04 仮想インターネット小史(電子防疫学概論より)
演目名「電子防疫学概論 第4回(前3回までのふりかえり!)」
場所 大学の標準的な講義室
参加者 教授
生徒たち
教授 信頼連鎖は今から15年近く前、インターネット上のレポジトリにひっそりとアーカイブされていた、ある論文が元となっている。当時は人工知能やブロックチェーンを基にした新規プロダクトを紹介する際、開発者たちがホワイトペーパーをネット上に発表するのが慣例化していたのだが、信頼連鎖の論文は、最初この流行にのっとった、「それらしいがまともに読む人間も読める人間もほとんどいない」論文のタチの悪い冗談と見なされていた。それを元に、一部のカルト的なデベロッパーが活発な意見交換を行いながら基礎部を改良・洗練、そして最終的に開発を成し遂げてしまうまでは。
……さて、それでは信頼連鎖の導入背景と基本概念についてふりかえろうか。
およそ10年前に起きた主要国政府の情報機関や、世界的企業、金融機関に対するクラッキングは、とくにパンデミックの後に、後進国でも急速に進められていた都市社会のデジタル・バーチャル化とあいまって、世界規模で甚大な被害を引き起こした。いわゆるこの<世界が息を止めた日>は、実際数日で状況が落ち着くようなものではなく、多くの国家や都市地域で数週間以上に及ぶ行政・経済・都市機能麻痺を引き起こした。
このトラウマを抱える主要国や企業、金融機関にさらに打撃を与えたのが、電子領域上に展開し始めた、デュプリケーターの存在だった。大量のマルウェアや、それを吐き出すのに効果的な場所に目をつけるマルボット、そしてそれらの生産拠点たるデュプリケーターは、当時産業界で起きていた作業自動化の波と呼応するように電子領域に現れた存在だった。
それ以前までは、コンピューター・ウィルスに対するアーヴィン・ターラーのこんな指摘が通用していた。すなわち、「人間にとっていいニュースとは、コンピューターウイルスが人の手によるものであって、自然によって書かれるものではないということだ。私たちはウイルスを打ち負かすために、ただそれを書く人間より賢く、あるいはより忍耐強くあればいいのであって、それはそれほど難しいことではないだろう』
デュプリケーターはこういった前提を覆すような存在——つまり、機能知性の学習機構とマルボットによる拡散活動のフィードバックを統合した、循環型学習によって、人間知性をほとんど介す必要がなく、疑似自然的に活動し、新たなマルウェア、マルボットを産出しつづける存在だった。このデュプリケーターの出現により、既存の、誰でも・いつでも参加できるインターネットの環境は変質せざるをえなくなる。
もともと旧来のインターネットそのものが、その創案者たちの当初の理想からかけ離れた多くの問題や矛盾を孕んでいた。あなたたち世代が冷笑的に呼ぶところのGSG——Great Smart Generation 偉大なる賢き世代の人々——の時代に、いつでも、誰でもインターネットに参加することを可能にしたポータブル・スマート・デバイスの普及とあいまって、一度は成熟の頂点に達したとされる高度情報化社会がもたらしたものとはすなわち、情報のゆるやかな無価値化だった。情報化することができ情報としてたやすく消費できる知識・知能・技術の価値の減衰だった。多くの無自覚・無防備なインターネットユーザーの思考力の平準化・短絡化であり、それはある意味、次の時代——機能知性やそれを宿した躯体群による作業自動化と、ウェアラブル・デバイスと翻訳ソフトウェアによる疑似的な言語統一<ユニバーサル・トランスレーション>の普及、さらにCogent、Cobotがもたらした思考代理・作業代理により生じた、知性・思考階級と必須労働階級や元ホワイトカラー層<AFK>=Away From Keyboardとのあいだの、新しい形の格差社会への礎をつくったといえるだろう。
話を電子防疫に戻そう。
