第三回:貧乏長屋の客
昼。日差しが長屋を照らしていた。
遊び回る子どもたちの声が、そちらこちらで聞こえる。
長屋の住人の女房が、洗濯をしていた。
その長屋の一室で、夜鳴き蕎麦屋「清吉」の店主が蕎麦を打っていた。店主の額に汗が浮かぶ。
蕎麦打ちが一段落して、店主は一息つくために外へ出た。子どもたちの姿が見える。
ほぼ同時に、隣人が表へ出た。
「おう、権の字。今日は今からかい?」店主は男に声をかけた。
「あんたも、夜に向けて、今から仕込みかい。精が出るな」
男は軽く伸びをした。
「そういや、あんたの蕎麦って、どこでやってるんだ?」男が問いかけた。
「夜、日本橋の袂に来な。『清吉』って灯りが灯ってりゃ、そこがあっしの蕎麦さね」
「おうよ。今度、寄らせてもらうわ」
そう言って、男は仕事へと向かった。
店主も、部屋へ戻り、蕎麦打ちを再開するのだった。
夜。日本橋の袂。「清吉」の提灯に灯りが灯った。
いつものように、常連が立ち寄る。
「かけ一丁」
常連の言葉に、店主は黙々と蕎麦を茹でる。
椀に開けた蕎麦に出し汁を注ぎ、刻み葱を乗せた。
「あいよ、かけ一丁」
店主の差し出したかけ蕎麦に七味をふりかけ、美味しそうに常連客は啜る。
完食すると、十六文置き、「ご馳走さん」と、常連客は帰っていくのだった。
夜更けを過ぎ、客足も途絶えた頃、男が現れた。顔が赤い。いささか酔っているようだった。
「おう、旦那。かけ頼むぜ」男は言った。
「なんだ、権の字。飲んでるのかい?」店主が声をかける。
「仕事がうまくいった時くらい、飲んでもいいだろ。飲んだと言っても一合こっきりだ」
「そりゃ景気のいい話だなぁ」
店主は蕎麦を茹で始めた。
茹で上がった蕎麦を椀に開け、出し汁を注ぐ。海苔を散らし、刻み葱を乗せた。
「あいよ、かけ一丁」
「……かけ?ここのかけは海苔が散ってるのかい?」
男は訝しげに声を発した。
「いいから、黙って食いなよ」店主は答えた。
「ご馳走さん。美味かったよ。ええと、お代は……」男は蕎麦を完食した。懐をまさぐる。
「かけは、十六文」店主は答えた。
「え、かけじゃなかったろ……海苔が散ってただろ……」男は店主の言葉に戸惑っていた。
「お前さんが頼んだのは、かけ。だから十六文」店主は淡々と言った。
男は、言われた通り、十六文、置いた。
「今後とも、ご贔屓に」店主は頭を下げた。
男が店を出ると、夜風が吹き、風鈴がチリリンと鳴った。
男の足取りは、お酒のせいか、軽い千鳥足だった。




