第五十七回:上方商人の再訪
文化九年。秋は霜月の初め。江戸は日本橋。
橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。
提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。
「まいど。お久しぶりでおます」
見ると、いつぞやの上方商人がいた。
「お久しぶりです、上方の旦那。今日は何にしましょう」
「この、天ぷら、ちうのを頼みますわ」
「あいよ。天ぷら一丁ね」
店主は、蕎麦を湯へくぐらせた。
湯切りの音が夜気へ弾ける。
出し汁の香りが、上方商人の鼻をくすぐった。
店主は、出し汁を注いだ蕎麦の椀に、かき揚げを乗せた。
「はいよ。天ぷら。お待ちどう」
天ぷら蕎麦を見て、上方商人は首を傾げた。
「これが、『江戸の天ぷら』かいな。上方とは違いますなぁ」
「上方のはどんなので」
「魚の練り物を丸く叩いたものを揚げるんや」
「それはまた、随分と違いますねぇ……これも美味いですよ」
店主に促され、上方商人が天ぷら蕎麦を食べる。
一口食べて、嘆息をついた。
「……これはうどんにも合いそうですなぁ……美味い……」
上方商人は天ぷら蕎麦を完食した。満足げな笑みを浮かべていた。
上方商人は、多めに代金を払う。
「ここに来るのも、これが最後かもしれんしの……」
店主がその理由を尋ねた。
上方商人が答えた。
「わしももう歳やさかい、上方と江戸を行き来するのはキツいんや」
店主は黙ってしまう。
上方商人は笑った。
「まぁ、次はわしの代わりに、後継の若いものをよこすんで、可愛がってくださいな」
そう言って、上方商人は再び笑った。
上方商人の笑いに釣られるように、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




