第五十六回:地震襲来
秋も深まった頃。江戸は日本橋。
橋の袂の「夜鳴き蕎麦屋」。屋号は「清吉」。
その店主は、裏長屋の自室で、今日の分の蕎麦を打っていた。
突如、地面が揺れた。大きな地震だった。
突き上げるような、強烈な揺れだった。
店主の住む裏長屋も大きく揺れた。
棚から滑稽本が落ちてきた。
店主は外へ逃げ出した。
裏長屋の住人たちも、ほぼ全員、外に逃げ出していた。
「大きい揺れだったねぇ」
二つ隣の大工の女房が子供を抱えながら呟いた。
直後に余震がきた。
皆、地面にしゃがみ込む。
揺れがおさまると、誰かが叫んだ。
「みんな、火元を確認しろ!火事になるぞ!」
その言葉に、皆、火元を確認に家へと戻った。
店主も同様だった。
店主の住む裏長屋は、運よく火事からは免れた。
遠くを見ると、火事らしき黒い煙が数箇所から立ち昇っていた。
――これじゃ、今日の商いは無理だな……
店主は考えた。今日打った蕎麦をどうすべきか。この様子では日本橋には行けない。
見ると、子供がお腹を空かせてるようだった。
店主は判断を決めた。
店主は夜鳴き蕎麦の屋台を、裏長屋の井戸のそばに立てた。
そして、湯を沸かす。
出し汁の香りが、井戸端へ広がる。
子供たちは、その香りに思わず屋台の方を向いた。
店主は裏長屋の住人たちに声をかけた。
「今日売ろう思った蕎麦だが、これじゃ商いなんてできねぇ。『お救い小屋』もいつ来るかわからねぇ。だから、今日は、あっしの蕎麦で腹を満たしてくれい」
店主はそう宣言したのだった。
「……いくらだい?」
住人の一人が尋ねた。
「どうせダメになったら捨てるもんだったんだ。一文でも四文でも、お気持ちで構わんぜ。子供はただでいい」
その言葉に住人たちが沸いた。
こぞって、住人たちは蕎麦を注文する。
「女子供が先だよ!慌てなくても皆の分はあるはずだから!」
店主は子供たちに蕎麦を渡す。
温かい出し汁を飲んだ子供の顔がようやくほころんだ。
気がつけば、隣の裏長屋の住人も並んでいた。
店主は、日本橋での商いの時以上に、蕎麦を茹で続けた。
住人たちを慰めるように、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




