17.13 トロワ包囲戦(2)駆け引きと偽りの攻撃
7月4日からブリニョンに滞在していたシャルル王は、8日金曜日の午後にトロワの前に到着した。[1443]
その日のうちに、国王は指揮官や血統貴族たちと軍議(軍事評議会)をひらき、約束[1444]または脅迫によって服従させるまで町の前に留まるか、それともオセールでやったように町を放置して通り過ぎるかを決めようとした。[1445]
議論が長引いていたところへ、乙女がやって来て予言した。
「美しい王太子さま」
ジャンヌは言った。
「兵士たちにトロワの町を攻撃するよう命じ、長すぎる会議でこれ以上時間を無駄にしないでください。神の名において、3日以内に、私はあなたを町に入れるようにします。トロワの町は愛によって、あるいは力と勇気によって、あなたのものになります。偽りのブルゴーニュ人はひどく愚かに見えるでしょう」[1446]
彼らが、慣例に反してジャンヌを評議会に呼んだのはなぜだろう?
それは単に、砲弾をいくつか発射して城壁をよじ登るふりをする、ようするに偽りの攻撃(見せかけ)を仕掛けるだけの問題だった。
偽りの攻撃をせざるを得なかったのは、トロワの人々のせいでもある。
何らかの武力誇示を見せつけなければ、彼らはまともに降伏することもできないのだ。町の下層階級はブルゴーニュ人の心を持っているので恐れをなすに違いない(彼らをおびやかす効果も期待できる)。
おそらく、トレヴ卿[1447]か誰かが、トロワの城壁の下に「小さな聖人」が現れたら、町の織工たちに宗教的な畏怖を与えると判断したのだろう。
彼らはただ、ジャンヌを自由にさせておけばよかった。
*
評議会が終わると、ジャンヌは馬に乗り、槍を手にして堀へ急いだ。
騎士、従騎士、職人たちの群衆があとに続いた。[1448]
攻撃地点はマドレーヌ門とコンポルテ門の間、北西の城壁だった。[1449]
ジャンヌは、町は自分の手によって陥落すると固く信じていたので、夜通し人々を煽動して薪を集め、大砲を配置させた。
彼女は「攻撃開始」と叫び、堀にがらくたを投げ込むよう合図した。[1450]
この脅しは、期待通りの効果をもたらした。
下層階級の人々は、町がすでに占領されていると思い込み、フランス軍が略奪、虐殺、凌辱をしに来ると予想して、教会へ避難した。
町の聖職者と有力者にとって、これはまさに好都合だった。[1451]
国王シャルル・ド・ヴァロワから安全を保証されたため、司教ジャン・レギゼ、病院長ギヨーム・アンドゥイエ、聖堂参事会長、聖職者、有力者たちは国王のもとへ向かった。[1452]
トロワ司教のジャン・レギゼが、町の代表を務めた。
彼は国王に敬意を表し、町の人々の弁解を申し出た。
「国王ご自身の望みに叶うように、町に入城できなかったのは、市民のせいではありません」
彼は言った。
「代官(Bailie)と守備隊300〜400人が門を守っており、開門を禁じています。私が町の人々に話をつけるまで、どうかご辛抱いただきたく存じます。私が彼らに話せば、すぐに門をひらき、王に満足いただけるような服従を示すと信じています」[1453]
司教への返答で、王はこの遠征の理由と、自分がトロワの町に対して持っている権利について述べた。
「私は例外なく、過去のあらゆる行為を許す。そして、聖王ルイの模範に倣い[1454]、トロワの人々を平和と自由の中で守ることを約束する」
司教ジャン・レギゼは、(1)亡き国王シャルル六世によって聖職者に与えられた収入と後援(聖職禄)は彼らが保持すること、(2)イングランド王ヘンリーから同じものを与えられた者にも、その恩恵を保持することを認める勅許状を与えてほしいと要求した。
国王は快諾し、司教は彼(シャルル七世)の中に新時代のキュロス王を見出した。
(⚠️キュロス王(Cyrus):アケメネス朝ペルシア帝国の初代皇帝キュロス二世のこと。古代オリエント諸国を統一して空前の大帝国を建国。ユダヤ人をバビロンの捕囚から解放したことで、キリスト教・イスラム教を問わず理想的な君主と評価され、ユダヤ教では「唯一の非ユダヤ人メシア(救世主)」とされる。「キュロス王の円筒印章」には諸民族を解放し、弾圧や圧政を廃し、略奪を禁じ、寛容な支配を推し進めた治世が記されており、世界最古の人権宣言と呼ばれている)
国王と司教の会談の内容は、すぐに町の評議会に報告された。
審議の結果、「国王の法的権利を考慮し、すべての犯罪に対する恩赦を与え、市内に駐屯軍を残さず、ガベル税(塩税)以外のすべての補助税を廃止すること」を条件に、国王に忠誠を誓うことを決議した。[1455]
トロワ市の評議会は、またもやランス市民に宛てて手紙を送った。
この決議について知らせて、同じことをするように促した。
「こうすれば、我々は同じ君主を戴くことになる。
我々と同じことをすれば、あなたたちも命と財産を守れるだろう。
さもなければ、我々はことごとく破滅してしまうだろう。
我々は(シャルル七世に)服従したことを後悔していない。
我々の唯一の悲しみは、長い間ためらっていたことである。
あなたたちは、我々の先例に倣うことを喜ぶだろう。
なぜならシャルル王は、長年にわたり
フランスの高貴な家系に現れたどの君主よりも慎み深く、
賢明で、物分かりがよく(優れた判断力と理解力を持ち)、
しかも勇敢な君主なのだから」[1456]




