはとてもとても……怖い話ですぜ、『富くじ』は」
店主は常連客の言葉に、首を横に振るのだった。
「邪魔するよ」
八丁堀が暖簾を上げて入ってきた。
「かけ一丁、頼むよ」
「あいよ。かけ一丁ね」
店主は、いつものように蕎麦を湯へくぐらせた。
「旦那。『富くじ』ってどうなんですかい。当たりやすい所とか……」
常連客が八丁堀に尋ねた。
「……『影富』に手を出さなきゃ、俺は何も言わねぇよ」
八丁堀は告げた。
店主は茹で上がった蕎麦を勢いよく湯切る。
出し汁がかけられた蕎麦の椀に、刻み葱が乗せられた。
「はいよ、かけ一丁」
店主は、かけ蕎麦を八丁堀に差し出した。
「まぁ、『富くじ』は、お上公認だ。俺がとやかくいうことじゃねぇ……」
八丁堀は蕎麦を啜ったのち、そう言った。
「身上潰さなきゃ、好きにしたらいいんじゃねぇかね……」
その八丁堀の言葉に、常連客は首をすくめるのだった。
初秋の夜風に吹かれて、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




