第三十八回:お伊勢参り
江戸は日本橋。
橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。
提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。
「久しぶり」
暖簾を上げた常連客。本当に、久しぶりの訪れだ、と店主は思った。
「旦那。これまた随分と久しいですな」
店主の言葉に、常連客は答えた。
「ちょっとね。『お伊勢さん』参りに行ってたもんで」
「……へぇ……そりゃ大変だったでしょう」
「そりゃもう。足に豆が出来て、予定よりも長くかかっちまった」
常連客はそう言うと、かけ蕎麦を頼むのだった。
店主は、蕎麦を一束、茹で始めた。
続いて、別の客が暖簾をくぐる。
「おや、しばらく見なかった客がいるねぇ」
「おうよ。ちょっと『お伊勢さん』参りに行ってたんだ」
常連客は誇らしげに答えた。
「それはそれは。結構なこった」
そうして、客はかけ蕎麦を頼んだ。
「はいよ。かけ一丁」
店主は、常連客へかけ蕎麦を差し出した。
「で、旦那。『お伊勢さん』参りは、一九の影響、ですかい」
店主は尋ねた。
「それもあるねぇ」
そうして、その常連客は、お伊勢参りの話を、他の客に披露するのだった。
しばらく時が流れた。お伊勢参りの話は止まらなかった。
「旦那。話は面白いんですが……蕎麦、伸びちまいますよ……」
「……おっと、こいつはいけねぇ!」
店主の言葉に、客は慌てて蕎麦を啜り始めた。
別の客が笑った。
「話に夢中で蕎麦が伸びるたぁ、弥次喜多でもやらねぇこった」
その言葉に、店主は、思わず笑うのだった。
伊勢からの西風に吹かれて、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




