第三十七回:「浮世風呂」再び
江戸は日本橋。
橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。
提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。
世間では、三馬の「浮世風呂」の続編が刊行された。二編目は女湯が舞台だった。
またしても、世間を騒がせる大流行になった。
店主も大枚叩いて「浮世風呂」を手に入れた。それは普通の町人の行動ではなかった。
客足が途絶えた時間に「浮世風呂第二編」を読む店主。
夢中になって、馴染みの客が来ても気づかなかった。
「何読んでるんすかぁ?」
客の問いかけで、やっと客に気づく店主であった。
「はいよ。いらっしゃいませ」
店主は珍しく慌てた。読んでいた冊子を落とす。
客はその冊子を見た。
「……『浮世風呂』の続編じゃないか……店主、まさか……買ったの?」
「……まぁ、そういうこってす……」
店主は照れたように頭を掻いた。
「まぁ、三馬の『浮世風呂』なら、仕方ねぇ。面白れえもんな」
馴染み客は笑った。
普段は仏頂面の店主も、この時ばかりは、苦笑いをするのだった。
客は、かけ蕎麦を注文した。
店主は、蕎麦を一束、茹で始めた。
蕎麦の香りが漂い始めた。
出し汁を注ぎ、刻み葱を散らす。
「あいよ、かけ一丁」
店主は、かけ蕎麦の椀を馴染み客に差し出した。
かけ蕎麦を食べ終えた馴染み客が口を開いた。
「読み終わったらでいい。俺にも読ませてくれないか?貸本屋でも借りれなく難儀してたんだ。無論、ただで、なんて野暮なことは言わねぇ。相場の倍は出す」
客にそう懇願され、店主は首を縦に振るしかなかった。
「……他言無用でお願いしますよ」
店主は、そう釘を刺すのだった。貸本屋組合に目をつけられてはたまったものではなかった。
店主の苦笑に釣られるように、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




