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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝  作者: しんの(C.Clarté)
上巻・第十七章 オセールとの休戦協定/修道士リシャール/トロワ降伏

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175/199

17.12 トロワ包囲戦(1)市民の本音と豆まき

 同日(7月5日)午前9時、フランス軍は城壁に沿って進軍し、トロワの町を包囲した。[1433]


 南西に陣を構えた者たちは、そこから広大な平原の真ん中に浮かび上がる長い城壁と堅固な門、高い塔と鐘楼を眺めることができた。


 右側には、サン・ピエール教会が人家の上にひときわ高くそびえているが、巨大な建造物のわりに塔や尖塔はなかった。[1434]


 8年前、そこでは、イングランド王ヘンリー五世とフランス王女カトリーヌ(シャルル七世の姉)の婚約を祝福していた。


 トロワの町で、イザボー王妃とジャン公爵(ベッドフォード公かブルターニュ公と思われる)は、正気と記憶を失ったシャルル六世に、フランス王国の象徴である百合の紋章をイングランド王に譲渡し、王太子シャルル・ド・ヴァロワを破滅させる署名をさせた。


 娘の婚約式に、イザボー王妃は青い絹のダマスク織のローブと、エルミーヌ(オコジョ)1500匹分のミネヴェール(白い毛皮)で裏地をほどこした黒いベルベットのコートを身につけて出席した。[1435]


 式典の後、イザボー王妃は自分の楽しみのために、ゴシキヒワ、ズアオアトリ、マヒワ、ムネアカヒワなどの歌う鳥を連れて来させた。[1436]


(⚠️ミネヴェール(minevers):斑点のない白い毛皮に灰色の縁取りが施されたもの。本来は「エルミーヌ(アーミン、オコジョ)の毛皮」を指すが、英語では「白い毛皮」の総称として定着)



 フランス軍が到着したとき、町の住民のほとんどは城壁の上にいた。

 敵意よりも好奇心が上回り、何も恐れていないようだった。

 彼らは何よりも国王に会いたいと思っていた。[1437]


 トロワの町は堅固に守られていた。

 ブルゴーニュ公は長きにわたって、町の防御を強化し続けていた。


 1428年のオルレアンと同じ目的で、1417年と1419年のトロワの人々は、(包囲戦に備えて)郊外の建物を取り壊し、城壁から200~300歩以内にある家屋をことごとく破壊した。

 武器庫には十分に武器を備え、倉庫には食料で溢れていたが、イングランド・ブルゴーニュ連合軍の守備兵はわずか500~600人程度だった。[1438]


**


 同日(7月5日)午後5時、トロワ市の評議会メンバーは、ランス市の人々に「アルマニャック派の到着」を知らせる使者を送った。


 この使者は、①シャルル・ド・ヴァロワからの手紙、②それに対する彼らの返事、③乙女ジャンヌ・ラ・ピュセルの手紙の写しを所持していた。つまり、トロワではこれらの手紙をすぐに燃やしたわけではないのだろう。


 彼らは、もし救援を送ってくれるなら自分たちは死ぬまで抵抗する決意を伝えた。


 同様に、シャロン市の人々に「王太子到着」を知らせる手紙を送り、さらに、ジャンヌ・ラ・ピュセルの手紙がリシャール修道士によってトロワに届けられたことも伝えた。[1439]


 ようするに、トロワ市民はこれらの文書を通じて次のような本音を述べている。


(1)このような状況下にあるすべての市民と同じく、私たち(トロワ市民)はブルゴーニュ派かアルマニャック派のどちらかに絞首刑にされる危険にさらされている。これは非常に悲惨なことである。


(2)できるだけこの災いを避けるために、私たちは国王シャルル・ド・ヴァロワに、「守備隊が妨害しており、事実上、我々は弱い立場にあるため、門を開けることはできない」と理解してもらう。


(3)そして、我々は、領主である摂政(ベッドフォード公)とブルゴーニュ公に、「事実上、守備隊が我々を守るには弱すぎるため、救援を求めている」と知らせる。


(4)なお、我々は(本心では)救援が来ないことを願っている。もし救援が来たら、我々は包囲に耐えなければならず、攻撃を受ける危険を冒さなければならない。それは、商人にとって悲惨なことである。


(5)しかし、「救援を求めたが来なかった」となれば、我々は非難されることなく降伏できるだろう。


(6)重要なのは、幸いにも小規模な守備隊をどうにかして撤退させることだ。兵士500人は防衛するには少なすぎるが、降伏するには多すぎる。


(7)ランスの市民に、自分たちと我々のために救援を求める要請をしたが、それはブルゴーニュ公に対する我々の好意を証明するためにすぎない。好意を示したからといって、何か危険も冒すつもりはない。


(8)我々が信頼しているランス市の同胞たちは、「救援を求めても得られないよう巧妙に気を配り、強力な軍隊を率いてやってくるシャルル王に門を開けるきっかけを待つだろう」と知っている。


(9)結論として、我々は救援を受けたら死ぬまで抵抗する。だが、神よ、どうかそんなことが起きませんように!



 こういったことは、シャンパーニュ地方の町の人たちの小賢しい駆け引きだった。

 トロワ市民は、フランス軍に向けて石弾をいくつか発射した。

 守備隊はしばらく小競り合いをした後、すぐに町に戻った。[1440]


***


 その間、シャルル王の軍隊は飢饉に見舞われていた。[1441]

 アンブラン大司教は「人間の知恵によって軍隊に食糧を供給する」よう助言したが、それを実行するのは難しかった。


 陣営には、この1週間パンを食べていない兵士が6000〜7000人いた。

 やむを得ず、兵士たちはまだ青い穀物の穂をすりつぶしたものや、(行軍の途中で)非常に豊富に生えている新豆を食べて飢えをしのいだ。


 それを見て、トロワの人々は、聖マルティンの四旬節のころにリシャール修道士が言ったことを思い出した。


「豆を蒔きなさい。来るべき『彼』はすぐに来られるからです」


 善良な修道士が、霊的な意味での「種まき(豆まき)」の時期について言ったことが、文字通りに解釈された。奇妙な誤解と偶然の一致によって、「救世主メシアの到来」について語られたことが「シャルル王の到来」に当てはまったのである。


 これによって、リシャール修道士はアルマニャック派の預言者とみなされ、兵士たちは、この福音主義の伝道師が、人々が蒔いた豆を(ふさわしい時期に収穫できるよう)育てたのだと本気で信じた。


 こうして修道士リシャールは、その卓越性と知恵、そして神の助言への洞察力(神の計画を見抜く力)によって、飢えた兵士たちに栄養源を供給した。ちょうど、神がイスラエルの人々に荒野でマナを与えたように。[1442]





(⚠️「豆まきのすすめ」演説:詳細は『17.6 修道士リシャール(1)終末思想』参照)


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