第四十二回:客は棒手振り
江戸は日本橋。
橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。
提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。
「邪魔するよ」
珍しい客が暖簾を上げた。
そこにいたのは、以前、海苔を仕入れていた棒手振りだった。
海苔が高くなってから、店主とは、しばらく疎遠になっていた。
「何しましょう」
店主は普段通りに尋ねた。
その声で、棒手振りも店主の正体に気付いたようだった。
「……あんた……ここで商売してたのか……」
「お久しぶりです、旦那……で、何にしますか」
「……かけ、頼むよ」
「あいよ。かけ一丁ね」
店主は、蕎麦を一束半、茹で始めた。
茹で上がった蕎麦の湯切り音が、棒手振りの耳に届き、出し汁の香りが鼻をくすぐった。
「……いい香りだ……」
棒手振りは感慨深げに言った。
「……花巻が出来りゃ、もっと香りが立つんですがね……」
店主のその言葉に、棒手振りは頷いた。言葉を継ぐ。
「今年も海苔は大不漁。高い、というより、そもそも海苔がない……しょうがねぇさ……」
「……海苔が戻れば、また、仕入れ、お願いしますよ」
「そうなるといいんですがねぇ……いつ戻ってくるか。お天道さんに祈るだけでさぁね……」
棒手振りは嘆いた。
店主は、出し汁をかけた蕎麦の椀に、刻み葱を多めに乗せた。
「はいよ。かけ、お待ちどう」
棒手振りは、かけ蕎麦の椀を見て、驚いた。
「……おい、こんなので、利益出てんのか……他の所よりも多すぎるだろ……」
「まぁまぁ、黙って食いなさいな」
店主のその言葉に、棒手振りはただただ、頭を下げるのだった。
夜のしじまに、棒手振りの蕎麦を啜る音が、静かに響いていた。
「……こいつは美味ぇ……いい出汁の風味だ……」
棒手振りの嘆息が漏れた。
棒手振りの蕎麦を啜る音に呼応するように、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