<世界が息を止めた日>から主要国政府や各界の支配的企業が復調したあとでも、デュプリケーターやそれが吐き出すマルボットによるクラッキングによって、そういった権力や資本が集中している以外の場所でも断続的な被害がつづいた。そんな中、一部のインターネットユーザーがインターネットの鎖状化をすすめていく。彼らはブロックチェーンと既存のサイトを関連付けるCredible Sheetをウェブ空間の下敷きにするように発行することで、「いつでも、誰でも参加できるインターネット」と並行して、「いつ、誰が、どこを、どう更新したか参照できるインターネット」をステルスに発達させていった。あるサーバーやアドレス、言語圏の信用指数がインターネット上の地価となり、規格が整っていくにつれ、これらは個人のネットワークの関係性信頼値(Credible Relation Rate)へと応用されていく。
(教授、生徒一同に何かを問いかけるような意味深な間を空けて)
……CSはそもそも、防疫が発端というより、Cogentなどの機能知性にネットでの情報収集と産出を代行させる時代に発生されると予見されていた、信頼できない情報群による知的活動体への情報蠱毒を抑止するための、あらたなハイパーテキストあるいはコンテクストの産出と波及計画だった。その波から弾かれた情報信頼度の低いソースや、マルボットにまったく耐性をもたない防疫力の低いサーバーなどは、スラム化し、あるいはダークウェブの中に埋没し、電子上の疫病や違反行為の巣窟となっていった。
また、CSに利用された「薄いブロックチェーン」は、政府側から私営企業に要求された機能知性に関するガイドラインを尊守しようとする際にも都合よく働いた。ブロックチェーンの更新参照性は、Cogentなど特に使用者の個性情報を取得するタイプの機能知性の内部・発展・ライフサイクルに関しての情報開示や、知性活動の人知的説明に打って付けだったからだ。しかしその一方で、一部の非中央集権型機能知性提供組織における、ブロックチェーンの剛健性と参照性を拠り所とした、明確な責任者の不在という、公権力側にとっての負の側面も抱えることになったわけだが……これに関しては君たちの機能知性のアルゴリズム・プライバシーを尊重して、深く言及するのはやめておこう。
生徒の一部 (どこか共犯者めいた笑い)
教授 忘れてはいけないのは、デュプリケーターの出現と前後して、インターネットの構成だけでなく、その根幹となる通信技術に関しても、大きな変化があったことだ。
当時から積極的に宇宙開発に乗り出していた主要国政府やその協同・奨励企業は、宇宙開発と並行するかたちで、原理的に悪意ある第三者による干渉や傍受が不可能とされる量子・量子光通信網を敷設していった。しかしその通信が比較的安定して行われるのはあくまで、厳密に密封された通信サイトや、量子衛星を用いた宇宙空間などの人間にとって極限環境を介してのもの。地上でも量子中継機や量子メモリを用いた通信が試験的に運用されているが、それは量子衛星通信に比べるとどうしても安定性に欠け、頻繁にノイズの乱入を許してしまう。そもそも量子通信にとって、地球は暖かすぎた。その大気、空気中は、混濁としすぎていた、量子に対する多くの障害物を含みすぎているのだ。また、地表での量子安定化の必需品たる冷却装置の大量化とその同時運転によるエネルギー消費が、気候変動に対する持続可能な開発と相反するという意見が根強かった当時からこの現在にかけて、それを、旧来の電子通信と同程度に個々人に対して適用するのは困難だった。結果k的に、適用範囲が限定的な量子通信では、ひとびとの日常的な通信をすべておぎなうことはできず、いまだ通信上の秘密鍵は傍受される可能性を抱えているということだ。それにくわえ、そもそもの通信の根たる送受信機のセキュリティ設備や意識にも、個々人のあいだではっきりとした格差が存在し続けていた。
そこで考案されたのが、ブロックチェーンを用いて、個々人のセキュリティーを互いに担保するネットワークを構築するという概念・技術だった。これはそのネットワークの参加者すべての電子生活衛生度が重要な役割を果たすため、関係性防疫網、あるいはこちらの方がより一般的に用いられているが、信頼連鎖と呼ばれている。
