第十七回:西からの噂話
江戸は日本橋。
橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。
提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。
今日も、常連客、一見客が訪れては、蕎麦を啜って帰って行った。
店主は黙々と蕎麦を茹でていた。
この時間が変わらず続くかのように。
この屋台だけが、まるで、何も変わらぬかのようだった。
夜遅く。
客は八丁堀一人だった。いつもの軽口がなかった。
店主も閉める頃合いかと思った時。
そこへ、顔馴染みの常連が二人やって来た。
「……まだ、やってるかい?」
「はいよ。しっぽくは終いですが……」
「おう。じゃ、かけ頼むぜ」
「……こっちもかけで」
店主は蕎麦を二束、茹で始めた。
待っている間、常連客の一人の口から、とある話が漏れた。
「長崎で、異人が暴れたらしいぜ。なんでも異人同士の諍いだったらしい」
「……へぇ」
「それで、長崎のお奉行様が切腹の沙汰だとよ」
「……怖ぇ話だな」
「まぁ、江戸にゃ関係ねぇ話だと思うが」
「……どうだかねぇ……どうだろう……」
「どう思う、旦那」
店主は蕎麦を茹でながら答えた。
「……よく分かりませんね」
店主は椀に出汁を注ぐ。
「あっしは、ただただ、ここで蕎麦を茹でるだけでさぁね」
蕎麦を啜っていた八丁堀が箸を止め、口を開いた。
「……江戸に異人船は入って来させないぜ。安心して蕎麦を食え」
「それはありがたいこってす。八丁堀の旦那」常連客の一人が笑った。
店主は頬を緩めると、二人に椀を差し出した。
「あいよ、かけ。お待ちどうさま」
二人は黙って蕎麦を啜った。
さっきまでの話は、もう誰も口にしなかった。
「……ごっそさん」
「今日もうまかったよ」
八丁堀と二人が屋台を出ると、店主は屋台を片付け始めた。いい頃合いの時間だった。
いつものように。何事もなかったかのように。
西風に吹かれて、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




