第二十二回:風呂帰り
文化六年。秋口。江戸は日本橋。
夜半の橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。
提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。
江戸の町では滑稽本が流行。
その中でも式亭三馬の「浮世風呂」が大流行していた。
湯帰りの客が口々に言う。
「滑稽本、読んだかい」
「三馬のかい。ありゃ、なかなかに面白い」
「一九の滑稽本も面白いが、今は三馬の滑稽本だな」
常連も話に乗る。
「銭湯に行くと、それらしい客がいないか、探しちまう」
「これまで、たまに生酔いで銭湯に行ってたが、あれを読んだら、ちょっと行けねぇ」
「一九は野暮だが、三馬は洒落っ気がある」
そんな客の言葉を耳にしつつ、店主は黙って蕎麦を茹でていた。
「そういや、旦那は、滑稽本には興味ねぇのかい」
常連の一人が店主に問いかけた。
「……あっしは、学がないんでねぇ。そういうのはよくわからなくてねぇ……」
「意外だねぇ、旦那はそういうの、好みかと思ってたんだが」
「さいですか」
店主は頭を下げた。
いつも通りの、茹で上がった蕎麦を店主は湯切る。椀に注がれる出し汁の香り。
出し汁がかけられた蕎麦の椀に、刻み葱が乗せられた。
店主は椀を常連客に出す。
「あいよ。かけ一丁」
常連客が、かけ蕎麦を啜りながら言った。
「『浮世風呂』じゃねぇが、風呂も蕎麦も、熱いうちが一番だねぇ」
「弥次喜多だって、ここの蕎麦はベタ褒めだろうよ」
隣の客が茶々を入れた。
店主は何事もなかったように蕎麦を茹で始めた。
だが、屋台の棚の奥には──「東海道中膝栗毛」と「浮世風呂」の冊子がこっそり隠れていた。
夜風に吹かれて、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




