最終話 迎えに来た人
祝宴から数日後。
エレノアは王宮の庭園を一人で歩いていた。
春の花々が咲き誇る美しい庭。
母クラリッサも好んでいたという場所だ。
王宮へ来てからの日々を思い返す。
婚約破棄された夜。
養女だと告げられた朝。
突然現れた王家の紋章。
そして王族として迎えられた日。
たった数週間。
それなのに人生がまるで別物になった。
「不思議ですわね」
思わず笑みが零れる。
あの日の自分は、これから先に希望などないと思っていたのだから。
「何がですか」
聞き慣れた声がした。
振り返る。
そこにはレオンハルトが立っていた。
今日も騎士服姿だった。
だがどこか様子が違う。
いつも以上に真剣な表情をしている。
「騎士団長様?」
「レオンハルトで構いません」
即座に返される。
最近は何度か言われていた。
だがまだ慣れない。
「では……レオンハルト様」
そう呼ぶと、彼は少しだけ表情を和らげた。
◇◇◇
「何かご用事ですか?」
尋ねると。
レオンハルトは一瞬だけ黙り込んだ。
珍しい。
いつも迷いなく話す人なのに。
「実は」
彼は深く息を吐いた。
「陛下たちに背中を押されまして」
「お祖父様たちに?」
「はい」
嫌な予感がした。
非常に嫌な予感がした。
◇◇◇
その頃。
庭園から少し離れた東屋。
国王。
王太子。
エドワード。
ロバート伯爵夫妻。
そしてクリストファーまで集まっていた。
「見えるか?」
「見えます」
「聞こえるか?」
「聞こえません」
「近付くか?」
「やめてください父上」
王太子が本気で止めていた。
◇◇◇
「エレノア様」
レオンハルトが真っ直ぐこちらを見る。
その蒼い瞳に思わず息を呑んだ。
「私は長い間、剣だけを見て生きてきました」
静かな声。
「王家を守ることが使命でした」
だから結婚にも興味がなかった。
恋愛も考えたことがなかった。
そう続ける。
「ですが」
彼は少しだけ微笑んだ。
「貴女に出会って変わりました」
胸が大きく鳴る。
「辛い状況でも前を向こうとする姿を見て」
「家族を大切にする姿を見て」
「笑顔を見て」
一つ一つ丁寧に言葉を重ねる。
「もっと近くで守りたいと思うようになりました」
エレノアは何も言えなかった。
ただ見つめることしかできない。
◇◇◇
レオンハルトは片膝をついた。
王国最強の騎士が。
国王の剣と呼ばれる男が。
自分の前で。
「エレノア様」
差し出された手。
「どうか私と共に人生を歩んでください」
穏やかな声だった。
「貴女を幸せにすると誓います」
その言葉に。
婚約破棄の日の記憶が浮かぶ。
大勢の前で否定された自分。
未来を失ったと思った自分。
泣きながら眠った夜。
そして。
迎えに来てくれた人たち。
祖父。
叔父たち。
養父母。
新しい家族。
その中にいつもいた人。
レオンハルト。
◇◇◇
「……ずるいです」
気付けばそう呟いていた。
「はい?」
「そんな風に言われたら」
涙が滲む。
「断れないではありませんか」
レオンハルトが目を見開く。
そして。
珍しく動揺したような顔をした。
その姿が少しおかしくて。
エレノアは笑ってしまった。
「よろしくお願いいたします」
差し出された手を取る。
「私でよろしければ」
その瞬間。
レオンハルトは心底安堵したように笑った。
今まで見た中で一番優しい笑顔だった。
◇◇◇
「やったあああああ!」
遠くから叫び声が聞こえた。
二人が同時に振り返る。
東屋から国王が飛び出してきていた。
「あっ」
エレノアは固まる。
「父上!」
王太子が頭を抱える。
「やはり聞いていたのですか!」
「当然であろう!」
全然当然ではない。
さらに。
「おめでとうございます!」
「良かったですわ!」
ロバート夫妻まで出てくる。
クリストファーもいる。
エドワードもいる。
全員いた。
全員聞いていた。
「……」
「……」
エレノアとレオンハルトは顔を見合わせた。
そして同時にため息を吐く。
どうやら隠れる気は最初からなかったらしい。
◇◇◇
一年後。
王都では盛大な結婚式が行われた。
王家の姫君となったエレノア。
そして王家直属騎士団長レオンハルト。
国中が祝福した婚礼だった。
かつて婚約破棄された伯爵令嬢は。
もう誰にも見下されることはない。
愛する人と。
大切な家族たちと。
幸せな未来を歩いている。
そして後に人々は語ることになる。
婚約破棄された翌日。
王家の紋章が現れた少女の物語を。
失われた王女の娘として迎えられ。
王国中から愛された一人の姫君の物語を――。
【完】




