第二十一回:嫁入り話
文化六年。秋口。江戸は日本橋。
夜半の橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。
提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。
流石の日本橋も、夜ともなれば、人通りは少なくなる。
昼の喧騒とは裏腹に、その蕎麦屋は、静かに、その場に佇んでいた。
常連客たちが、噂話をしていた。
「西の丸様が、ようやっとご婚礼らしい」
お上のご後継のご成婚話であった。
西の丸様と御料人様がようやくご成婚に御成あそばす、と言うのは、世間のもっぱらの噂だった。
「ご婚約から五年かぁ。ようやくだよ。めでたい話だねぇ」
常連も一見も、どこか嬉しそうだった。
「……めでたい……めでたいねぇ……」
そんな中、客の一人がため息をついた。しっぽくを頼んだ。
なんでも、その客は、娘を嫁に出したばかりだという。しっぽくはその祝いの一杯だった。
祝い事でも、子が親元を離れるのは、親としては少し寂しい、とこぼした。
「覚悟はしてたが、いざとなると寂しいもんでさね……」
店主は、黙ってしっぽくを準備する。
茹で上がった蕎麦を椀に開け、出汁を注ぐ。
蒲鉾と麩を二つずつ椀に乗せ、海苔を散らした。いつものしっぽくとは具が違った。
「……娘はいつか、嫁に行くもんでしょうね……」
店主は慰めなかった。
ただただ、少し豪奢なしっぽくをその客に出すのだった。
客は、黙ったまま、しっぽくへ箸をつけた。
「……美味いねぇ……」
客は黙って、熱い汁を啜るのだった。
夜風に吹かれて、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




