第三十五回:芝エビのかき揚げ
江戸は日本橋。橋の袂の「夜鳴き蕎麦屋」。屋号は「清吉」。
その店主は悩んでいた。
海苔が手に入らない。花巻が出せない。
何かいい案はないか、と四文屋を巡っていた。
田楽、味噌こんにゃく、芋の煮っ転がし。
しかし、どれも「蕎麦の具」には合わない。
店主は、以前出した「茄子の天ぷら」を思い出した。
――天ぷらなら、使えるかもしれん。
店主は天ぷら屋へ向かった。
揚げたての天ぷらのごま油の香りが店主の鼻をくすぐる。
店主は事情を天ぷら屋台の親父に話した。安い天ぷらが欲しい、と。
天ぷら屋台の親父は答えた。
「芝エビなら安く入ったぜ。流石に普段の海苔より安くはねぇが」
店主は頷いた。背に腹は変えられない。
「そいつを揚げてくれねぇか」
天ぷら屋は驚いた表情になった。
「金さえ払えば揚げるけどよ……蕎麦屋が天ぷら?美味いのか?」
店主は答えた。
「食えないことはねぇだろうよ」
店主の言葉を受け、天ぷら屋台の親父は、芝エビをかき揚げで揚げ始めた。
パチパチと小気味良い音が、店主の耳に聞こえてきた。
その日の夜。江戸は日本橋。夜鳴き蕎麦「清吉」。
訪れた常連客が驚いていた。
品書きに「天ぷら蕎麦:三十二文」と書かれていた。
「花巻じゃねぇのか。しかも、花巻より高い……」
店主はぶっきらぼうに答えた。
「海苔がねぇんでさぁ。今日は代わりに天ぷらで」
「……物は試しだな。そいつをもらおうか」
一人の常連客が物珍しさから「天ぷら蕎麦」を注文した。
店主は、蕎麦を一束、茹で始めた。
茹で上がった蕎麦の湯切り音が、客の耳に届く。
出し汁の香りが、客の鼻をくすぐる。
出し汁がかけられた蕎麦の椀に、芝エビのかき揚げが乗せられた。
かき揚げに出し汁がじんわりと染みていく。
「あいよ、天ぷら一丁」
店主は、天ぷら蕎麦の椀を差し出した。
常連客が食べて目を見開いた。
「……これは美味い。美味いじゃないか」
続いて注文した八丁堀も頷いた。
「茄子も美味かったが、芝エビも悪くねぇな……」
その言葉に釣られて、客たちは「天ぷら蕎麦」を注文し始めた。
店主は黙々と蕎麦を茹でていく。
客たちは皆「天ぷら蕎麦」に夢中になった。
その日、早々に「天ぷら蕎麦」は終いになった。客は皆、満足げだった。
――明日も準備するか。今日より少し多めに。
店主はそう思うのだった。
客の喧騒に合わせるように、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




