第三十六回:新人同心の夜
秋も深まった頃。江戸は日本橋。
橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。
提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。
客足が途絶えた頃。
「やってますか」
と、一人の同心が入ってきた。
あの「新人同心」だった。
「……今夜はお一人で?」
店主は尋ねた。
新人同心は答えた。
「……ようやく、一人での夜廻りを任されました」
そう告げた彼の後ろには、中間、岡っ引きたちが控えていた。皆、新人同心より年上だった。
「そいつは、おめでたいことで」
新人同心は言葉を継ぐ。
「かけ蕎麦、お願いします。人数分」
店主は言った。
「固っ苦しいですぜ。『かけ一丁』でいいんですよ、ここでは」
店主は、蕎麦を人数分、茹で始めた。
茹で上がった蕎麦の湯切り音が、新人同心たちの耳に届く。
出し汁の香りが、岡っ引きたちの鼻をくすぐった。
出し汁がかけられた蕎麦の椀に、刻み葱が乗せられた。
「はいよ、かけ蕎麦。みなさんどうぞ」
店主は、かけ蕎麦の椀を皆に差し出した。
「ありがとうございます」
新人同心は、箸を取り、蕎麦に七味をかけ、食べ始めた。中間たちもそれに倣う。
「まだまだ固いですなぁ」
そう言って、店主は笑うのだった。
「ご馳走さんでした」
新人同心は人数分の代金をきっかり置いた。
店主は答えた。
「今後とも、ご贔屓に」
その言葉に、新人同心は嬉しそうに笑った。
「また来ます」
そう言って立ち去る新人同心の背中は以前よりも大きく見えた。
新人同心を見送るように、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




