第十九回:秋の月
江戸は日本橋。
橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。
提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。
久しぶりに訪れた棒手振が愚痴を漏らした。
「秋茄子が余っちまってねぇ……安くしとくから、まとめて買ってくれませんかね、旦那」
「安くしとく」の言葉に惹かれ、店主は棒手振から秋茄子を購入した。確かに相場より安かった。
瑞々しい秋茄子だった。売れ残っているのが不思議なくらいであった。
「……俺だけが食うには腐らせちまうな……ちょっくら、こいつを使ってみるか……」
たまには変わり種があってもいい。珍しく、店主はそう思った。
翌日。屋台開店前。
蕎麦を打ち終えた店主は、秋茄子を洗い四つに切るとザルに置き、知り合いの天ぷら屋台に足を運んだ。
「悪いが、これを揚げてくれねぇか」
「蕎麦屋が天ぷらを始めるのか?」天ぷら屋がからかう。
「まさか。今日だけさ」
その日の夜。日本橋の袂。夜鳴き蕎麦の屋台に灯りが灯る。
店主は、いつもの品書きに「秋茄子蕎麦 三十二文」の文字を追記した。
常連客が暖簾を上げて入ってきた。品書きを見る。
「秋茄子蕎麦ねぇ、どんなのなんだい?」
「秋茄子の天ぷらを乗せたやつでさぁ」店主は答えた。
「じゃあ、今日はそれをもらおうかな」
はいよ、と答えると店主は蕎麦を作り始めた。
蕎麦を一束茹で、椀に出し汁を注ぐ。
刻み葱の代わりに、揚げた秋茄子を二切れ乗せた。
「あいよ、お待たせ」
店主は蕎麦を客に差し出した。
客は、一口汁を啜ると、秋茄子の天ぷらを一口食べた。
「おい、店主。こいつは美味いじゃないか」
「そりゃ結構なことで」
「明日もあるのか?」
「今日だけかもしれませんね」
店主は淡々と答えるのだった。
夜半を過ぎた頃、駆け足でこちらへ向かってくる足音が、店主の耳に届いた。
「おい、秋茄子の蕎麦があるんだって?」暖簾を上げるなり、八丁堀が尋ねた。
「……あぁ、旦那。すいません。今日の分は終いでして」
「……終い?……終いだって?」
店主の言葉に、八丁堀はうなだれた。
「……明日、旦那の分、取っときましょうか?」
八丁堀のうなだれ具合を見て、店主は言った。そう声をかけたくなるくらいの落ち込みようだった。
「そいつはありがてぇ!じゃあ、今日のところは、かけを頼む」
八丁堀はその言葉に、現金にも笑顔になった。
数分後。
「あいよ。かけ、お待ち」
八丁堀は、店主からかけ蕎麦を受け取ると、ズズズズッと啜り込むのだった。
八丁堀の背後で、夜風が吹き、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