トラストチェーン・ネットワークとは何か? それは簡潔に言ってしまえば、コントロール権を死守する必要がある対象の防疫計画書の同期性コピーを取得し、それを、ブロックチェーン・ネットワーク上の観測行為に感受性を持ったスーパーポジションブロックに格納することによって、本来の所有者以外の者からのアクセスを締め出せる機構のことだ。これにより、トラストチェーンにセキュリティスキームのコピーが組み込まれたコンピューターは、不正アクセスは可能だがコントロールの略奪は不可能という原則を持てるようになる……そして、これが個人のコンピューターの防疫に関するトラストチェーンの限界でもある。しかし一方で、Cogentなどの、自分の電子的な保護対象のコントロール権を死守するために、ネットワークに参加するそのほかのユーザーの電子免疫や演算力をも利用できること、また、セキュリティプログラムを、単一のデベロッパーやサードパーティー性のプロダクトに依存しないで済むこと、さらに、セキュリティスキーム更新の際の個人認証を、各信頼連鎖の基盤言語・文法・法規の範囲内で自由に設定できるようになるという、大きな利点もある。
現代電子社会は、この信頼連鎖の普及によって、それにセキュリティスキームのコピーを組み込んだコンピューター、ソフトウェア・デバイス、ハードウェア、サーバー、そのほかなんでも電子的にセキュリティを記述できる類のものは、原理的に、悪意ある第三者によって不正アクセスはされうるがそのコントロール権や所有権は略奪されることはほぼ不可能、という環境を手に入れることができた。トラストチェーン・ネットワーク上のノードの51パーセントが転向したり、ブロック大部の集中的な書き換えがなされる場合を除いて。
信頼連鎖はデュプリケーターやクラッキングの脅威から、デジタル化した都市機能や、各種の国防・防疫・防犯システム、各種コンピューターや個々人の脳の一部と呼べるCogent、電子資産の保管庫を守るものとして、現代社会に欠かせないものとなっている。
以上が信頼連鎖の概略になるが、どうだろう、何か質問がある人はいないか。
生徒 トラストチェーン上のセキュリティスキームは、ネットワーク内の51パーセントのノードが転向したり、悪意ある集中的な書き換えが行われるような場合を除いて、略奪されることがないといいますが……もしそれが実際に起きたら……どうなるんです?
教授 チェーン上のセキュリティスキームは攻撃主により自由に書き換えられる可能性があると考えていいだろう。つまり、スキームを信頼連鎖に組み込んでいるコンピューターのコントロール権が奪われたうえ、本来の持ち主はアクセスすらできなくなる可能性がある。
生徒 実際、そういうことって、起こりうるんですか?
教授 個人レベルでは、個人認証に関わるささいな不注意をもとに十分ありうるだろう。例えばだが、Cogentとそのセキュリティスキームを更新するための<お守り>に関する基本的な約束事をおろそかにした場合だ。ここにいる誰しも、Cogentとは別の手段・経路を用いて、信頼連鎖そのものと交信し、スキームを更新するための装置<トーテム>を持っていると思う。それはすなわち、思網や機械視覚を通じて<トーテム>を自身のCogentに把握されないよう、Cogent自身に認知の落とし穴を設定する必要があるということでもある。それを怠り、自分のCogentが<トーテム>を把握してしまった場合、不正アクセスされてその中身を覗かれたCogent自身から、その緊急通信経絡が攻撃者にバレてしまう可能性がある。
しかし、トラストチェーン・ネットワーク全体が乗っ取られるなんてことは、現行の数学的・機械学的な計算能力・時間からかんがみて、ありえないといっていい。小規模サークルで運営しているようなトラストチェーンならまだしも、ある程度の規模のネットワーク……たとえば、あるCogentモデルのユーザー全体や都市地域のセキュリティを抱えられるほどに発達したチェーンの大幅な書き換えを行うなんてのは、まず無理だろう。国家間・企業間のスーパーコンピューターが結合して、国連が課している<短期指向計算機力稼働量合意>の規定を超えた計算機力を行使したとしたら……もしかしたらありえない話ではないのかもしれないが、その場合でも、攻撃を受けた側が何かしらの対処をするのに十分な機械時間的猶予は確保できるはずだ。少なくとも、秘密裡にクラッキングされ、セキュリティ網がなんの対処もできずにチェーン全体が崩壊するようなことはありえないといっていい。
生徒 例えば、なんですけど……そのトラストチェーンに参加しているノードの51パーセントが転向する……あるいは……こういう表現でいいのかわかりませんが……チェーンに参加しているノードの51パーセントが、最初から転向していた場合なら、そういった乗っ取りは可能になるんじゃないですか?
