ゲームデザインの考察 ⑤
### 自由度とは何か
まず、自由度について考えてみたい。
例によって、私の独断と偏見に満ちた解釈を垂れ流すものであり、
自由度の正確な意味については辞書などで調べていただきたい。
自由度とか一本道というと、多くの場合はRPGの話になる。
とりあえず、RPGを前提に考えてみる。
世の中では自由度と言うと、
多彩な結末、マルチエンディング、自分で紡ぐ物語――
そういったイメージが多い。
個人的には、半分正解で半分間違っているという印象だ。
私自身が間違っている可能性は、とりあえず棚に置いておく。
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## CYOAを作ってみて分かった“自由度の正体”
今回、この考察をするために CYOA を作ってみたのだが、
このサイトで公開しているので、興味があれば見てみてほしい。
CYOAはゴールを目指すゲームになっている。
どうやってゲームにするか?
答えは単純だ。
分岐を作って選択肢を増やす。
これで、ゴールに行くまでのプロセスを迷路にできる。
要するに、これが自由度である。
「嘘だ」と言う人も多いかもしれないが、
これが本来の自由度と呼ばれるものだ。
実はそんな程度の要素のことである。
世の中の人は、自由度と言うと、
たったひとつの真実の意味があるように思っている人が多い印象だが、
全くそんなことはない。
自由度と言っても、色々な意味の自由度がある。
自由度=マルチエンディングだけではない。
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## ゲームとして考えてみる
スタート地点とゴール地点がひとつずつの場合、
その経路の分岐(自由度)を増やす。
これは一番オーソドックスで簡単で、ゲームを面白くしやすい。
では、ゴール地点を複数にした場合はどうか?
実はこの場合、
スタート地点からの経路の分岐をできるだけ少なくしたほうが面白く作りやすい。
よく「何をやってもいい」「どこに行ってもいい」が面白いと言う人がいるが、
本当にそれを実装すると考えれば、完全な間違いと言わざるを得ない。
“何をやってもいいように見える”作り方であれば大正解である。
その上で、一本道とは何か?
見える一本道は退屈だが、
見えない一本道は至高の技術になり得る。
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## プロレスゲームについて考える
プロレスゲームと言うと、基本的には
ファイヤープロレスリング のフォーマットだ。
すなわち、自動返しがある考え方である。
自由に技を出せる反面、自動返しされるジレンマがある。
まあ、RPGで言うと一本道みたいなものだろう。
その後、世の中では対戦格闘ゲームが流行した。
ゲーム開始直後に昇竜拳をぶっぱなせる。
自由度の権化みたいなゲームデザインだ。
できないことはない。
ハメ技でハメることすらできる。
とにかく勝ちゃいい。
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## これをプロレスゲームでやったらどうなるか?
それを本気で実現したのが、
ジャイアントグラム だろう。
返し技も、自動ではなく“実力で返してください”という大胆な仕様。
リアルなモーション、グラフィックと演出。
誰が何をやっても、どう動かしても三沢光晴が三沢光晴に見える。
その圧倒的な作り込みと自信が、それを実現させたのだろう。
おそらく、プレイヤー達が本気で対戦するだけで、
熱いプロレスになる。
そんなものを目指したのだと思う。
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## しかし、それも志半ばだった
現場では、プレイヤー達が
「これはプロレスだ」「これはプロレスじゃない」
と空気を読み合ってプレイしている。
プロレスゲームの道は奥が深い。
できれば、これを解決する新たなアイデアが出てくることを願って、
ゲームデザインの考察を締めくくりたいと思う。




