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夜鳴き蕎麦徒然草子  作者: いわん
第六部:文化九年、江戸日本橋。

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第五十三回:見合い話。

初秋。江戸は日本橋。

橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。

提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。

夜ともなれば、人通りは少ない。荷上げの人足、同心の夜廻。昼の喧騒とは通る人も違っていた。

その「夜鳴き蕎麦屋」には、毎日のように常連客が訪れていた。


新人同心が暖簾を上げた。今日は一人だった。

「かけ、お願いします」

「あいよ。かけ一丁」

店主は、蕎麦を一束、茹で始めた。

新人同心はため息をついた。

店主は黙っていた。

新人同心はゆっくりと口を開いた。

「……そろそろ『身を固めろ』と、周りがうるさくて……」

新人同心は再びため息をついた。

「私には、まだまだ早いです……自分一人で手一杯の若輩者ですから……」

店主は口を開いた。

「独り身のあっしが言うのも、おかしな話ですが……」

店主は茹で上がった蕎麦を湯切りした。

「そんな旦那を後ろで支える。それが『夫婦』ってもんじゃないですかねぇ……」

「後ろで支える……」

「えぇ。それに」

店主は椀に蕎麦を開け、出し汁をかけた。

「こんなところで一人で蕎麦を食うよりも、奥方の晩御飯の方が、遥かに美味いでしょうよ」

「……そんなことは……」

「……食べたこと、あるんですかい?」

店主は蕎麦の椀に刻み葱を乗せ、かけ蕎麦を新人同心に差し出した。

「はいよ。かけ、お待ちどう」

新人同心は、かけ蕎麦の椀を受け取った。

「……この蕎麦より美味い晩御飯、ですか……」

そうして、新人同心は、かけ蕎麦を啜った。蕎麦と出し汁の香りが新人同心の鼻をくすぐった。

「……あるんですかねぇ、そんな飯……」

「あるに決まってるじゃないですか、旦那」

店主はその言葉に笑うのだった。


初秋の夜風に吹かれて、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。


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