教授 非常にいい指摘だ。やや抽象的な表現をすると、ブロックチェーンやその応用例であるトラストチェーンは、民主主義でいうところの一般意思をそのネットワーク全体に保全しているといっていい。ある国家における主権者の一般意思が主権の存続であるように、チェーン上の通貨ならその取引履歴や価額保持、セキュリティ・スキームを格納した信頼連鎖ならばその衛生保持がチェーン全体の一般意思といえる。チェーンに参加しているノードの51パーセントが転向する、という状況は、チェーン全体で一般意思が2つ以上の特殊な意思へと分裂し、結果的に一般意思が存在し得なくなることを意味する。またチェーンに参加しているノードの51パーセントが、最初から転向していた場合というのは、そもそもそのチェーンが掲げていた一般意思的なるもの自体が、最初期の参加ノードたちによって詐称されていたか、あるいはもともと指向されていなかった場合だったといえる。実際の……現実の組織ではまま見受けられるような事態だな。
生徒 先ほど、ネットワーク全体が乗っ取られるなんてことは、現行の数学的にあり得ないと言っていましたが、<世界が息を止めた日>を引き起こしたような魔術師の魔術で、克服されてしまう可能性は?
生徒一同 (やや嘲笑的な笑い)
教授 笑いごとではないぞ、ありえないことではないからだ。
可能性としては……そうだな……たとえば、いまだ主として古典的コンピューターの補完機構として用いられている量子コンピューターがそうであるように、人類がその真価を見出していない計算領域で、ある卓越した個人あるいは少人数グループが、あらたなアルゴリズムを見出した。それは現在トラストチェーンやブロックチェーンのブロックにかけられている、最新世代の不可逆性パズルを一瞬で解いてしまうものだった。夢みたいな話だが、人類の発明発見の歴史をふりかえれば、ありえない話ではない。
その誰かは、一般市民だけでなくその分野のほかの専門家からみても、魔法のような知識・技術を見出した……きみのいう魔術師のような存在だな。そして彼は自らが考案した魔術を行使する瞬間を、この世界のどこかで待ち受けている……現代社会にトラストチェーンの使用を余儀なくするほどのトラウマを植え付けた<世界が息を止めた日>、その再演を目論んで……。
大学 生徒番号0X***********、エノワール・ツァン、収録講義への参加、ありがとうございました。講義に課された必要情報の再生成完了と、あなたの理解、教授人格による話の脱線が確認されましたので、ここで本講義16回目の再生成を終了します。
信頼連鎖の基本構造の詳細は以前授業3コマ分にわたって説明したので、本講義では繰り返しませんでした。講義ページ末部に参考アーカイブを電書化して添付しておきましたので、もし信頼連鎖の詳細について振り返りたい場合は、目を通してみてください。これは最初期の、もっとも単純なProof of Work/Root—Tree型トランスチェーンの概要を、テクニカルな記述を避けて説明しているものになります。あなたが電子・情報工学的な専門知識抜きに本質を理解するには、これで十分かと思われます。
また、次回の講義内容をあなたに合わせて調整いたしますので、5日以内に今回の講義のフィードバックを提出してください。フィードバックの方法は、講義ページのアンケートへの回答や、思網の記録あるいはCogentの記憶の提出など、可能な範囲(及びあなたの意思で!)選択した方法でかまいません。
次回の講義では、類型暗号化ソフトウェアを使ったノーコードプラグラミングで、実際に、信頼連鎖にあなたの大切な思い出を格納し、その記憶のない他の生徒と一緒に、量子的観測を行なってみましょう!
それでは次なる豊かな学びの時間まで、ごきげんよう。




