第8話 今さら遅いのです
王都の中心部にあるグレイソン侯爵邸。
その執務室で、アーネストは机の上に置かれた書簡を見つめていた。
何度目になるかわからない。
だが返事は変わらない。
王宮からの回答は、たった一文だった。
――面会は認められません。
「くそっ……!」
思わず拳を握る。
これで三度目だった。
正式な面会申請。
謝罪の申し入れ。
全て拒否。
当然と言えば当然だった。
婚約破棄した相手が王家の血筋だったと判明した途端、会いたいと言い出したのだから。
誰が見ても下心がある。
それでも諦められなかった。
「一度だけでいいんだ……」
会いたかった。
謝りたかった。
そして。
できることなら。
やり直したかった。
◇◇◇
一方その頃。
王宮では穏やかな午後が流れていた。
エレノアは王宮図書館の一角で本を読んでいる。
以前なら考えられなかったほど落ち着いた時間だった。
だが。
「エレノア」
不意に呼ばれ顔を上げる。
そこにいたのは王太子リチャードだった。
「殿下」
「少し時間はあるかな」
その表情は珍しく真面目だった。
◇◇◇
案内された先は小さな応接室だった。
中には国王。
エドワード。
そしてレオンハルトもいる。
何かあったらしい。
エレノアは静かに席へ座った。
「どうかなさいましたか?」
すると国王が小さく咳払いする。
「実はな」
少し言いにくそうな顔だった。
「アーネスト・グレイソンから正式な面会申請が届いておる」
予想していた名前だった。
驚きはない。
「そうですか」
「会いたいそうだ」
国王の顔には不快感が滲んでいる。
当然だった。
孫を傷付けた相手なのだから。
「断っていただいて構いません」
エレノアは迷わず答えた。
国王たちは少し目を見開く。
「よいのか?」
「はい」
きっぱりと言えた。
昔なら無理だっただろう。
けれど今は違う。
「私はもう十分です」
婚約破棄の日。
アーネストは答えを出した。
そしてエレノアも受け入れた。
終わった話なのだ。
◇◇◇
「ですが」
そこでエレノアは少し考える。
「一度だけお会いします」
「何だと?」
国王が立ち上がる。
エドワードも驚いている。
「大丈夫なのかい?」
「はい」
エレノアは頷いた。
「逃げ続ける必要もありません」
自分の中で終わらせたい。
その思いの方が強かった。
国王たちは反対したが、最終的にはエレノアの意思が尊重されることになった。
◇◇◇
三日後。
王宮の応接室。
アーネストは緊張した面持ちで待っていた。
何度も髪を整える。
深呼吸する。
鼓動がうるさい。
そして。
扉が開いた。
「エレノア……」
思わず立ち上がる。
そこにいたのは見慣れた少女だった。
けれど以前とは違う。
背筋は伸び。
表情には自信がある。
王家の血筋だと知ったからではない。
自分を受け入れてくれる場所を見つけた人の顔だった。
「ごきげんよう、グレイソン様」
その一言で胸が痛んだ。
昔なら。
もっと近い距離で呼んでくれた。
◇◇◇
「今日はお時間をいただき感謝します」
アーネストは頭を下げた。
「まず謝罪を」
深く頭を下げる。
「本当に申し訳なかった」
沈黙が落ちる。
エレノアは静かに聞いていた。
「私は愚かだった」
「……」
「君のことを理解していなかった」
「……」
「傷付けたことを後悔している」
その言葉は本心だろう。
少なくとも今は。
だが。
だから何だというのだろう。
◇◇◇
「謝罪は受け取ります」
エレノアが言った。
アーネストの顔が少し明るくなる。
しかし。
次の言葉でその希望は砕かれた。
「ですが」
エレノアは真っ直ぐ彼を見る。
「私たちは終わっています」
静かな声だった。
それでも容赦はなかった。
「エレノア……」
「婚約破棄の日、私は確かに傷付きました」
今でも忘れていない。
大勢の前で否定されたことを。
「けれど」
エレノアは微笑む。
「今は感謝しております」
「え……?」
「もしあの日がなければ、私は今ここにいませんでした」
アーネストは言葉を失う。
その通りだった。
婚約破棄がなければ。
紋章も現れなかったかもしれない。
王家とも再会できなかったかもしれない。
「だから」
エレノアは立ち上がる。
「過去を恨むつもりはありません」
そして最後に告げた。
「どうか幸せになってください」
それは許しだった。
そして決別だった。
◇◇◇
応接室を出たエレノアを待っていたのはレオンハルトだった。
「終わりましたか」
「はい」
自然と笑みが浮かぶ。
胸の奥が軽かった。
本当に終わったのだ。
過去が。
未練が。
全て。
そんな彼女を見たレオンハルトは安堵したように息を吐く。
「それは良かった」
短い言葉。
けれどその声音はどこか優しかった。
一方。
応接室に残されたアーネストは動けずにいた。
ようやく理解したのだ。
自分が失ったものの大きさを。
そして。
もう二度と取り戻せないことを。
その事実を――。




