第十一回:夜鳴き蕎麦の季節
文化五年。秋口。江戸は日本橋。
夜半の橋の袂に、一台の「夜鳴き蕎麦屋」に灯りが付いていた。
提灯に書かれている屋号は「清吉」。暖簾には「二八」と書いてあった。
流石の日本橋も、夜ともなれば、人通りは少なくなる。
昼の喧騒とは裏腹に、その蕎麦屋は、静かに、その場に佇んでいた。
「やってるかい」
暖簾が上がった。
「はいよ、何にしましょう」
「かけを頼むわ」
「はいよ、かけ一丁」
店主は蕎麦を一束茹で始めた。
椀に出汁を入れ、蕎麦の上に刻み葱を散らす。
「あいよ、お待ちどう」
店主は客の前にかけ蕎麦の椀を出した。
客は蕎麦を一口啜る。
「やっぱり、この季節は暖かい蕎麦だねぇ」
客の顔が笑顔になる。
「へぇ、これからもどうぞご贔屓に」
店主は頭を下げるのだった。
その日の夜半過ぎ。
「今年もこの季節が来たかい」
八丁堀が、暖簾を上げてそう言いながら入ってきた。
「はいよ。今年もよろしくお願いしますよ、旦那」
店主が頭を下げた。
「じゃあ、しっぽくを頼むよ」
「かけじゃないんですかい?」
「おいおい、この季節の最初の一杯だ。しっぽくでもいいじゃないか」
八丁堀は笑った。
「はい、ありがとうございやす」
店主はそういうと、蕎麦を茹で始めた。
椀に出汁を注ぎ、蕎麦の上に刻み葱に蒲鉾、麩を乗せる。
「あいよ、お待ちどうさん」
店主は八丁堀の前にしっぽくを出した。
「おうよ。これこれ」
八丁堀は七味を振りかけると、蕎麦を啜った。
「これからの季節、あったけぇ蕎麦が身に染みるねぇ」
八丁堀の言葉に、店主が答えた。
「どうぞ、ご贔屓に。旦那」
今年も夜鳴き蕎麦の季節がやってきた。
夜風に吹かれて、屋台の風鈴がチリリンと鳴った。




